こころがふたつある
2023年8月13日
・初めの空白にnoteからの挨拶が書かれているのだけれど、それが「こんばんは。今日もおつかれさまです。」だった。もうこんばんはなのか。
・なんか疲れた。心身ともに疲れている。過去を振り返る気分ではない。
・東畑開人さんの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』という本を読んだ。この本は、ごちゃごちゃしている状態の心を分かりやすい状態にするために切り分ける線(分類)をいくつか紹介している。まさに今やろうとしていることに関係あるではないかと思って、昨夜と今朝に分けてすべて読んだ。読後すぐは、これが答えだと思うぐらい、とてもしっくりきていたけれど、時間が経つにつれて、それにとどまらない部分があるのではないかと思うようになった。でも、それにとどまらない部分があるのではないか、本当はこうなんじゃないか?と思ったときに、その「本当はこうなんじゃないか?」はこの本が指し示しているものよりもっと極端というか、万人に効くものではない気がした。多分、この本は守備範囲がとてつもなく広いけれど、その分当たり障りのないというか、人生のスタート地点に立つための本なのかなという風に今は思っている。今はこう思っているというだけで、後々読み直したりしたら変化していると思う。
・疲れてるのは、過去を振り返ったり、本を読んだりいろいろしたからだと思う。何も考えたくない。何も考えたくないと思うのと同時に、なぜかとても人に会いたい。こんなことは7月初め以降ほとんどなかったと思う。人に会って何かを話したいわけでもない。もちろん会ったことでそこから湧き出してくるものはあるだろうけれど、それを事前に考えなければならないほど切羽詰まっていない。
・昨日の夜と今日は、人に会おうか考えていた2日だった。でも、両方とも両親が家にいたのでできなかった。会って何を話したいわけでもないけれど、会いたいってどういう感情なんだろう。この先を切り拓くきっかけでも欲しいのかな。だとしたらめちゃくちゃ自己中心的だと思うけれど。
・心から笑うことがここ1ヶ月本当に無かった。おもしろ動画みたいなものではあったかもしれないけれど、それ以外ではない。笑いたいのか自分は。よくわからない。でもなんだか、自分本位な雰囲気が漂っている。
・そんなあなたに朗報です。次の火曜日は私以外の家族が全員いなくなります。もしかしたら夜までいない可能性があります。なぜなら、みんなで実家に帰省するからです。そして私がいかない理由は、合わせる顔が無いからです。とにもかくにも、私が自由の身になるのはそこしかありません。だからなんだというんだ。おとなしくしておけよ。でも、なんかもうすべてクソくらえだと思っている自分がいます。理由は納得できるけれど、医者と家族に保護・監視されている今はなんかぶち壊したいです。そう思った後に、ぶち壊した先に何もないことに思い至って、ぶち壊そうという考え方は萎みます。
・『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』は、マイナスをゼロにする働きはめちゃくちゃあるけれど、肝心のゼロをプラスに持っていく勢いはない気がします。ともすると、マイナスがプラスにいきなり持っていかれることはある気がするのですが、それだけの力強さがないということです。でも、力強さはそれ以外の物を排する気もして、そして私は今までそれに振り回されていたような気もして、何を信じたらいいのかがわからなくなっています。
・なんかもう、全部嫌だな。これは以前、死にたいと表していた感情のうちの1つです。なんかもう、全部嫌になっちゃって、考えられない感じ。
・私が私として生きるために当然のようにあったはずの機能が失われているような気がします。今の私は誰かと繋がろうとしたら、多分ぎこちなくなります。機能が失われているというより、私たらしめるものが失われている感覚です。でも自分は一人になることを望みました。それは間違えていなかったと思います。一人になって自分の中を掘り進めて行きたい自分と同時に、誰かとつながることですんなり越えられる感じに賭けてみたい自分がいます。そして後者に賭けた場合、もしそれがうまくいかなかったら自分はかなり絶望すると思います。
・何を書いているんだろう。眠いです。今の時間に昼寝しちゃおうかな。
・さようなら
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