不安、不安定にならないように強く固めすぎて足元から動けなくなる自分

2023年11月18日 (のちに19日)

(前略)
・怖い。全部怖い。現実味がない。いま一人で家にいることも、これから和歌山に行くことも、自分の人生をすべて自分で決めなければいけないことも。いま私は逃げたいと思った。すべてから逃げたい。現状に対して力強く決意できた瞬間があるということは、裏返せば現状に対して力を込めないと存在がままならないということだ。脱力して存在できる場がないことは苦しい。

・今までずっと自分は脱力して生きてきた。脱力していた自分は働くことを望んだ。多分、状況は思っているよりも悲観すべきものではないし、適度に脱力することを選ぶことだってできるはずだ。

・不安だから私にはなにもないと思う。何を希求すればいいのかわからない自分がやるせないと思う。何を希求しているのだろうか。すでに求めたいと思っているものが自分にはあるはずだ。いや、私が求めているものよりも、目の前の他者をよく見ることから始めるほうがいいのではないか。

・言葉は刃、ライバルのお前がワンパンで死ぬのは見たくないな。←剣持刀也と葛葉のラップバトルのライムが唐突に頭に浮かぶ。

・あーすべて投げ出したいな。自分は多分、自分が思っているよりもずっと窮地にあるような気がする。なにを言っているんだ。今この瞬間に嬉しいものがあるはずなのにそれを放棄するのは不誠実すぎる。

・苦しい苦しい苦しい苦しいあーーーーーーー。死んだら楽になるだろうか。もう考えずに済むだろうか。考えることを放棄したら私は楽になるだろうか。なるかもしれないな。



2023年11月19日

・布団に入って1時間眠っていたみたいだ。1時間もよく眠れたなと思う。上出来だ。何かサンドウィッチみたいなものを作らなければいけないけれど、手元に材料がないみたいな、おぼろげな夢を見ていた。眠らなければいけないことは分かっているけれど、こういう時に眠れたためしがない。謎に外に散歩に行きたい。行きたいけれど、多分外に出た瞬間に飽きる。

・この夜を削りたくない。私は今の状態にあまり実感が伴っていない。今過ごしているこの時間は、多分、想像していたよりもあっけない。何かが足りなかったわけではなく、想像の中にあった感傷のようなものが現実を上回っていただけだ。でも、ほとんどの幸せは多分淡々と進む。淡々と進むからこそ、過ぎたときのダメージが大きい。もっと刻み込みたい。もう忘れないぐらいに。注意深く思い出す必要が無いように。私は、私はこれからどうすればいいんだろう。彼はこれからどうなるのだろう。今日はまた似たような形で訪れるのだろうか。それはいつになるのだろうか。

・いま死んだらどんなにいいのだろう。そんなによくないのかもしれない。多分もう眠った方がいい。働き始める月曜日からに支障が出る。

・私は誰かに、きっと何かを言ってほしいのだと思う。それを言われたら泣きじゃくって何も言えずにうずくまるような一言がある気がする。だから何だ。

・張りつめている。あとひとつ、なにかひとつが壊れたら、すべて駄目になるような気がしている。何がそんなに苦しいんだろう。どうなったらいいんだろう。守られたいわけでもない。でもむき出しになって何かに向き合いたいわけでもない。肯定されたいのか。安心したいのか。決定権を委ねたいのか。すべて放り投げたいのか。

・3時33分だ。4時から朝という定義だったら、あと30分で朝。そんな気が全くしない。2時間前に眠ったからだ。私はあとどのぐらい眠れるのだろう。天上界では、今日の私の睡眠時間が賭けに使われている可能性すらある。

・どうか、すべてが破裂せずに流れていきますように。よく眠れますように。


・翌朝の10時の私だ。おはよう。ガチャの結果、5時間眠れた。上出来だ。正直、5時間眠れるとは思っていなかった。神経が張りつめているからまだ眠気をそれほど感じていないけれど、動けないような疲労感はある気がする。

