さいきん夢をみるんだ

2020年8月20日
・3月ぐらいから、少なくとも1週間に1度の割合で高校のときの夢をみる。それにひきかえ、大学生になってからの夢は3月以降一度も見ていない。なんかとても人体の不思議だなーと思う。別に起きているときは、高校の頃の生活を思い出すこともあまりない。心理学を勉強していると必ず出てくるフロイトさんであれば、無意識がどうたらこうたらっていうんだろうな。

・ちなみに、特に悪夢というわけでもなくて、ただ日常生活が垂れ流されいるだけなのだ。なんのメッセージ?という感じだ。

・私は、暗黒の時代を送ったことで、青春ものの作品に対してアレルギー反応を催すようになった。そういう作品を見ているだけで、努力するべきという風潮に対して否定する言葉をつくることにしか頭のリソースをさけなくなってしまう。だから、夢を見るのは嫌だなーと思う。ちなみに青春ものの作品でいうと、ドラマ版の今日から俺は‼は余裕で見ることができる。あれ面白いよね、全話見てないけど。

・アマゾンプライムに加入したころから、アニメとドラマを見るようになった。約束のネバーランド、ゆるキャン△、SPEC、少女終末旅行、四畳半神話大系、日常をいまのところ見ている。途中で止まってたりする作品もあるけれど、どれもおもしろかったな。

・少女終末旅行はマンガが6巻まであるけれど、アニメは4巻までで最終回をむかえる。だから、私は6巻までマンガで読み直した。めっちゃよかった。4巻までは、終末の世界の中でいかにのほほんとするかみたいなところが中心だったけれど、6巻では終わりに近づくにつれての心情の変化が描かれていて、しかもそれが悲観的なものではないところがとても良いなと思った。

・誰かの空想によって創りあげられたもの(小説とか、映像作品とか)でテンションをあげてほかには何もしない生活がこれからも続くのかなーと考えると焦る。

・いちど自分が努力できない身体になることを体験すると、頑張らなくてもよい理由を構築することに長けることになる。それは、今まで自分が無理をしていたことの再確認でもあるし、無理をしない生活を再構築するうえで必要不可欠の能力であると思う。しかし、それでも頑張っている人を見ると劣等感がつのっていくし、頑張らないことが何もないことであると考えることがある。でもその感情は、頑張ること自体ができていないことへの劣等感であって、何かの目標が自分にあってそれに到達できるほど頑張れていないことに対しての劣等感ではない。目標なしの努力ほど意味のないことはないとわかっていながらも焦ってしまうということがそういう負の感情につながるのだと考えている。

・でも、もし自分に到達したい目標が見つからなかったとしたら?と考えると、目標ありきの努力を重んじて一生何も残さないよりも、やみくもに頑張って何かを残す方が意味のあることではないかと考えたりもする。「何もないところから生まれて最終的には何もなくなってしまうとしても、何かを残したいと考え、残そうとすることが生きるということなんだよ(ド意訳)」って少女終末旅行でも言ってたし。

・それでもやっぱり、最終的には、目標がないのに頑張ることなんて消耗するだけだと私は思うので(人によって考え方は異なると思うけど)、だから今はいろんな世界に触れて、やりたいことをやってみることが最適解なのではないかと思うわけですよ。つまり、アマゾンプライムで映像作品を見ることで様々な世界に触れているので、アマゾンプライムはOKというわけだ。以上、自己弁護のコーナーでした。

・正直、今頃になってほかの人が普通に見えているであろう、やりたいことが見えるようになってきた。あと、最近イライラするという感情が分かるようになってきた。ほかの人と同じような感情を会得できたことで、より生活が楽になったような気がする。よかったね。

・日記なので最近あったことを一応書いておくと、飼い猫が1匹から3匹に増えたり、父と釣りに行ったり、角煮を初めてつくったりした。それ以外の時間は寝るかYouTubeをみている。

・さようなら

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