見出し画像

『Bell Deskにて・5』

 この話は昨日2022年1月6日にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された僕が書いた旅のストーリーです。そのままここに掲載いたします。これは掲載第171作目です。

 年明けの掲載が叶うように2021年12月の末にこの話を書いている。例年新年の掲載を考えて年末に原稿を用意するこの時期はちょっとだけ一丁前の作家になった気分になる。

 仕事をしながらの月に一作の投稿だが、年末は素人でも毎日が慌ただしい。各メディアに連載を持っている作家たちが本当に「師走」を感じているのを察する。

 2021年も旅がままならず、旅先で食べたものを再現している都内のお店を訪れるのが精一杯だった。振り返ると旅先で食べたものの話を6話も書いていた。

 この話が掲載されれば台湾の話が4話連続となる。次は別の場所の話を予定している。もう1話台湾の話にお付き合いを。

 航空会社に勤めていたころの出張で、自社便が乗り入れていないところへ行く際は、「自社便で行かれるところまで行く」というルールがあった。

 高雄から大阪へ新路線を出す準備の際は成田から自社便で台北まで行き、国内線で高雄へ行った。21時台に台北の桃園国際空港に到着する自社便だと高雄行きの国内線に乗り継ぐことはできなかった。スケジュール上は可能。しかし、成田と台北で離発着が遅れたり、入国審査が混雑すると不可能だった。

 台北に到着後台北市内へ移動して一泊。翌朝市内の松山空港から路線バスのように台湾の航空各社が何便も出している国内線の中から適当なものを選んで通勤カバン一つで高雄へ飛んだ。

 高雄での仕事を終え、適当な国内線で台北まで戻る。台北に住んでいて高雄へ通勤しているような感覚だった。そして翌日自社便で成田へ戻るというスケジュールが多かった。

 21時台に成田から自社便で桃園国際空港に到着して台北市内へ移動。3, 40分もハイウェイを走ると車中から見える景色が少しずつ賑やかになり始める。  

 ライトアップされて暗闇にクッキリと浮かび上がった圓山大飯店が左手に突然現れる。何度目にしても座り直して窓に顔を近づけてしまうほどの絶景だ。台北にというより台湾に来たなと思う瞬間だ。

 桃園国際空港からの台北市内への移動といえばバスという僕と同世代、もしくは上の世代の方は、左手に圓山大飯店が見えてくると台湾に来たと思うこの感覚は理解できると思う。

 桃園国際空港からの市内への移動といえば僕より若い世代は2017年に開通したMRTだろう。移動中のどこかのタイミングで見えてくる台北101を目にしたときに彼らは台湾に来たと実感するのだろうか。

 グランドホテルのほうが圓山大飯店より通りがいいだろう。台北というより台湾のアイコン的な存在のグランドホテルを2回訪れたことがある。宿泊したことはない。

 初回は接待の夕食で。グランドホテルはかつて機内食の会社も持っていた。自分が勤めていた会社は長いことそのグランドホテルの機内食会社に台北発のフライトの機内食を任せていた。

 1995年にアジアの乗り入れ地の機内食会社を監査する部署に移った当時はまだグランドホテルの機内食会社だった。僕にとってグランドホテルは台湾を代表するホテルというより機内食の会社のイメージがいまでも強い。

 会食は監査が終わった後だったと思う。夜景がよく見えたホテル上階の中華レストランだった。どこで何を食べても大ハズレが少ない台湾なので、そのきっと高価なレストランも美味しかったはずだが何を食べたかは覚えていない。

 こちらは一人、先方は八人いた会食だった。こちらは台湾ビールを飲んでいたが先方はジョニ黒を何本も空けていた。

 その会食の席のために冊子のメニューまで用意されているほどのもてなしだったが、きっと先方の参加人数とジョニ黒の印象が強すぎて料理の印象がなくなったのだと思う。

 その八人の中にはその会食の席で初めて会った人もいた。グランドホテルの機内食会社はその後間もなく競合他社が次々と現れたこともあり閉鎖された。

 帰りがけにベルデスクに立ち寄ってホテルステッカーの有無を尋ねた。思わず「おっ!」という声が漏れたくらいいいものが出てきた。「そうそう、こういうのが欲しいんだよな」というものだった。

 これはいまでも気に入っているホテルステッカーのひとつだ。どこでも必ず未使用が手元に残る枚数を貰う。スーツケースに貼る以外にあと何枚か貰ったはずである。この話を書く際に探したが見当たらなかった。

画像1

スーツケースに残っているこのステッカーはホテルステッカーマニアには堪らないと思います。 もっと貰っておけばよかったといまでも思います・・・。

 2回目は2007年に約7年ぶりに台北を休暇で再訪したとき。台北到着が午後の早い時間でかつての仕事仲間との会食の約束まで結構時間があった。

 故宮博物院を一人でゆっくり堪能したいとそのとき同行した母とグランドホテルでお茶を飲もうとなった。香港に着いて旅装を解いたあとでペニンシュラへお茶を飲みに行く感覚だった。

