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Kaiserreich進捗報告119 ロシアその1

(原文はこちら)

ただいま!Rylockが再び戻り、ロシア・リワーク最初の完全な進捗報告を持ってきた!ここではロシア共和国の歴史を紹介する。内戦での白軍の勝利に始まり、先週の序文で伝えた通り、ボリス・サヴィンコフ率いる国家大衆主義の自由・祖国擁護同盟(SZRS)が国を率いる1936年のゲーム開始時までだ。今回はロシアの国家大衆主義ルートのみを紹介する。ほかのルートも当然存在するが、それは今後触れよう。

準備はいい?わかった、では始めよう。

開始状況

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ゲーム開始時のロシア共和国。前回紹介されたドン=クバン連合やトランスアムールのほかに、中央アジアのアラシュ=オルダもロシアの一部になっている。

ボリス・サヴィンコフは人によってさまざまな捉えられ方をされる。テロリスト、独裁者、救世主。だがロシア最大の有力人物であるのは誰しも認めるところだ。1936年、サヴィンコフはロシア共和国大統領の座にある。だがサヴィンコフは自らの支持基盤だけでのし上がった訳ではない。国辱と貧困の時代を経て、自由・祖国擁護同盟(SZRS)が1934年選挙で政権を握った。SZRSは王党派・国粋主義派のロシア統一会議(SOR)と連立を組み、中央ドゥーマで過半数議席を獲得した。陸軍の長、ラーヴル・コルニーロフの支援を得て、サヴィンコフはかつての国威と栄光を取り戻すべく、ロシアの脆弱さを取り除こうと動き始めている。しかし、いまだ道のりは不確かだ。王党派の「盟友」、手強い「民主派」野党、そして社会主義の残党が権力奪取のチャンスをうかがっている。サヴィンコフが失敗すれば、彼らも黙ってはいない。

1936年までの歴史

三つの大厄災

ロシア最初の大厄災(great catastrophe)は1914年に始まった。一発の銃弾が放たれ、ロシアは世界大戦に突入した。当初は機会主義と熱狂に突き動かされていたが、ドイツの軍靴によって、すぐに戦争は終わるとの夢想は打ち砕かれた。タンネンベルクの戦いに始まり、ロシア帝国軍は屈辱的大敗を繰り返した。

三年後の1917年、状況はひっ迫していた。中央同盟は人口数百万人を抱えるロシア領を占領していた。ロシア軍は多大な犠牲を払い、ドイツ軍の猛攻をどうにか押しとどめていたが、食糧不足、流言飛語、政治弾圧が重なって大きな怒りが巻き起こり、その憎しみはただ一人、皇帝ニコライ二世に向けられた。皇帝は前線での軍の敗北の原因とみなされ、日に日に人心が離れ、治世の終わりが近づいた。そして2月、皇帝は退位に追い込まれた。数百年に及んだツァーリ専制は終わりを迎えた。ロシアの新たな指導者たちは民主的選挙と帝政時代の弾圧の終わりを約束した。

だがロシア共和国にとって不運なことに、まだ戦争問題が残っていた。新しい指導者たちは西部の同盟国を見捨てようとはせず、国民に母国防衛の継続を訴えた。結局「ケレンスキー攻勢」は大失敗に終わり、共和国指導部の望みは机上の空論に終わった。そのうえ食糧不足とインフレ問題が相変わらずロシアに蔓延していた。かつてツァーリを打倒した不満の渦がふたたび膨らみ、今度は新生共和国が打倒された。

ボルシェビキはドゥーマの政治家たちと違い、平和を約束した。ペトログラード冬宮殿の奪取後、ボルシェビキはあらたに新生ロシア政府を樹立し、ブレスト=リトフスク条約に調印し、ロシアは世界大戦から離脱した。条約でロシアは人口の三分の一を抱える、もっとも有益な土地を失った。こうして第二の大厄災であるブレスト=リトフスク条約が終わったが、悪夢はまだ始まったばかりだった。

第三の、そして最後の大厄災、ロシア内戦が始まった。ボルシェビキの権力奪取からほどなくして、反革命勢力が結集し、急進勢力の打倒を目指した。情勢はゆっくりと赤色勢力の不利に傾いていった。レーニンは暗殺者の魔手によって早すぎる死を迎え、中央同盟の世界大戦勝利は、ボルシェビキからウクライナなどの西部穀倉地帯を奪取する機会を奪った。

