まとめ

2020年8月9日

・長い自粛生活の中で過去の清算が終わりに近づきつつあるので、それのまとめをしていこうと思う。長らくの私にとっての課題は、同じ苦しみを繰り返さないことである。そして、それをかなえるためには反省と改善策が必要だった。なので過去のできごとと、次に生まれ直したらどのように行動するかを書いていこうと思う。

・今までの人生で、選択肢を悪い方向に外したのは大きく分けて4つあると考えている。

・1つ目は小6の時に選択した学校である。高校の時に外部生が入ってこない中高一貫校を選択したことは後のできごとに大きくかかわってくることであると考える。しかし、この学校を選んだことで苦しみもあったがいい方向につながった点も多いので、ここでの改善策は特にない。

・2つ目は部活を選ぶ段階のことである。ここで私はある運動部に入るわけだが、その運動部を選択したことが後の自分の価値観や精神を築き上げるものを決定づけることになる。この後に来る3つ目の選択は2つ目の選択をしなければ生まれないものだったので、ここでこの部活に入らなければ後の苦しみは多分なかったとは思う。しかし、ここである程度の苦しみを味わうことなしに大人になっても、いずれは同じような苦しみや失敗を味わうことになったと思うので、この部活に入ったことも失敗ではなかったと思う。楽しかったし。

・3つ目は中3の時、苦しい状況の中でどの部員にも相談しなかったことである。私は、持病の関係で部活の練習中に途中で抜けることが多くて、持病が悪化する中で誰にも相談することができなかった。 これが今までの自分の選択の中で1番失敗したところだと思う。 これには大きく2つの理由がある。

 1つ目は、すべての部員に快く思われていないと考えていたことである。中1の時から持病を理由に練習を抜けることが多かったが、それを引け目に思っていたことに相まって顧問やある部員に咎めるようなことを軽く言われたことをきっかけにそのような気持ちがより強くなった。さらに、そのような気持ちを持っていると不思議とほかの部員の視線を感じるたびに咎められているような気持ちになった。 また、すべての練習に参加しているほかの部員に、練習を途中で抜ける自分が「つらい」と相談したところで、ただの甘えでしかないという考え方があった。 これによって、自分の中ではすべての人に「なんだこいつは」と思われていると勘違いするようになった。

 2つ目は、このままでは部活の足手まといになると考えたからである。この部活では大きな目標を掲げて練習をしていた。その中で、ずっとほぼ最弱であり練習を途中で抜ける私には、成長しなければいけないという強い思いがあった。練習に参加せずに強くなろうとしている自分の甘さを直すためには、いまよりもより多く練習に参加しなければならないと考えて、無理をして練習に参加するようになった。

 この結果、無理をして体調は日に日に悪化するようになり、さらにそれで焦って無理して練習をすることで悪化するという悪循環に陥った。そして最終的には、準備体操をするだけでしんどくなってしまうという状態になった。そこで初めて他人に相談をした。それが母親だったのだが、母親に部活をやめろといわれて辞めることになった。それまで部活をやめるという選択肢は全く考えていなかったし、考えたくもなかったけれど、自分の体調や精神状態を考えるとこれ以上は無理だと思った。

 辞めるときに母親に「休部とかマネージャーとかはしないほうがいい。大会にも人数合わせで呼ばれるかもしれないけれど行かないほうがいい」といわれた。そしてその後、女子部員に大会の人数合わせに呼ばれたがそれを断った。女子部員は人が少なくて、その年を逃すと勝つことがとても難しくなるという状態で断ってしまった。最悪なことをしたなと今でも思う。とはいえ、この時の精神状態では試合に参加したり、部活の空気感を感じることが耐えられないほどの苦痛になることが分かっていたので、この時の判断はしょうがないとも思う。この判断の正誤を考えるよりも、そもそも部員に早い段階で相談しなかったことや無理をしてしまったことといった根本的な誤りを直すべきだったと考える。

 もし人生に2周目があったら、部員に相談するし、無理はしない。そうすれば、たぶん部活をやめることは無かったと思うし、今後の問題も発生しなかったと思う。さらに、正しい選択ができなかったことの背景には、他人に嫌われたり怒られたりするのが異常に怖いという性質や、他人の力よりも自分の努力ですべてを解決しようとする頑固さ・自己犠牲の性質、体調悪化の原因が精神状態に由来していることやそれに対しての解決策を知らなかったことなどがあると考える。他者の負の感情への異常な恐怖心や頑固さ、自己犠牲の性質については未だに持ち合わせている部分が多いので、再び同じことにならないように注意が必要だと思う。

