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一人で歩くこと。


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 僕の人生における喜びは歩くことだ。太陽の出ている道でも、真っ暗な道でもいい。ひたすら自分の足で自分のペースで歩く。これほど幸せなことは無い。歩いてさえいれば僕の人生は幸福だと断言できる。

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 どうも僕は、人と歩幅を合わせることが苦手(比喩的にも現実的にも)のようだ。それも、極端に苦手なようだ。人が苦手である。誰かといると息が詰まってしまう。他人に合わせることができない。
 これは僕の欠陥だ。でも、僕が僕として生まれてこういう性質を持っている以上は仕方のないことだ。僕なりに工夫して、自分の生きやすい場所で、生きやすい生き方をしていくしかない。

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 友達は年間に数回程度会う奴が数人だけいればいい。あとは着ていて心地よく気分が上がる服が少しと、目に留まったものを撮れるカメラ。疲れてベンチに座るときに読む文庫本。それくらい。それ以外は何もいらない。

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 思うに、「不機嫌でいることができる」時間が僕には必要みたいだ。もう少し正確に言うと「上機嫌でいなくてもいい」時間。ニュートラルな自分でいられる時間。誰かといるときは、少なくても「不機嫌でいる」ことは推奨されない。出来れば上機嫌でいられた方がいい。
 僕が上機嫌でいられる時間というのは、基本的に一人でいる時間だ。一人で真っ暗な道を歩きながら、形而上的なことをぼんやりと考える時間。季節の風に触れながら思索する時間。思考が翼になって自由に飛び回る時間。そんな時間、僕は自由になり、上機嫌になる。

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 仕事をしている時間は基本的に不機嫌でいることは許されない。僕はいつも上機嫌でいなくてはならない。それが僕の仕事だから。それでお金を貰っているから。
 上機嫌でいなければならない時間が一定時間経つと、同じだけ不機嫌でいる時間が僕には必要だ。

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 僕は人が苦手だ。誰かとずっと一緒にいることができない。自分のペースで歩くことしかできない。そのペースを乱さずにそっと後ろをついてきてくれるような人でなければ、僕は付き合うことは出来ないのだろう。
 僕は僕のペースで歩く。そっと近づいて、ペースを合わせて歩いてくれるなら、どこまでも一緒に歩いていけるかもしれない。やがて素晴らしい景色を一緒に見られるかもしれない。

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 僕のペースについてこれなくなったら、少し離れてくれたらいい。僕と離れて別の人と歩くのもいいだろう。少し休んで、また僕と歩きたいと思ったら、走って追いついてきてくれたらいい。僕はこの道を一人で歩いているから。

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