『スライス・オブ・ピッツァ』
あれは確か6,7年ほど前だっただろうか。いつものようにコーヒー豆を買いに市川の麻生珈琲を訪れたときだった。
オーナーの麻生さんのご子息で我が家では「二代目」と呼んでいる寡黙な麻生君がいた。注文したコーヒー豆をパックしてくれながら、「津久井さん、すぐそこにニューヨークスタイルのピザのお店が出来たんですよ。ご存知でした?」と話しかけてきた。
お店では食事のメニューを一手に担っている二代目とは世界の食べものの話を、コーヒー豆を買いに行って顔が合えばだが、よくする。アメリカ留学の経験がある二代目がバンズなど材料を厳選したクラシックバーガーは絶品。
寡黙な二代目が自ら教えてくれるくらいだからきっと美味しいに違いないと思い、行ってみることにした。
JRの市川駅を背中にして商店街を抜けたところの信号を左折して直進すると麻生珈琲、左折せずそのまま数十メートル進むとそのピザ屋があった。(興味を持った食いしん坊の旅好きはここまでの道案内で辿り着けます)
店内にカウンター5席の小さなお店だった。テイクアウト・・・いや、ニューヨークスタイルだから “To Go”が主の様子だった。
席に落ち着いてゆっくりとメニューを見た。二代目が言っていた通り、ホールではなく、スライス一枚から注文できた。シンプルなチーズとペパロニのピザをそれぞれ1スライスずつオーダーした。
紙皿にから大きくはみ出したピザを見てハッ!とした。「これは!」となった。
1988年大学三年生の夏休みにニューヨークの郊外のロングアイランドにある大学の英語学校に一月通った。授業が休みになる週末に、当時ロングアイランドに住んでいた従姉夫婦が寮から連れ出してくれた。引っ越しを考えていた二人の新居探しにくっついて行った。
お昼にしようということになり、ピザを食べることになった。ホールで一枚注文して三人で分けるのかと思ったら、好きな具のピザをそれぞれスライスで注文した。三人とも違う具のピザだった。
僕のピザは何の具だったか流石に覚えていない。覚えているのは、スライス一枚なの大きくて、立派に一食になっていたことだ。
具を覚えていないのは、恐らくホールでなく、あの二等辺三角形状のスライスでピザが買えることに驚いてしまったからだろう。 「そんなにたくさん要らない」「これだけ欲しい」という大きさでピザが買える。さすが自由の国・自己主張の国アメリカだと思った。ピザだけではなくカルチャーショックも同時に食らった。具は「カルチャーショック」だったのかもしれない。
それから英会話で習った「Slice of pizza」とはこのことだったのかと。復習は現地でのライブでとなった。
初めて入った市川のピザ屋で、出てきたピザを前にして、食べる前にそんな昔のことを思い出していた。我に返って食べたピザはびっくりするほど美味しかった。ニューヨークと同じ薄めの生地。一枚でお腹いっぱいになる大きさのワンスライスだった。
僕が初めてニューヨークを訪れた1988年には、家の近所にもう宅配のピザ屋はいくつかあった。宅配をデリバリー、具をトッピングというようになったのはもう少し後だった気がする(だからあえて「具」と書いた)。スパゲティをパスタと言うようになったのと同じタイミングだったかもしれない。
最近は仕出しをケータリングと普通に呼んでいる。かえって仕出しのほうが通じないのかもしれない。ケータリングなんて言葉は1990年に大学を出て航空会社で働くまで知らなかった。
僕の初めてのピザは1970年代の小学生の頃だった。ピザでもピッツァでもなく、冷凍の丸い「ピザパイ」だったと記憶している。
チーズがこれまで食べてきたものと違って味が強くて、とにかく伸びた。チーズの味の力強さとその伸びに子供ながらに外国を感じた。
振り返ればその力強い味が濃厚ということなのだと思った。そのチーズの濃厚さが「これは調子に乗ってたくさん食べてはいけない。調子に乗ると大変なことになるぞ」と子供の僕を警戒させた。
「ピザパイ」が気になり、仕事帰りに何軒かスーパーへ行ってみた。冷凍食品のコーナーの数多に並んだピザに驚愕した。いまはこんなにあるのかと。
「ピザパイ」は皆無。「ピザ」か「ピッツァ」だった。各社商品を名付ける際に、「ピザ」か「ピッツァ」のどちらにするかで社内は喧々諤々となったのだろうか。
過日麻生珈琲を訪れた際にオーナーの麻生さんとそのニューヨークスタイルのピザ屋の話からピザの話になった。 食通でもいらっしゃる麻生さんが、「オーブンで焼くのはピザ。窯で焼くのはピッツァ」とおっしゃったような気がした。この一言が最近ピザを見る度に思い出される。「目の前にあるそれはピザなのか?それもピッツァなのか?」・・・違いが気になり始めたのかもしれない。
スライスで買えてビックリしたニューヨークのピザの話を書こうと思い、その市川にあるお店に久し振りに行ってみることにした。
今は2023年。初めて訪れたのがオープン間もない2017年だったから6年ほどご無沙汰していたことになる。
店内の様子は記憶のまま。しかし、オーナーの風貌は小ざっぱりしていて、記憶にあった風貌とは違っていた。それだけご無沙汰していたということなのだろう。あのコロナ禍も乗り越えて来たのだし・・・。
麻生珈琲の二代目に教えてもらってオープン間もなくの頃に数回訪れたこと、お店のシンボルのステッカーをいただいたことなどを話した。少しだけご無沙汰していた時間が埋まった気がした。
店内のディスプレイでオーナーがスケーターであることは察していた。久し振りに話してみて、さらに旅好きであることも知った。
以前も伺ったはずの、どうしてニューヨークスタイルのピザを?などをもう一度伺って、すっかり薄まってしまった記憶に上書きした。
以前と同じようにチーズとペパロニのピザをそれぞれ1スライスずつオーダーした。美味いったらない。大きな二等辺三角形状のほぼフラットで薄めの生地、チーズ、ペパロニ。記憶にある衝撃を受けたニューヨークのスライスピザが完璧に再現されているのに改めて感心した。
自分がお店に入ると常連らしき方がひとり。しばらくすると別の常連の方がひとり。カウンター5席のお店がほぼ満席になった。
常連らしき方々はどちらもピザは最初から注文せず、好きなお酒をゆっくり・たっぷり飲んでいた。ピザ屋をバーの代わりにしていた。お店のアルコールの品揃えを見てバーにもなることに「なるほど」と膝を打った。
ゆっくり、たっぷり飲んで〆にピザ・・・チーズピザをワンスライスだったら〆になるかもしれない。そこでもう一本ビールを合わせてしまう気がしないでもないが・・・。令和のピザ屋の使い方を見た気がした。いいかもしれない。間違いなく、間もなく自分もピザ屋をそう使うだろうと確信した。
ここまで書いてきて、話の書き終わりが見えてきたせいか、無性にそのお店のピザが食べたくなってきた。これを書き終えたら食べに行こう。間違いなくアルコールが進むはずなので、酔い醒ましに麻生珈琲へ行こう。麻生さんいらっしゃるかな?
いらっしゃったら、「オーブンで焼くのはピザ。窯で焼くのはピッツァ」についてもう少し詳しく伺ってみよう。美味しいビザとたっぷりのお酒が入った状態で「さあ、次は大好きなコーヒーだ」となったときに自分がそのことを思い出せたらの話だけど・・・。
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