その頃、ボリス・サヴィンコフはコルニーロフやミハイル・アレクセイエフの支援を得て、ロシアの敵と戦う組織、自由・祖国擁護同盟(Soyuz Zashchity Rodiny i Svobody)を結成した。SZRSは中央ロシアで大規模な蜂起を成功させ、一躍戦争の英雄となった。中でも北方戦線のアルハンゲリスク攻防戦、ボルシェビキのトゥハチェフスキー将軍を相手取った「北部雪中行軍」では大きな戦果を挙げた。SZRSは戦時中に解体され、ふたたび社会革命党右派に統合されたが、彼らのメッセージや、戦時中に培われた同胞意識は消えなかった。

1920年8月、二週間に及んだ包囲戦の末、とうとうモスクワが白軍の手に落ちた。革命勢力は最後の拠点アルハンゲリスクに撤退し、一部は赤色フランスに逃れ、残りは全滅した。ロシア内戦はようやく終わった。

不安定な共和国

だか赤色勢力への勝利には大きな代償が伴った。国の社会、経済、政治は荒廃していた。新たに編成された臨時政府はとにかく平和を確定させようとし、ブレスト=リトフスク条約を改めて受諾した。ボリス・サヴィンコフはこの行動を激しく糾弾した。1922年には戦後初の自由選挙が開催され、カデットと社会革命党は連立を形成し、以後十年間のロシア政治を担った。

悲しいことに、次の十年は屈辱の連続だった。1926年、ロシアは底なしの経済崩壊に陥り、ドイツに救援を求めた。結果として独露通商・借款条約、通称「ヴィリニュス条約」が結ばれ、ドイツの大規模投資の道を開いた。サヴィンコフ(当時すでに社会革命党から離党し、SZRSを独自の政党として立ち上げていた)は条約は裏切り行為であると激しく反発した。それでもロシアの崩れかけた経済には持ち直し、部分的な工業化も進んだ。……だがそれと引き換えにドイツの影響力は増大し、ロシアの主権は大きく損なわれた。

次の年はもっとひどかった。1927年、ロシアは極東での地位を回復すべく遠征を実施し、東中鉄道の奪取を狙った。満洲の張作霖率いる軍閥との一方的な戦いになると予想されていたが、日本の予期せぬ介入と、コンスタンティン・サハロフ将軍の無能が重なり、作戦は屈辱的敗北に終わった。社会主義勢力とSZRSはこの敗北で勢いづき、共和国の無能の証左と断じた。

ヴァシリー・ボルドィレフ将軍はこうした急進勢力の拡大を懸念し、1929年に急進派弾圧と「治安回復」を目的とした決起を敢行した。最終的に蜂起は失敗に終わり、ボルドィレフは亡命したが、政権の脆弱さには何の変りもなかった。さらに1932年にはタンポフ農民反乱が発生した。共和国の農地改革の失敗に怒るタンポフの農民に対して、政府は迅速かつ残忍な対策を講じた。蜂起は軍の力で鎮圧されたが、サヴィンコフはこの動きを非難し、一躍人民の味方となった。そして1934年選挙では、旧政府の腐敗と破綻に行かれる人々に押し上げられ、とうとうSZRSがドゥーマ最大勢力となり、政権を握った。サヴィンコフの国家回復の公約は、それまでの新生共和国ではどの政治グループも享受できなかった大きな求心力と人気を集めた。

だがしかし、サヴィンコフが勝利をつかんでも妨害がなくなった訳ではない。ヴィクトル・チェルノフ率いる民主派野党は今なお上院では拮抗しており、大統領の改造・改革公約をほとんど食い止めている。その他の反対勢力も社会や軍内部に存在し、社会主義やはたまた帝政に思いをはせている。サヴィンコフは自らのヴィジョンに従ってロシアを改革できるだろうか?それとも反対勢力がサヴィンコフの計画を食い止めるのだろうか?それはまだわからない。