・朝起きたときはまだましだったけれどしばらくしたら猛烈に死にたくなった。でもそれは多分自然現象として語るにはとどまらないきっかけが多分あった。私は9時頃、猛烈に何もしたくなかった。何もしたくないし、どこにも存在したくなかった。世界がすべて針でおおわれているような実感を持つ瞬間は、割とあると思う。どこに行ってもなにをしても、常に自分を責めるなにかしらがある。私にとっての生活は食と睡眠の2つで表せてしまうもので、だからこそ自由時間に立ち尽くしてしまう私に針山を向けたくなる。理由はこれだけではないのだけれど、とにかく私は割と本気でどのように死ぬか考えていた。

・とか思っていたけれど、10時ぴったりごろにピザを盗み食いしたら少し元気になった。私はおなかが空くと病むのだと改めて気がついた。ごはんをたべてあたたかくしてねむることはやっぱり大切だと思う。余談だが、温かいピザは冷めたピザの100倍おいしかった。冷めたピザというのはなにかしらの歌詞に出てくる気がするけれど、かなり虚しさの象徴なのかもしれない。

・ヨルシカの木箱と日記帳、そういえば買いたかったんだよなあ。メルカリで買うのではなくきちんと正規品を買おうとしているけれど、マジで高くて不安定な生活では勇気が出る値段ではない。お金のことを考えると嫌な気持ちになる。嫌な気持ちというより、単純に惨めになる。お金のことを考えるたびに、それでも、と自分を鼓舞するけれど、そもそも本当に食らっていないのだったら鼓舞する必要なんてない。

・そもそも余裕だったら力を込める必要もないみたいなことはいろいろなことで思う。今日、私は自分が思っているよりもかなり神経質なのだと思った。掃除はしなくてもいいし、布団は敷きっぱなしでも正直何とも思わないんだけど、そういうのとは別の次元で私は神経質だと思う。行動のひとつひとつが他者にどう思われるのかについて、ありえない細かさで気にしている。私は今日気がついたのだけれど、どうやら私は家族を含めて誰かと同じ空間で眠るとき、自分が誰かより遅く起きることを怖いと思っている。それは、自分が眠っているところを誰かに見られたくないと思っているからだ。自分が眠っているときは自分を制御できないから怖い。寝相が汚くても、よだれを垂らしていても、いびきをかいていても、全く気がつかない。私はたまに、夢遊病みたいに眠りながら歩いたり他者に話しかけたりすることがあるらしいけれど、それは本当に嫌だと思っている。似たような理由で、お酒を飲むのも本当に怖かった。制御できていない自分を見られたくないからだ。過去形なのは、昨日ほとんど初めて他者の前で酒を飲んである程度酔うことができたからだ。アルコールという物質の性質はめちゃくちゃ怖いけれど、お酒を飲むこと自体は少し怖くなくなった。

・神経質なのは、他人の目に映る自分が完璧でないことが怖いからだ。余裕だったら、力を込めて固くなる必要はない。眠りが浅いのも、張りつめているのも力を込めているからだ。私は自分の性質がことごとく嫌だ。脱力できること、他者にも自分にもある程度軽薄であることは、軽やかかつ不安な感情に苦しまずに生きるために必要不可欠の性質だ。私には何もない。軽やかに生きる術を何も持ち合わせていない。それは、食と睡眠以外に自分の人生を彩るものが何もないこと、そして常に強張っていて不安に苛まれていることから言える。

・私はここまで他者に一切言及しなかった。他者に見られている自分に興味はあっても、真に他者には興味が無いのかもしれない。いや違うか。今の自分はかなり張りつめている。なにかひとつうまくいかなかったらもう二度と立ち上がれなくなりそうな危うさがある。自分ではなく他者に目を向けよう、みたいな言葉が染み込んでいかないぐらいに、自分がこわばっているのだと思う。どうしたらいい。眠くないけれど、ますます動く気力がわかなくなってきた。


・さようなら

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