・4つ目は、高校3年間の苦しみに適切に対処できなかったことである。私は中3の秋に部活をやめたのち、異常なほど勉強に没頭するようになった。部活がなくなったことによる喪失感や、勉強のためにある部員が辞めたときに顧問が言っていた「勉強のために部活をやめるような人間が、勉強で成功するはずがない」という言葉が頭の中に残っていたことがその原因である。勉強はいくらやっても体調が悪くなることがないので、部活の精神力がある限りどこまででも続けられると思っていた。

 しかし、高1になるころには授業を満足に聞くことすらできなくなっていた。突然頭が真っ白になってしまい、先生の言っていることが理解できなくなることに困っていた。また、同じような症状で宿題もできなくなってしまい、とても困っていた。やがて学校にいく際に足が突然止まることや、頭重感、だるさ、憂鬱さなどによって学校に遅刻せずに通うことがとても困難になった。また、授業中や家に帰宅したのちにずっと寝るようになった。このころには希死念慮も出てくるようになった。これが3年間続いた。

 このころの苦しみに触れることには意味がないと思うが、1つだけ言っておくと、この3年間に死ななかったことはとても確率の低い偶然だったと思う。そこにポジティブな意味は無い。早く眠った方が楽だったと思うからだ。それぐらい大変だった。ちなみに、高2の冬(正確には私の誕生日‼)から病院に通い、カウンセリングも受けていたが、あまり改善の兆しはなかった。

 さらに、部活をやめて本当に仲の良い友達がいなくなったことも大きな要素である。部活の練習が多かったことがあり、とても仲の良かった人はすべて部活内にしかいなかったのだ。もちろん、高校でも私と仲良くしてくれた人は何人もいたが、すべての人が私よりも仲の良いコミュニティに所属していて、私は誰にとってもどうでもよい人だったと思う。これは仲良くしてくれた人に申し訳ないと思うけれど、残念ながら本当のことだと思っている。一応、高校でも別の部活に所属していたが、そこでは活動が不定期で少なかったため、そこでとても仲の良い友達ができることは無かった。

 私は卒業後も、この苦しみに関してはどうすることもできないものだったと考えていたが、その後大学で勉強してどうにか解決できそうな方法を見つけた。

 まずは、夏休みなどの長期休暇の間、全く何もせずに休む。この期間で休養して、調子がよくなったら学校外の活動に参加して新たなコミュニティを見つける。そのコミュニティは同じ苦しみを持つ人同士のものでもいいし、自分のやってみたいことをやっているグループに加わるのでもいい。そして学校外に居場所を作って、学校の勉強もそこそこ頑張る。

 これが最善のような気がする。本当は夏休みでは足らなくて休学したいぐらいだが、それをすると今の大学に行った方法がとれなくなってしまうし、周りにいる人などの環境が大きく変わってしまうのでこれでいいと思う。また、当時の私の状態は常に頑張れないというよりも、やりたいことは頑張れる状態だったので、回復にもそれほど時間がかからないし、新しいコミュニティを見つける過程は通学していても可能だと考えた。

 実際には、夏休みも無理して勉強を続け、服薬が主な改善策として取られていた。また、通信高校への転校も考えていた。しかし、通信高校に行ってしまうと環境が大きく変わったり、将来が不透明だし、通学をやめても根本的な解決にはならなかったので、あまり良い解決策ではなかったと考える。もしこの時に、知識を持った人が自分の状態を俯瞰で見て改善策を提示してくれていたら変わっていたのに…と強く思う。当時の自分は、精神状態も最悪だったし何かを決定したり行動するのにはとても大きなエネルギーと時間が必要だった。だからこそ、それを鑑みて自分の状況を俯瞰で見ることのできる他人が必要であったと考える。そして私は現在、そのようなことができる専門家になるための勉強をしている。(その職業に就くかどうかはまだ未定です)

・こんな感じで自分の人生の過去の問題点とその解決策を書いてきた。ここまで書いてあれなんですけれど、これ私以外の人間に需要なくないですか?私にとっては、過去の自分を助ける方法を見つけることは、未来に同じ状況に遭遇した時に解決できるかに大きく関係するので、とても大切なんだけど…

・はい、まあ、そんな感じです。

・最後に、これまでの私の人生の中で、なにかしら接点のあった友達や部員や先生のみなさん、本当にありがとうございます。

・2周目は絶対に失敗しないぞ~

・さようなら

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