この夜を越えるための日記
2023年7月30日
・今日はいつものごとく危機を迎えている。楽しくなった後は最悪な気持ちになる。そういうことをいつも繰り返している。いつも繰り返しているけれどちゃんとしんどい。今日は久々に本気で死のうか考えたりしている。もちろん、そんなことできるはずもないので、おとなしくしている。
・おとなしくしていることについてもう少し詳しく説明する。疲れているのに眠ることができず、頭を打ち付けたり暴れたり泣きわめいたり叫んだり外に飛び出したり高いところから飛び降りたりしたいけれど、そのすべてができないのでどす黒いエネルギーを持て余したまま布団の上で静かにぐにゃぐにゃしている。
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・なんでこんなことになったんだろう。まず、父に休んだ後のことを詳しく聞かれた。カウンセリングに行くとか、働くためにどうしたらいいのかみたいなことをたくさん考えなければならなかった。それを拒むのは甘えだと分かっているけれど、それを考えることが辛かった。さらに、今の自分は内観することを頑張っていますと言ったところで、それが何につながるのか一番わかっていないのは自分だから、なんかもう何を信じたらいいのかわからない気持ちになった。あとは、今日はあるお話し会があった。私は行かなかったけれど、いろいろあってやけにそれが気になったりしていた。朝は母とヨガをやって肉体的に疲れた。その後、下駄の鼻緒をのばして足にならすために、きつい下駄を履いて散歩をしたから余計に疲れた。家に帰ってきて寝ようとしたら、隣で横になってスマホをいじっていた母から仕事の話をたくさんされて、布団から逃げざるを得なかった。キャンプで使うエアマットを膨らませて寝た。土日は家の中に居場所がないけれど、外も暑いから長時間いられないのが辛い。生きているのが辛い。何で生きているんだろう。まあそれはいいか。夜はお祭りがあって、家族と焼きそばを買い出しに行った。あと、瞑想の本が届いた。色々な方法があって、何から手を付けたらいいのかわからないと思うようになってしまった。瞑想がちょっとうまくいかなかったらすぐに「他の方法の方がいいんじゃないか?」ってなって瞑想に集中する動機が薄れたのが辛い。わたしはなにをしたらいいんだろう。何をすることに意味があるんだろう。誰の言葉も信じられないし届かないときはどうすればいいんだろう。
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・っていう夜の話です。早く死にたいです。っていう夜を越えたら多分死にたくなくなります。その朝を過ぎたらまた死にたくなります。色々あってそうこうしているうちに訪れる結末は、フリーターで、そのさらに先の結末は生活保護です。でももっと残酷なのは、死にたいほど虚しいのに死ねないことです。
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・助けてくれ。でももう誰も助けることができない状態であることを自覚しています。それだけではなく、こういう人間は割と多くいること、そしてそれを助けられる人間は本当にごくわずかであることを私は知っています。次に首を吊ろうとしたら入院です。多分惨めです。何をやっているんだろう私は。多分明日には元気になります。
・さようなら
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