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暗殺

1月4日、モスクワに銃声が鳴り響く。ボリス・サヴィンコフの仇敵である民主派野党の盟主ヴィクトル・チェルノフが暗殺される。

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ヴィクトル・チェルノフがペトログラードのスモーリヌイ修道院で暗殺される。社会革命党と野党連合が分裂する中、与党の関与を疑う声が出始める。


犯人は誰か?単独犯だったのか?みなが考えているように、サヴィンコフとSZRSは本当になにも関与していないのか?プレイヤーはこの疑問に答えを出す。選択肢によってその後のイベントが変わり、ラーヴル・コルニーロフは引退する。

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サヴィンコフの後援者である陸軍大臣コルニーロフがチェルノフ事件に介入せず、捜査の不手際の責任を認めて突如引退する。軍内部でも反目しあっていたはずのデニーキンとヴランゲリが手を組むなど、サヴィンコフ政権にとって不利な状況だ。

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こちらではコルニーロフがチェルノフ暗殺事件の捜査に介入し、陸軍大臣のまま怪我で死亡する。デニーキンら軍部は国葬待遇を求めているが、左派や自由派の政治家からの反発が予想される。野党政治家からは事件の黒幕とみなされ、SZRSにも反対の声が向けられている。


コルニーロフが死ぬと、サヴィンコフは王党派のピョートル・ヴランゲリか、共和派のアントン・デニーキンの内どちらかの新たな軍指導者と手を組まなくてはならない。どちらにせよコルニーロフほど確実な盟友ではないが、しかし二人がなびいてくれるかどうかが命運を左右する。そしてもっと重要なことに、チェルノフが死んだのち、野党は混乱状態に陥る。これまでの投票妨害戦術もバラバラになる。大統領は妨害されることなく、ゆっくりと国家の全権を掌握していく。

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反対勢力の最高裁判所に対する不信任投票を行い、司法制度を取り込む。裁判長のヴラジーミル・ナボコフは小説家ナボコフの父。

だがサヴィンコフは権力を増すにつれ、注意を払う必要がある。SZRSは勝利と繁栄を公約している。どちらも実現できなければ、政府は民衆や、場合によっては軍からの怒りに対処を迫られる。

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どちらも始めは熱烈な支持を捧げるかもしれないが、いずれは怒りを増幅させるような決断を下さなくてはならない。ここでも必要なのは妥協であり、時には互いに争うよう仕向けることも求められる。民衆と軍が満足し、ドイツへの最終的勝利を達成すれば、大統領の権力は恒常的に確立される。

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ロシア国

チェルノフ暗殺の余波で、ロシア政府はさらにサヴィンコフの手中に落ちていく。最終的に、サヴィンコフは絶対的権力を手中におさめ、憲法を改正し、終身大統領に就任する。プレイヤー国家は新しいポートレートと国家名、それに新しい国旗に変わる。

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これはその後の順風満帆の滑り出しを意味しない。ロシア内部にはなおも多くの敵が潜み、ドイツと日本にとっては格好の標的となる。

コーカサスでは、ドイツは亡命将軍のヴァシリー・ボルドィレフを支援し、新政権への反乱に誘導する。

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史実のボルドィレフは極東の白軍勢力の臨時全ロシア政府の幹部。

コーカサスには親サヴィンコフ派のコサックと、コサック以外の「よそ者」や特権のない山岳人が対立しており、ドイツはここに付け入ってくる。ボルドィレフの反乱はコーカサス地域全域に広がり、政府は対策として時間と政治力を費やさなくてはならない。そしていくつかの連鎖イベントが発生し、選択肢によってボルドィレフ反乱はより勢いを増すか、あるいは減少する。もちろん、政府は慎重を期さねばならない。厳しい対応は民衆を怒らせてしまう可能性があるが、かといって失敗すれば軍が怒る。
それでも何らかの対抗策を講じ、ボルドィレフと戦わなければならない。戦争がはじまると、ドイツはボルドィレフの支配地域で自由ロシア軍を蜂起させ、自分たちの味方にしてしまう。

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また日本もロシアの野心を警戒しており、ボルドィレフと同じ有力者、恥ずべき将軍のグリゴリー・セミョーノフを支援する。

