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『日常生活・2』

 この話は2012年6月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第56作目です。

 最近ニューヨークに関連した本を続けて手に取った。その中には最近出た雑誌もあったので、今はニューヨークが流行なのかも知れない。     

 トラベラーズノートのプロデューサーである飯島淳彦氏に薦められて読んだ「Brooklyn Neighborhood」というブルックリンのガイドブックもその中の一冊だ。ブルックリンはピート・ハミルの書いたもの等を読んで気になっていた街ではあったが、この本のお陰でどんなところかが分かり、行ってみたくなった。気になるところに付箋を貼りながら読み進めたが、読み終わると、本が付箋で一杯だった。

 雑誌「Pen」も最新号で、「古きよきアメリカを探して、男のニューヨーク」という特集を組んでいた。ここにも訪れてみたいと思わせるバーやレストランが紹介されていた。そんな本や雑誌を、行きつけの麻生珈琲店で挽いてもらったニューヨークブレンドを自宅で淹れて、飲みながらゆっくりと眺めた。そのコーヒーのどの部分がニューヨークなのか、今度お店に行った時に麻生社長に伺ってみようと何度も思うのだが、まだ果たしていない。

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 そんな時に、ニューヨークに住んでいる従姉の義母アンから絵葉書が届いた。アンは「訪れた証・2」と「再会」に登場している。アンはロングアイランドに住んでいて、よく絵葉書を送ってくれる。ニューヨーク以外のアメリカの何処か、もしくはヨーロッパ等の旅先からがほとんどなのだが、今回はセントラルパークの絵葉書だった。ある週末にマンハッタンでその僕の従姉や、「再会」に登場したティム(アンの次男)達と過ごしたようで、楽しかったと書いてあった。

 まさにニューヨークに関する書物をいろいろと読んだり眺めたりしている時だったので、高層ビルに囲まれた中に緑が広がっているその絵葉書の到着は、偶然だがいいタイミングであった。現地の空気を吸い込んでいる絵葉書を受け取る前と後では、面白いもので、書物への入り込み方が自然と変わっていた。ニューヨークはしばらくご無沙汰しているので、行きたいと無意識に強く思っているからだろう。

 「日常生活・1」では、ロンドンで床屋に行った話を書いたが、ロンドンで髪を切ったそのちょうど1年後の1988年にニューヨークで床屋に行った。海外で髪を切るということを一度経験していたので、二度目となるニューヨークでのその散髪は、今思うとそれほど印象には残っていない。

 当時滞在していたロングアイランドから電車でマンハッタンのペンステーション(ペンシルベニア駅)に着いて、駅を出て右に曲がり、床屋を探して左右をキョロキョロしながらひたすらマンハッタンを歩いた。ロンドンほどすぐには見つからなかったが、いかにも昔ながらの床屋という風情の一軒を見つけた。お客は誰も居なくて、お店の人達が暇そうに散髪用の椅子に腰掛けていた。ふらりと中に入って予約は無いが髪を切って貰えるかと聞くと、笑顔で “No problem” と言いながら椅子へ案内してくれた。店の人が発したその “No problem” には、見ての通りこんなに暇なんだから予約なんて要るわけないだろうというニュアンスが伺えた。

 床屋で髪を洗ってくれる場合、日本と違って髪を切ってくれる人と洗ってくれる人は海外では別であると聞いていた。ニューヨークでは別々だったことを何となく覚えている。それは、髪を切ってくれた人と洗ってくれた人それぞれにチップをあげたことを薄らと覚えているからだ。髭は日本と異なり剃ってくれなかったはずだ。ロンドンの時ほどドキドキもワクワクもせず、落ち着いて髪を切って貰えた。一度でも海外で髪を切るということを経験してしまうと、こうも落ち着いて居られるものかと思った。どのように切って欲しいかも伝えられ、何の問題もなく髪を切ることが出来たので、当時の僕は店を出た後で、きっとニューヨーカー気取りだったと思う。思い出すと何だか恥ずかしい。

 回数では欧米の何倍もアジアを旅しているが、アジアでは髪を切ろうと思ったことは何故か一度もない。床屋に行く必要が出てくるほど長い滞在を、アジアの旅ではこれまで経験していないからかだろうか。目や髪、そして肌の色の違う人に切って貰ってこそ、非日常の旅先で日常生活の一つが完結するのだという無意識の思いが、自分の中にきっとあるのだ。その思いにより、アジアで切るなら日本で切っても同じとなり、行動に移させないのだろう

 今回手に取った本の中で、「NYのおさんぽ Walking on streets of NYC」というパノラマを上手く用いた本があったので、ゆっくりとページを繰りながらそれらしき床屋を探したが見つからなかった。いつの間にか本の中に入り込み、街を歩いている気分になってキョロキョロするかのように床屋以外のことに注意を奪われていたので、もしかしたら見落としていたのかもしれない。

 ニューヨークのその床屋で最後に髪をセットして貰っている時に、実際はそんなことはないと思うのだが、日本人の黒髪がそのお店では珍しかったらしく、僕の髪をセットしてくれた女性の理容師が、セットをしながら何度も “Beautiful !”と言っていた。

 先日洗面所の鏡の前で髪を掻き上げると、ニューヨークで “Beautiful !”と言われたその黒髪に白い物が随分混じっているのに気が付いた。ニューヨークでの散髪を思い出しながらそれを見た時に、時間の経過を思い知った。

 再びニューヨークを訪れるチャンスがやってきて、マンハッタンを自由に歩く時間があったらその床屋を探してみたい。もし見けられたら、“Beautiful !”と笑顔で独り言ちたいものだ。


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