どうでもいいな
2023年12月12日~15日
・久しぶり。ヤマザキの餅×餡というパンがとてもおいしい。期間限定らしいのでまた近いうちに食べようと思う。
・この頃ずっと死にたくて、もう本当にどうしたらいいのか分からなかった。死にたすぎて、文章を書いたり、考えたりする余裕がなくて、ただひたすら毎日のルーティンになんとか生かされている日々だった。何人かの知人にLINEの語尾に「!」をつけて送りながら、全然そんなテンションじゃないのにクソが、などと思いながら日々を過ごしていた。
・昨日と一昨日が特にやばかった。排水口から髪の毛をとった際に、その髪の毛がゴミ箱に入らずにいつまでも手に張り付いていることにガチでキレたり、ゴミの日だからと思って自室にあるごみを共用部分に持っていったが、寮の人とすれちがって挨拶をしたものの返事が返ってこない上にゴミがすでに外に出されていたことに号泣したりしていた。文章を更新していなかった間は過食もひどかった。なぜか今日になってようやく回復したけれど、もうこんな思いは二度とごめんだと思う。
・文章を更新していなかった期間の初めの方は、今の自分が書く文章が心底意味のないものだと思ったので、書いていなかったというのもある。何を書いても、最終的に自分を鼓舞する言葉になるのが気持ち悪かった。それで一時的に酔えても、次の日には絶望していることを繰り返していることをなんとなく察してきて、こんな言葉はゴミだと思った。ある本を読んで、文章を書くよりも教養を身に着けようと思ったので、文章を書く時間を図書館に行く時間にあてようと試みたりしていた。図書館が自転車で片道30分ぐらいで、バイト終わりに行ける感じではなかったので1回でその試みは潰えたけれども。
・自分はずっと頑張ってきたのだと思う。自分はずっと頑張っていたという評価が自分をかばう類のものだったとしても、自分の人生を生きてきた当事者としてはその評価をしなければ、再び歩けそうにもない。寮に来る前、いや、もっとずっと前から、いろいろなことを考えていた。頭の中の考えに押しつぶされそうになっていた。家から出て、生活に慣れて、誰かの指図など関係なく自分の人生の渦中にいると思えるようになってから、ようやくいろいろと休まったのだと思う。ここ1週間ぐらいの地獄みたいな日々は、これまでの疲れの清算のために必要だったと思う。ここ1週間の前の期間も、ずっとうっすらと地獄ではあったけれど。
・このバイトを始めてから、自分のこれまでを言葉にして表に出す場面が何度もあった。過去を振り返っていた日々があったのに、いざ言葉にしようとするとうまくいかないことがほとんどだった。うまく言葉にできなかったことを後々振り返って、再び自分の中に落とし込もうとしながら仕事をしている日々だったと思う。
・私は、高校生の時からずっと死にたくて、就職して数日たって、この流れで行くと自分はずっと死にたいままだと思って1週間で仕事を辞めた。仕事をやめた理由はもっと詳しく言葉にできるはずだが、それでも根本には死にたい気持ちからの脱却があると思う。でも、それからもずっと私は死にたいままだった。今も死にたいままだ。正社員で働いていた時は、力が失われていくなかで無理やりちゃんとしなければいけない感覚があったから死にたかった。おそらく、本当は死にたくならないような環境だったのに自分の心の動きがおかしいから死にたいと思っているわけではなかったと思う。でも今は、自分の中に足りていない何かに過剰に囚われて、目の前の豊かさにも気が付けなくなっている感覚がある。私はいままで、いつか到達するゴールに到達していないから苦しいのだと思っていた。でも、生きている限り悩むものだし、何かしらは足りないものだと思う。たとえ、もしゴールみたいなものがあったとしても、その瞬間まで「死にたい」「自分が生まれたことに未だに納得がいっていない」などと言っている自分を考えるとぞっとする。そう考えると、もしかしたら今日から私は死にたい自分から抜け出せるのではないかと思った。でも、いざ死にたい気持ちから抜け出そうとしたときに、私は怖いと思った。死にたい気持ちからの脱却を目指してここまでやってきたのだから、死にたい気持ちから抜け出せるのはいいことのはずだ。でも、それを拒んでいる自分がいることに気がついた。
・この生に没頭することが怖い。自殺するという選択肢を失ったら、この人生で苦しみを感じたときに逃げ場がなくなると思う。「でも本気じゃないから」と思いながらでないと、苦しみに耐えられない。でも、死にたいと思い続けるのは○○だからよくないと思う、と書き続けようとしたけれど、改めて言葉にしようとすると、何がよくないのかうまく言語化できない。ただ、本気じゃないとダサいとは思う。事あるごとに「死にたい」と周りに湿っぽさをまき散らすのはダサい。「死にたい」より「生きていたい」の方がかっこいい。でも、常に前向きでいつづけようと思い始めたら、何かが狂うだろうなとも思う。
・死にたいとか、どこかで自分は自殺するのだろうなとか、そういうことを思い続けている限り、人生に対して本気になれないだろうなと思う。死にたいという思いが生み出す離人感のようなものが、全力を出しすぎる私にとっては処世術だったのかもしれない。でも、涙目で世界を見続けると歪むと思う。といっても、見続けると、しばらく見ていてその後復活するのとでは違うと思う。今の私は死にたいに溺れてはいないと思う。ならいいのか。私は、死にたい気持ちは苦しいから、その気持ちから抜け出したいと思っていた。もっと楽に生きたい。苦しいときに極度に苦しみたくはない。死にたいという言葉は自分にとっても周りにとっても大げさだと思う。
・ここまで書いて3日過ぎた。なんかもう書く気力が失せた。今は、なんだかイライラしている。なぜか休日の昼間なのに洗濯機が空いていないからかもしれない。1時間前に見に行ったときも誰か洗濯していた。他の人はほぼ毎日洗濯しているのに、なぜ今日も昼間から洗濯しているのだろうか。私は休日にまとめて洗濯をするので、こうなるとめちゃくちゃ最悪だ。
・とか書いても集中できないので、気がついたら夜になっていた。もう私は駄目なのかもしれない。軽率に遺書とか書きたい。なんかもう、「それでも」と言い続けることに疲れてしまった。ぼんやりと生きてチャンスを待つことにも疲れた。もう、終わらせよう。なんて、言葉だけ先行しているのはダサい。ダサいとかどうでもいいけれど、ダサくなったとてここから別の場所に行けるわけでもないから、それは救いにはならない。言葉がなにも浮かんでこない。なにもわからない。つくづく、私は生きるのに向いていないなと思う。ここは呪詛を書き連ねる場所ではない。
・それでも生き続けることが心底めんどくさい。この夜を越えるのは難しいが、越えたところでその先はずっと濁っている。
・さようなら
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