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セミョーノフは配下の退役兵や犯罪者、傭兵の支援を受けてトランスアムールに浸透し(もちろん関東軍から潤沢かつ秘密裏に支援されている)、地域の支配権を奪おうと草の根運動を展開する。

ボルドィレフ同様、ロシアが全面戦争に陥ると、セミョーノフも蜂起し、ロシアは新たな戦線を抱え込むことになる。

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ボルドィレフと違い、セミョーノフは自分の富と権力以上の野心を持たない、一介の軍閥でしかない。セミョーノフはロシアに民主主義を取り戻そうとは望んでおらず、ただシベリア一帯の支配を望んでいる。この目標は日本の対ロシア政策とも一致している。

ボルドィレフとセミョーノフの反乱は当然サヴィンコフの活動にとって向かい風だが、不利な要素ばかりではない。国家大衆主義のロシアでは、「ボスホート(夜明け)計画」を実行し、工業化を大きく進めることができる。

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ロシアの工業化・経済問題解決を目指すボスホート計画。国民からは圧倒的な支持を受けている。


ボスホート計画の下、ロシアの人的資源(ほとんどが若く、失業した男性)は「労働軍」に入隊することになる。土地に定住し、工場を建設し、鉄工所を開設し、最終目標である外国との戦争勝利に向けて進む。

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慎重にリソースを管理すれば、ロシアは瞬く間に工業大国となり、ドイツとの最終決戦にも備えられるだろう。

だがこうした大きな成果はタダでは手に入らない。労働軍の兵士たちは事前に説明されていたよりもはるかに劣悪な待遇に置かれる。中には収容キャンプとしか言いようのない場所まである。計画が進むにつれ、世論はプレイヤーが知ってほしくない事実に気づく。

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予算不足で当初の宣伝よりもはるかに劣悪な労働環境が蔓延しているとの報告が届き、そのうえ情報が明るみに出てしまう。

状況を放置すると、世論は大きく声を上げ、プレイヤーは政策の早期打ち切りに追い込まれてしまう。

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他にも要素がある。ロシアのようにドイツ経済と結びつきの強い国にとって、ブラック・マンデーは大きな困難にもなるが、一方でチャンスでもある。

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ロシア国内のドイツの経済的影響力にはレベルが設定されている。ゲーム開始時にはかなり高いレベルだが、ブラック・マンデーによって大きく低下する。そうすればロシアへの束縛は緩み、一定の影響力を取り戻せるかもしれない。

ドイツとロシアの経済が十分に回復すれば、二国は影響力の増減を巡って駆け引きを始めることができる。
だがロシアはドイツの経済的影響力を排除する方法を見つけなければならない。影響力が残った状態でドイツとの戦争がはじまると、(残っている影響力レベルに応じた)大規模な経済的混乱が、最も余裕のない時期に襲い掛かってくる。

こう尋ねるかもしれない。それだけ?サヴィンコフのロシアはすべての時間を反乱への対処と対独戦の準備に費やす以外にないのか?

確かにドイツは克服すべき最大の仇敵で、サヴィンコフの公約の中心は東欧領土の奪還だ。だがしかし、他の正面にも注意を払う必要がある。モンゴルと中央アジアは最初の数年間の激戦区となる。

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シベリア鉄道がモンゴル人馬賊に襲撃され、大きな被害を受ける。ウンゲルン=シュテルンベルクに犯人の追跡と引き渡しを要求することもできるが、軍部はシュテルンベルクを微妙な立場に追い込んでしまうと反発している。


そしてロシアの対ドイツ積極外交はドイツの同盟国のフィンランド、ジョージア、そしてウクライナにまで及ぶ。だがこの際、ドイツの経済的影響力を双方の追加の交渉材料として使い、衝突の結果を左右することができる。

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ジョージア系経由でドイツからボルドィレフに武器が供給されている。外交圧力でジョージアを屈服させるか、ジョージア国内のオセット人を蜂起させることができる。


