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やりたいことのために進む人生を選ぶ

2023年10月7日

(画像はなんか旅人っぽい服です。形から入るタイプ。)

・両親や医者には2か月で家を出ると言っていたが、それを1ヶ月にすることにした。この違いは単なる1ヶ月の差ではなく、その後も家にはほとんど帰らないことを意味する。2か月で家を出る場合は、働きに出てからそのまま帰ることになるし、今後も医者や両親の言うことを聞くことになる。私がそれでもいいと思っていたのは、ひとつは家があって働かなくてもいい状態を利用してやりたいことがあったから、もうひとつは心のどこかで自分自身も自分に対して失敗をしてはいけないと思い込むようになっていたからだ。

・今の私には、家でやりたいことがそれほど残されていない。強いて言うなら本を読みたいが、2か月という期間は長く、それを踏まえても何かを得られる感覚は全くない。そうしたら残るのは、失敗をしたらどうしようという恐れだけだ。医者と両親は、私のやりたい気持ちよりも失敗しないように計画的に事を進めることを大切にしている。それは極めて現実的だ。私も正しさの前ではなんとも言い返せず、気がついたらその正しさに乗っかっていた部分があったが、よくよく考えたら、やりたいときにやりたいことをやらないほうがよっぽど人生を生きていないことに気がついた。やりたいことを手当たり次第にやってめちゃくちゃになったのが4月から7月までだった。その時に失敗したのは、やりたいことの裏にある焦りを見極める視点を持っていなかったからだった。やりたいことを連鎖させることによって自分がよい方向に運ばれていくと信じており、次第に連鎖させなければという焦りで行動をするようになっていた。やりたいの裏に焦りがあると、やりたいの純度が下がり、そもそも自分でもなんでこれをやりたかったのかがわからなくなる。でも、自分は過去を振り返ることによって、注意深くやりたいことのなかの「やりたい」に何が含まれているのかを探ることができるようになった。今の私は焦っていない。気を付けなければいけないのは、裏に焦りがない大きなやりたいことがあった時に、こまごまとした準備をいかに早くやるかで焦ってしまうことだ。だから、1日1日に急いた気持ちがない状態で物事を進めることは大切だ。でも、だからといって、退屈でここに居たくないと思っている場所に長くいることを焦っていないというわけではないと思う。やりたいときにちゃんとやる、瞬間瞬間で焦らないことが自分には必要だ。

・という感じで、いろいろと考えた結果、1か月後に家を出ることにした。薬を飲むかどうかは最後まで悩んだが(というのも両親と医者がいる場で、旅立ちます!というのはなんか嫌だったから)、そういえば親がいない日に再度病院に行って2ヶ月分ぐらい薬をもらってそれで旅立てばいいのでは?と思ったので、とりあえず薬は飲み続けることにした。どうやら、マジで行動を決められた時は、私がかかっている医者は薬を出してくれるらしい。

・細かい悩みはいろいろとあるし、そもそも自分は本当に働けるのかという不安もあるが、そんな不安は2ヶ月家に居ても変わらないだろうから、不安なまま飛び出す覚悟を決めたいと思う。

・恐れを回避するための人生ではなく、やりたいことをやる人生を選べ、と私に言いたい。そして、注意深く自分の気持ちを観察する仕事をやり切った私にとって、やりたいことをやる人生とはどこか浮ついたものではなく、芯のあるものになっていくと思うのだ。

・さようなら

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