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はじまりの月、亡霊みたいに歩く

2023年10月28日・29日

・昼頃に1つ投稿したのですが、何も書くことが無いのに暇だから書いた感が否めなかったので削除しました。

・はじまりの月というのは、一番上の画像の街灯の直線の右端が月だからです。そして、亡霊みたいに歩くというのは、家まで亡霊みたいに歩いたからです。

・昼頃の投稿で書いたのですが、現在の私は右目も左目も腫れています。やばいのは左目です。

・ちょっと語尾変えます。

・今日の朝に病院に行ったのだが、それ以降さらに腫れあがってきたので、看護師の母と相談した結果、大きな病院の救急外来を受診することにした。私の顔にできたのはおそらく蜂窩織炎であり、重症化すると失明、顔面神経麻痺、敗血症など様々な危険があるため、結構ビビっていた。しかし受診した結果、とりあえず大丈夫だろうということで落ち着いた。今は救急外来から帰ってきたところである。


・救急外来の帰り道で結構精神が終わっていたのでそれについて書こうとしたのだけれど、いまマイフレンドからLINEが来て精神の終わりが吹き飛んだので、よくわからなくなった。


・ここまで書いて眠ってしまいました!現在10月29日の朝7時です。

・虹が出ていました!今年初めての虹です。

・語尾戻します。

・話を戻すが、昨晩は精神が終わっていた。皮膚炎がひどくならないか、皮膚炎はどのぐらいで治るのか、12月初旬から住み込みでバイトを始めるのに間に合うのか、そもそも12月初めから1ヶ月の求人は極端に少ないが(11月下旬からが1つ、12月初旬からが1つのみで仕事内容としては11月下旬からの方が好み)いつ応募するのか、単発バイトが2週間できないのならばどのように体を慣らすのか、などなどがずっと頭をぐるぐるしていた。

・ここまで悪い条件がそろっていたら、1月スタートが現実的だと思う。今の皮膚炎の状態だったら、最短で2週間、薬の服用が終わるのに1ヶ月ぐらいは必要な感じがする(ということを母から聞いた)。おそらく免疫力が低下している中、ぎりぎりの状態で無理に体を動かすのは危険だと思う。でも、そんなことを言っていたらいつまでも自分はここから動き出せないのではないかということを昨日はずっと考えていた。

・インフルエンザの検査費用、皮膚炎の受診代、薬代で結構な費用がかかった。母が払ってくれた。結局口では大きなことを言っているのに、肝心な時には人任せだ。自分には帰る場所も、行く場所もないような気がしてきた。自分はひとりだと思うけれど、ひとりではなにもできない。昨日は、帰ってもさみしいままだと思いながら歩いていたけれど、かといってどこかに進める人間でもないことがわかっていたから、どこにも自分は存在できないと思いながら帰った。左半分の顔面が腫れていて片目の視界が遮られているから、なんとなく外界と遮断されているような気分になって、余計に疎外感が増した。


・幻の1つ目の投稿で、自分のできないことしか思いつかないということを書いた。その時は思い付きで書いたけれど、後味がずっと残っていて、昨晩は歩きながらそれについても考えていた。具体的には、いままで自分のできないことを直視しないことで自己肯定感が低いということに対して過度に意識的にならないようにしていたけれど、自分がコンプレックスを感じている部分を明らかにすることで、自分がいま動けない原因の一端を紐解くことができるのではないかということを考えていた。


<自分ができていないところ>
・一度決めたことで何度も悩み直してしまう
・決めたことをすぐに行動すると精神を病む
・瞑想をしてもいい感じが全くない
・というか瞑想ができない
・掃除をしてもめんどくさいが勝る
・趣味がない
・アニメ、映画、読書などの娯楽を楽しめない
・教養としての読書も長続きしない
・自然から良さをなにも受け取れない
・口ではできると言っていることが実際にはできていない
・やりたいことがはっきりしていない
・困ったらすぐに人に頼ってしまう
・電車で座ってしまう
・食べ物をよく噛んで食べられない


・本来はできることのはずなのに、それができてしまう自分の感受性を粗雑に感じて、自分で人生を歩んでいけない人間だと思うこともたくさんある。

・自分のすべてを逐一公共の場に晒し上げてしまう(秘匿することとそうでないことの区別がつかない)
・自分の信条などをまとめて文章に書くことができない(リアルタイムで自分が思っていることを日記の形式でしか書けない)
・それほどやりたくないはずのことなのに単発バイトができてしまう
・どうでもいい会話をすることができてしまう


・書き連ねたけれど、だからといってなんなのかわからなくなりました。でも多分、できないことが多く感じるのは、やりたいことが明確になっていないからだと思います。できないことのほとんどは、尊敬している方々と自分の比較で思うことなので、尊敬している方々のどの部分を目指したくて、どの部分は関係がないのかが自分の中ではっきりしていないのだと思いました。やりたいことが明確でないから、「なにもできていない」と漠然と思い、目に映るすべての性質を嫌悪している感覚があります。自分はなにがしたいのか何もわかっていないことは割とダメージがあるのだと思いました。段々と自分が書いている文章が他の人に届くものであるのかもわからなくなってきました。ということは、自分に届いている感覚もそれほどないということです。私は文章を書くことができる人間だと思っていたのですが、これを書き続けているところでどこにも行けていないのならば、それは「書けていない」のではないかと思いました。その理論で行くと、あらゆる生活の動作が結局のところ何もできていない自分に直結して、「できていない」ことになるので、死ぬと思います。私は何を書いているのでしょうか。家にいるだけで本当にやりたいことは見えてくるのでしょうか。そもそもやりたいことを求めるという方向性自体が間違えているのでしょうか。何もわからなくなっていきます。

・どうでもいいのですが、現在の時刻は17時です。自分のできていないところを列挙し始めてすぐにめんどくさくなって一度書くのをやめていました。その後ミスドに行き、途中でティラノサウルスの集団を目にしたりしていました。家に帰ってきてからはドーナツを食べて昼寝をしていました。

・なんかもう、しんどくなってきました。なにがしんどいのかわかりません。顔の腫れがしんどいのか、1月まで家にいるかもしれないことがしんどいのか、やりたいことが明確でないことがしんどいのか、自分にできていないことが多すぎることがしんどいのか、人と会えないことがしんどいのか。閉塞感がずっとあって、沼に静かに沈んでいく感じがしています。自分にできることはなにもないし、どこかで間違えたことは確かだけれどどこで間違えたのかもわからないし、動きたいのに動けないまま終わっていくのだと思います。疲れるはずがないのに疲れました。

・これ以上何を書いてもどうしようもないので終わりにしようと思います。

・さようなら

ティラノサウルスの群れ

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