 訪れた時間のせいか館内は閑散としていた。場所も高台にあり、街歩きや気軽な立ち寄りには不便な印象だった。香港のペニンシュラ、シンガポールのラッフルズ、東京の帝国ホテルのような「お茶やお買いもの」等での使い勝手の良さは感じられなかった。欧米人の往来も記憶にない。

 外観は圧巻で存在感はその3つの世界的なホテルに全く引けを取らない。だが、昨今のSNSにはグランドホテルの外観の写真すら見かけない。トラベラー的には写真を撮りに行くだけでも不便というイメージなのだろうか。

 控えている会食は盛大になることが目に見えていた。コーヒーだけにしてコーヒーハウスを後にした。

 何か記念になるものをと思い、フロントで見つけたホテルの模型(フィギュアのほうが通りがいいだろうか)を買った。食指が動いたのはこれだけ。そのフィギュアは自宅の靴箱の上にラッフルズホテルのものと数々のスノードームとともに並んでいる。

画像2

これがその模型というかフィギュアというか・・・。結構重いです。

画像3

細部までいい仕事をしています。まだ売っているのでしょうか・・・というか、買う人がいるのでしょうか・・・(苦笑)。

画像4

夜景は再現できませんでしたが、ハイウェイからは確かこの角度で正面玄関から上が結構ハッキリと見えた記憶があります。

 フィギュアを買った後でベルデスクへ。初めて訪れたときに入手して以来ずっとお気に入りのあのホテルステッカーはまだあるだろうかとドキドキしながらベルクラークに尋ねた。

 好きなだけどうぞとでもいうようにどっさりとくれたホテルステッカーはずっと欲しかったものとは異なった。最初に貰ったものよりかなり見劣りした。見劣りしたのは日本語が書かれているせいだと思った。この日本語がなければ「欲しかったものとは異なったがこれも素晴らしい!」となったのだが・・・。

画像5

あまりの見劣りに一瞬絶句してしまいました(苦笑)。日本語が残念・・・。欧米人のホテルステッカーマニアは漢字とカタカナに喜ぶかも知れませんね。URLがしっかり入っています(苦笑)。

画像6

こんなに貰いました。まだあります。中目黒のトラベラーズファクトリーでお会いした方でご希望の方に差し上げようかな・・・(苦笑)。

画像7

     スーツケースに貼った後の経年変化はこんな感じです。

画像8

2007年の台北再訪の記録を収めているバインダー。その年は香港と台北へ。当時はひとつのバインダーで2回分の旅の記録が収まっていました。   ホテルの表記が香港は「酒店」、台湾は「飯店」なのが分かりますね。

画像9

旅の記録のグランドホテル再訪のページ。               通常ホテルステッカーはこのように贅沢に使いません。どっさりいただいたしせっかくなので・・・(苦笑)。

グランドホテルのウェブサイトをチェックしてみた。開業は1952年。オーナーはあの蒋介石の夫人で台湾最初の五つ星ホテルだとか。ロケーションは圓山の中腹とあった。高台にある印象はこのためだったのだ。山の中腹にあるホテルだったら街へ出て行くのに少々不便を感じるのも無理はない。

 高台といえば御茶ノ水の山の上ホテルも大通りからホテルへ続く坂道が結構しんどい。タクシーで上り下りしただけだったが、グランドホテルも正面玄関に着くまで結構急勾配で徒歩ではかなり厳しいと思った。御茶ノ水の山の上ホテルよりももっとしんどいと感じた。グランドホテルのロケーションがいくらか伝わるだろうか。

 次回の台北再訪ではあえてグランドホテルも再訪してみようと思う。宿泊はしないと思うが朝ごはんに興味がある。

 それから、ロケーションがもうひとつという印象を覆すに足るお気に入りとなるスポットがあるかもしれないので、高台を下りた周辺を歩いてみたい。正直期待薄だけれど・・・。

 ホテルステッカーはまだあるのだろうか?あったとしたら新しくなっているのだろうか?それが不便なロケーションを忘れるくらいのものだったら嬉しい。再訪の一番の目的はホテルステッカーかもしれない。

追記:

1.「Bell Deskにて」シリーズは5作目になりました。以下未読の方は合わせてご笑覧ください。

『Bell Deskにて・1』(香港)

『Bell Deskにて・2』(ホーチミン)

『Bell Deskにて・3』(マニラ)

『Bell Deskにて・4』(ソウル)

2. 以下のタイトルで台湾の朝ごはんの話を書いています。未読の方は是非合わせてご笑覧ください。

 『待ち焦がれて』


画像10

「おとなの青春旅行」講談社現代新書

「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?