嵐の前のさいごの静けさ

2023年10月12日

・嵐のような日々を過ごしている。そして、そういう時に決断をしてはいけない。それはわかっているけれど、怖い決断をするときは大概いつだって嵐のような心模様になるものだとも思う。

・私は最後の決断ができずにいた。今すぐに家を出るのか、1か月後に家を出るのか、はたまた2か月後に家を出るのか。そして、その後は家に帰るのか、帰らないのか。家を出るということは、働く場所や、その後健康に生きていけるかどうかの算段を立てること、持ち物を最小限に絞ること、必要なものを買うことなどの細かなステップが無数にある。そして、大きな決断も、小さなステップも、すべてがストレスになる。

・日曜日に母と大学の奨学金の行方やテーブルに置いてあったリストにまつわる話をした。

・月曜日は散歩をせずにはいられず、雨の中を散歩して必死で考えていた。スマホやパソコンをいじってしまって際限なく考えてしまっていた。

・火曜日はスマホとパソコンを完全に封じて、何も考えられないようにした。ここで夕方ごろまでなにもせず自分と向き合った。落ち着くことができた。そうしたら、やっぱり家にいる時間で自分に得られるものはもう何もないだろうという結論に至った。
・火曜日の夜には病院に行った。診察前のカウンセリングでいろいろな葛藤があることをなんとか伝えきったが、答えはでなかった。混乱している状態から抜けているときに物事を考えられるように、とりあえず来週まで様子を見ることで落ち着いた。その後、診察があった。診察では、2年3年先の計画を立ててその通りに行動しましょうという話をされた。私は「将来を探るためにまず短期でアルバイトをしようと思っているので、2・3年先の計画なんて立てられません」と言ったのだが、「現在地点からぱっと行動するのではなく、ある程度目測を立てて行動をしましょう」という感じで返されて、伝わらなかった。簡潔に書きすぎて上手く文章化できている感じがないのだが、私はこの時にはっきりと医者を見限った。自分に力があり、相手が病気だと、こうも簡単に他者に対して自分の人生観を押し付けるような言葉を投げかけてしまうのだと思った。相手が友達だったらこんな高圧的な言葉はかけないだろうけれど、病気になった瞬間に途端に正しい人生を歩むことを強制できるのはいったいどういうことだろうと思った。診察室の机に乱雑に置かれている本と金色のハンドスピナー、腰にぶら下げている車の鍵と家の鍵、まっすぐな眼差しでなんのためらいもなく人を説き伏せる感じ、すべてが本当に無理だった。診察室から出てからすぐ、受付にコカ・コーラ350ml×24本の段ボールが届いた。あの先生が多分飲むのだろう。その段ボールでなんか糸のようなものがぷつっと切れた。ここに来るのは今日を最後にしよう、そう思った。
・病院から家に帰ってから、母に「今日の先生の言葉の意味がよくわからなかった。2・3年後を見て計画を立てるっていうのは結局どういうこと?来週から単発バイトを始めて、2か月後に農業のバイトを始めるのは早いって言いたかったのかな?」と言われた。私がこうしたいという思いよりも、先生の一言をどのように解釈するかが母にとって、最も大切であることを再認識させられた。「来週聞けばいいんじゃない?」と私は何度か言って、結局その話を無理やり終わらせた。
・夜、2時間ほどしか眠れなかった。今週中に家を出ることは自分の中で確定したけれど、それでもいろいろなことが頭の中をぐるぐるして不安で不安でしょうがなかった。そういえば、最近読んだ本には、「私が瞑想をする」「私を安心させるために○○をする」みたいな感じで「私が」「私を」になったとたんに自分への欲が膨れ上がって心が休まらなくなると書いてあったことを思い出した。今まで自分は「私が早く眠れるようにしなければ」「私の心を落ち着かせなければ」という思いになることが多かったので、心の揺れ動きに寄り添ってみることにした。心は「怖い」と言っていた。「焦り」「不安」とラベリングしていたもやもや感の源に恐怖があることがわかって、ずっと泣いていた。そういうことをしているうちに眠りについて、2時間後にはアラームで目覚めた。


・水曜日、工場で単発バイトをした。家を出るための資金の足しにするためだ。3か月ぶりの労働だった。8時間ずっと立ちっぱなしでシール貼りをした。働いている最中は楽しかったけれど、7時間超えたあたりからもういいかなと思った。働いて疲れた後は急に弱気になって、1日で疲れているのなら何日も連続で働くのは無理かもしれないとか、これで疲れているのなら農業なんてできないのかもしれないとか、もうちょっと体力をつけるべきだったかもしれないとか、いろいろなことを思った。家に帰ったらなんだか急に虚しくなった。あそこで3日も働いていたら死にたくなるだろうなと思った。この日はご飯もおにぎり2個しか食べておらず、睡眠不足も相まって心身ともに張りつめていたと思う。9時に寝た。

・そして今日、起きたのは6時だった。久しぶりに朝まで眠ることができた。金曜日ぐらいから薬を切っているのもあって、朝までぐっすり眠れることがほとんどなくなっていた。その後もなんだかすっきりしないのもあって、12時ごろまで断続的に眠っていた。荷物を用意するのは明日でも間に合うから、今日1日はゆっくりしようと思った。そして現在15時。気持ちはある程度緩んで、現在は平常心に近いと思う。それでも、まだ心は完全に固まっていない。もしかしたら、せめて11月頭まで待てばよかったのではないかと思う気持ちもある。結局、ことを急ぐことに決めた最後の一押しは医者の言葉・態度と、それに対する母の反応だった。でもそれは、私の心が張りつめていたから最後の一押しになったのであって、もし平常心だったら行きたくない病院にあと2回通うことも、いても意味のない家に2週間いることもできたのかもしれない。でも、それをしなかったのにもちゃんと考えがあるから、やっぱりこれでよかったのかなとも思う。私はずっと揺らいでいる。

・そういえば、水曜日のバイトの休み時間に求人に応募した。まだ連絡を取り切ってはいないけれど、とりあえず働けそうな予感がしている。もし急遽ダメになったらさすがに11月にする。11月初めの求人は多いけれど、この時期にすぐに応募できる求人はあまりないのだ。

・以上だ。私はもっと冷静にならなければいけないと思うけれど、時間が待ってくれないことは往々にしてあると思う。ていうか、人生において誰にも完全には従わずに自分の意思で決める経験を積まない限りは決断の過程で冷静になんてなれないと思う。最後まで焦って、泣いて、それで決めた先でなんだかんだ大丈夫だったという経験を積んで、悩むことと決めることが一直線になって、ずっと頭の中をループすることから抜け出せるのだと思う。

・私は正しいのか、と何度も思った。正しさを与えられないことはつらい。正解は自分でつくっていくものだとわかっていても、それでもことあるごとに正しさを求めて苦しんでいる自分に行き当たる。どうしたらいいのだろうね。それでも、感情が揺れ動きながら進んでいくしかないのだろうね!

・さようなら


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