タイムアタック日記
2020年5月24日
・最近、日記を書くことすらできないぐらいに疲れていたせいで、日記を書いていなかった。しかし、いまはなぜか脳が働いているので、いまこそその時!と思い書いてみることにする。脳が死ぬまでのタイムアタックである。
・ちなみに、明日までの課題が終わっていないためそれを終わらせるのと、すきなユニットが20:00から歌をプレミア投稿するので、なんとしてでもそれに間に合わせる必要がある。ちなみに、ChroNoiR(クロノワール)というVtuberユニットだ。すでにコメント欄では、共同墓地を建設していたり、先に曲を聴いた未来人が限界化していたりという動きがみられる。とても賑やかだ。
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・あまりに人と話さなさすぎて、人と話すのがとても怖い。家族とは話しているけれど、友達などとは全く話していない。学校が始まったら強制的に大学にいる人々とコミュニケーションをとらなければいけないということを思い出して、大学が始まらなければいいのになーと思っている。でも、学校に行くペースが作られたら結局大丈夫だと思うので、早く学校に通い始めた方が精神衛生上よろしいのかもしれない。
・人と話すのが怖い理由は大まかに分けて2つである。1つ目は、人と話す頻度が高まると、自分のために行動できなくなるということだ。私は他人と話しているとき、他人が感じていることを自分が感じているかのように思ってしまう。これは、おそらく共感よりは同化の方が近い。相手の感情をよくすることこそが会話の成功であり、それをすることで会話をしている自分も安心するのである。そのため、私はより相手の気分がよくなるように会話を進める。つまり、私が他人との会話でしていることは、徹底的なご機嫌取りである。
・なぜこういうことになってしまっているのかはよくわからない。しかし私はその原因を、他人に怒られたり負の感情を向けられてしまうとパニックになるからであると考えている。私はとにかく他人の負の感情が怖い。自分に向けられていないものや、完全に冗談で発されたものでも動悸がすごいので、自分に向けられたら本当に頭が真っ白になる。
・私は、高校時代からこのコミュニケーションの方法を変えたいと思っていたが、他人の負の感情に対しての恐怖心が未だにぬぐえなくて、変えることができない。またそれができたとしても、他人と話しているときの自分の感情を認識することができないため、本来出すべき感情がわからなくて変えられないと思う。このようなコミュニケーションを始めたころは、他人の機嫌を取るために犠牲にしている自分の感情を認識していたと思うが、それを続けたせいで自分の感情を認識できなくなってしまった。
・そばに他人がいないときは自分の感情がわかるので、人と会話して疲れたときは一人になることで自分のための行動ができるような環境を整えてきた。だから、私は一人の時間を大切に思っている。大学に通う日々がまた始まると、一人のときに持つことができていた感情が失われてしまいそうだから憂鬱に感じるのである。
・ちなみに、このような姿勢でコミュニケーションをとっていると、必然的に周りには話すのが好きな人が集まってくる。私は相手の話したいことを読みとって聴くだけでコミュニケーションが成立するし、相手にとっても話したいことを聴いてくれる人間はちょうどいいからである。しかし、私は自ら望まれていないことを話すことはほぼないため、相手にとってはよくわからない人間になる。そのため、私はちょうどいい人間止まりであり、それ以上の親しい仲になることはないのである。また、私自身も人の話を聴いていることが苦痛になったり、ずっと考えていることを話したいのに話せないことでストレスが溜まってしんどくなるのである。 ストレスがたまるのは歪んだコミュニケーションの方法をとっている自分自身のせいなのに、それをどこか他人のせいと考えてしまう自分がマジで嫌だ。 ただの被害妄想であり、自業自得だろうと思う。こんな私に付き合ってくれている友達に大変申し訳ない。
・ このような日記を書いている通り、私は話す方もかなり好きなのだが、コミュニケーションが下手なせいで他人に全く話すことができない。たまに自分と同じように聞き専の人と話したりするけれど、相手が望んでいることがわからないから、おどおどしてしまう。もしかしたら気持ち悪がられているかもしれないと考えると、喉の奥に空気が詰まって変に焦ってしまう。
・長すぎて誰も覚えていないと思うが、人と話すのが怖い理由がもう1つあるんですよ。なんかすみません。
・2つ目は、アイデンティティがないため、他人が私を好きになる要素自体がそもそもないということである。まず、私には人に言えるほどの好きなものがない。私はうっすらとインターネットを見て楽しむ人間なので、浅く広くいろんなものに手を出している。そのため、たとえ自分と同じものを好きな人を見つけたとしても、だいたい私より深く好きな場合が多いので引け目を感じてしまうのである。
・さらに、私は人生自体にも楽しみを全く見出していない。何かに楽しそうにする人に魅力を感じると思うのだが、わたしにはそれが全くない。自分でいうのもなんだが、ここまでどうしようもない人間のどこに好きになる要素があるのかが全く理解できない。あるとしたら、利用できるという価値のみである。そういうことを考えると、最終的に自分は好かれないことを思い知るので、他人と話すことに意義が見出せないのだ。
・自分が話したいことを話せるようになるために日記を書き始めたのだが、全く成長していないと思う。もう、どうすればよいのかがわからない。こういうことが勉強よりも大切なことで、こういうことを中高で学ぶべきだったのに、なにひとつ学ばずにここまで来てしまったような気がする。
・誰か、マジで助けてくれ……本当に。どうしてみんな、当たり前のように人と仲良くすることができるんだ。まともなコミュニケーションができるように、ちゃんと教育して叱ってくれ~(渾身の群青日和)
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・この日記を書いている途中に20:00を迎えて、好きなユニット(ChroNoiR)の曲を聴いた。死ぬかと思った。ちなみにChroNoiRは、にじさんじというVtuberグループに所属している男性ライバーの叶と葛葉のユニット名である。FPSなどのゲームをやっているのでもしよかったら見てね。
・私は関係性オタクであり、友情だの恋愛だのは問わないけれど、キャラクター同士が仲良くしているのが好きな人間である。上記のChroNoiRを含めて、いいな~と思いながら見ている。そして最終的に、現実の自分と比べてむなしくなる。誰かと仲良くなるってどういうことなんだろうか。こんなこと大学生にもなって考えるのも馬鹿馬鹿しい。けれど、自分が自分として他人と付き合っていくことに憧れがあるから、関係性オタクをやっているんだろうなと思う。いつか、まともな人間になれたらいいな。
・さようなら。
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