そしてブレスト=リトフスクの雪辱を晴らしたのち、サヴィンコフがどこに目を向けるか、それは誰にもわからない。

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付き合ってくれたみんな、ありがとう!次回のロシアの進捗状況では、他のルートを紹介する。ロシア帝国の復活、民主制の復活、そして社会革命党左派による労働者の大義への参加だ。ほかにもボルドィレフとセミョーノフ政権についても少し触れる。どちらもプレイ可能国家だ。
最後に、新たなゲーム開始時のロシア陸軍・海軍の面々をお届けしよう。長い間、これはKRの不満の種だった。リストは実質的に1918年をそっくりそのまま引き写したかのようで、ポートレイトもそうだった。彼らはゆっくりと年を重ねたが、我々は人物とポートレイトの両方を更新するというヘラクレスのような偉業を達成した。

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それと、まだ残っているものが一つ。前回の報告で、アレクサンドル・ケレンスキーの行方についていくつかの質問が寄せられた。Kaiserrreichで毎回ゲーム序盤に銃撃されないケレンスキーは、いったいどうしているのだろう?

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かつてのロシア臨時政府の崩壊はロシア内戦の勃発を招いた。その主犯格とされる元臨時政府大統領アレクサンドル・ケレンスキーは、サヴィンコフ政権はロシアを専制時代に引き戻し、かつてボルシェビキに勝利して以来進んだすべての進歩を破壊しているとして、真っ向から批判した。ケレンスキー元大統領は、ロシア政府がチェルノフ暗殺事件の捜査をコルニーロフ将軍に一任した点を強く非難し、「さながら狐に鳥小屋の番を任せるようなもの」と痛罵した。大統領時代の陸軍大臣であったサヴィンコフに対しても容赦なく、「この蛇(サヴィンコフ)はかつて20年前にコルニーロフと手を結んだ時と同じように、今日のロシアの自由を絞め殺すだろう」と述べた。
ケレンスキーがロシア情勢にコメントするのは今回が初めてではない。だが歳月を経て、ケレンスキーの声明は恒例行事となりつつある。指導者としてのわずかな期間のうちに、ケレンスキーはロシア国内の最も熱心な支持者からも敬遠されてしまった。今では多くのロシア人にとってのケレンスキーは色褪せた遺物であり、過去の成果を利用し、だまされやすい西洋人相手の講演会で食い扶持を稼ぐ存在だ。現在ケレンスキーはニューヨークで亡命生活を送っている。直近の扇情的な声明文はヨーロッパやアメリカの新聞各紙に掲載されているが、当のロシア本国では完全に無視されている。


今回の最初の報告を届けてくれた、他のロシア・リワークの開発チーム(FallingStory、DDago、そしてGideones)に多大な感謝を!そして新たな情報とともに、またお会いしましょう!

質問

Q.自由ロシアとトランスアムールの反乱を完全に食い止めることは可能?

A.完全には食い止めれない。最小限にとどめることはできるが、支援が送られる限り、完全には止められない。

Q.内戦からサヴィンコフまでの大統領は?

A.パーヴェル・ミリューコフ(制憲議会初代暫定大統領、ブレスト=リトフスク条約締結後辞任)→アレクセイ・グチコフ(名目上は無所属候補、実質的にはカデット候補。1925年危機まで任期満了)→ニコライ・アレクセイエフ(社会革命党出身。1926年当選。東中鉄道紛争での敗北で失脚)→バディム・ルドネフ(社会革命党出身。1932年にタンポフ農民反乱で失脚)→ヴァシリー・マクラコフ(カデット出身。1934年に社会革命党=カデット連立がSZRSとサヴィンコフに敗北して辞任)

Q.サヴィンコフはまだヴォシチ(Vozhd)と呼ばれている?

A.非公式にはそう。

Q.コルチャークは?

A.コルチャークは史実と同じく白軍の指導者。内戦後に辞任し、以後は一総督として奉仕している。

Q.サヴィンコフの帽子は?

A.我々も最初はショックだった。しかしRyrockの新しいポートレートのクオリティは素晴らしく、自信を持って新しい禿げ頭のヴォシチのポートレイトを見せるしかない。

Q.ウンゲルンの方針ツリーは大きくなる?

A.なる。

Q.日本は奉天に続いてトランスアムールと弱くなってない?

A.今回のトランスアムールのリワークの背景の一つに、日本に有益な隣国とロシア極東でのコンテンツを用意する目的がある。今後のトランスアムールはこれまでのぼーっとしたAIに変わり、日本も含めて多くのことをやってくれるだろう。



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