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はじめに

割とちゃんとした文章を書く時の書き始めって「はじめに」だよなと思う

でも、惹き込まれるような文章ってもっと唐突な情景描写からはじまったりもする

たとえば、美川憲一のさそり座の女とか、、、。

「そうよ私はさそり座の女」から曲が始まる。昨年のM-1でもこれが題材にされていて、彼らの漫才を見ながら、だよね~と共感したりしていた

唐突に始まる曲ランキングにおいてオールタイムベストなのではないか


話が逸れてしまった

はじめにに書くべきはこのブログを始めた動機だろう


それは自身の考えを発信して、他者から共感を貰いたいからである

なんと浅はかな理由なんだろうか、書いててげんなりとする


思えば中学生の当時LivedoorBlogをやってたし、コロナ禍になってからはインスタライブをだいぶおかしい頻度でやったりもしていた

そう、昔から何かを発信することは割と好きな方なんだと思う

じゃあなぜInstagramやTwitterなど手軽に発信できる媒体があるのにnoteなのか


それは文字数によるものだ


また浅はかな回答をしてしまった、愚問である


みなさんもよくこういった場面を目にすることはないだろうか

とがった見出しでバズるも批判が殺到しリプライツリーで補足や追記をして140文字以上の情報量で炎上を回避しようとするやつ

いちいち例を挙げなくても一度は見たことがあるであろう

あれの主な原因は文章の短さゆえに発信者と異なる意図がくみ取れてしまい、それに反射的に怒るからだとおもう

まさにこんなかんじ

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よくみるやつ


つまり、言いたいことを誤解なく伝えるためには140字では足りず、ブログだと思ったからだ

暴言などは抜きにして言いたいことを言う、これができるプラットフォームとしてnoteはかなり適している


以前美術史家の松下哲也氏が以下のようにツイートしていた

「文章を読めない人かどうかは文章を音読させると大体わかる」と

文章を正しく読めない人は助詞や接続詞を”勝手に”省いたり足したりしてありもしない文章を作って独自解釈するそうだ

ただでさえ140文字じゃ説明しきれないのにさらに独自の解釈をされるなんてたまったもんじゃない



しかしありがたいことにこういう人たちはそもそも長文を読むのが苦手なはずだ

そういう意味では文字数があるだけで彼らの読解力のキャパシティを超えるためある種の予防策になる


ここまで読んでくれた皆さんはある程度文章を読めるらしい、ぜひこれからも読んでもらいたい

多分アイドルと音楽とその他興味関心があるものについてつづっていくはずだ


ここまで文章を書いてみて思う事は口調が安定しないという事だ

アニメのキャラクターなどはたいてい一人称や語尾が統一してある

俺と言っていたキャラクターが突然僕なんて言った日には別人が入れ替わっている説なんかがまことしやかにささやかれたりする

でも実際はどうだろうか、俺も僕もわたしもワイも使い分けている


そう、多めに見てほしい


これは保険だ




保険ポリスが訪ねてきたので初回はここまでとする


                                                                                                                    not

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