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『旅先でラジオ』

 この話は2017年5月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第115作目です。

 少々音が大きい音楽が高校生の頃から好きである。カセットテープ、MDを経てiPodになった現在でもプレーヤーの中は少々音が大きい音楽が容量の大半を占めている。丁度聴き始めた頃にその手の音楽の専門誌が日本でも創刊された。その雑誌は、数年前に購読こそは止めてしまったが、現在でも最新号が出ると書店でチェックしている。隅々まで熱心に読んでいた頃とは違い、チェックするページはかつてよく聴たり、その姿をグラビアで目にしていたバンドの現在の変わり果てた姿や、長年続いている書評とコラムだけになって久しい。

 過日その書評が単行本になり出版された。出版記念のイベントは著者とその音楽誌の編集長のトークだった。イベント後に著者とは連載とその単行本に関してや書評を通して手に取った数々の本についてはもちろん、編集長とは私がその音楽誌の30年以上の読者である事などをお話しした。

 ロサンゼルスのロングビーチにあったそのFM局の存在を知ったのは1980年代の終わりだった。当時ロックスター達がそのFM局のロゴの入ったTシャツを着たり、ステッカーを掲げたりしているグラビアを私がいまでも愛読している音が大きい音楽の専門誌Burrn!でよく目にした。そのFM局のヒットチャートが一時期毎月掲載されていた。現在でもスーパーバイザーとして編集にも関わっているMasa Itoこと伊藤政則氏のテレビ番組でも当時そのFM局を取り上げていた。

 KNAC, 周波数は105.5・・・と聞いてピンときたトラベラーの方々は、きっと私と同世代のその手の音の大きな音楽のファンでいらっしゃるに違いない。黒と白のみのシンプルな配色のあのロゴが思い浮かんだだろうか。

 インターネットは1980年代の終わりにはその存在すらまだまだ一般には浸透しておらず、フロッピーディスクを使うワープロがようやく一般に行き渡り始めた頃だった。音が大きい音楽の最新情報は、現在の雑誌が出版されるタイミングではとても最新とはいえないが、海外で発行されているものも含めた専門誌とラジオしかなかった。ラジオで取り上げられればまだよいほうで、テレビで取り上げられることはほぼなかった。あってもこれ以上はないというくらい深い時間に放送された。

 大学生だった1988年の夏休みにニューヨークの郊外ロングアイランドにある英語の学校へ一月行く機会に恵まれた。航空券の関係で帰りにロサンゼルスに一泊することが出来た。どこに宿泊しようかと思ったときに、真っ先に浮かんだホテル名はホリデイ・インだった。いまは亡き私の父は海外のホテルというと必ずヒルトンだったが、学生の私には何故かヒルトンは超高級ホテルのイメージがあった。

 当時はBon Joviが売れに売れていた頃だった。ツアー先で宿泊したホテルで食事をしたところ数百ドルの請求がきて驚き、“次からはホリデイ・インにしようと思った”と答えていたインタビューを読んでいてホリデイ・インというホテル名を覚えていたのだ。空港の側のホリデイ・インに宿泊したが、確か一泊50ドルくらいで、ホリデイ・インてやっぱり安いんだなあと思ったことを記憶している。社会人になって初めて取った有給休暇でロサンゼルスを訪れたときはハリウッドにあるホリデイ・インに宿泊した。同じロサンゼルスでも学生の頃に宿泊した空港の側のホリデイ・インとは異なり、場所がハリウッドだった所為か少々高級で宿泊費もいくらか高かった。同じホリデイ・インでも香港の九龍にあるホリデイ・インが結構な高級ホテルであることに驚くのはその数年後である。そのとき同じホテル名でも場所によって所謂“ピンキリ”なのだと理解した。仕事でミネアポリスを訪れた際に何度も宿泊した空港の側のホリデイ・インも部屋は広かったが必要最小限の設備しかないホテルだったことを思い出した。ホリデイ・インに関しては別のシリーズで改めて。

 1988年のロサンゼルスとラジオの話に戻る。タクシーでダウンタウンへ行く際にドライバーに車内のラジオの周波数を105.5に合わせてもらった。周波数が合った途端に本当に音の大きい音楽ばかりが絶え間なくラジオから聴こえてきた。“凄ぇーなアメリカっ!”と心の中で叫んだ瞬間だった。ドライバーはこれでいいのかと私に伺いつつ、こういう音楽が好きなのか?とちょっと困惑した顔をした。曲と曲の合間にDJ(最近はあまりDJとはいわずパーソナリティーが一般的らしい。しかし、話の舞台が海外の場合DJのほうがしっくりくる気がするのは私だけだろうか)が「105.5(ワン・オー・ファイヴ・ポイント・ファイヴ)KNAC(ケー・エヌ・エー・シー)」と言ったのが聴こえて来たときは、自分がKNACのあるロサンゼルスで実際にKNACを聴いているのだと実感し、嬉しくて万歳したくなった。バンド名も本場のDJが発音するのを聴いて、それが例え大したことがないバンドの名前でも何て格好いいのだろうと思った。イメージとしては女性がその手の音楽を聴くことはあまり似つかわしくないのだが、女性のDJの声が聞こえてきたときは驚いた。その声が色っぽいことにさらに驚いた。曲の合間にCMもあり、数々のCMからもアメリカにいることが感じられた。音が大きな音楽のみのFM局でこれだけ充実しているのだから、アメリカにはカントリーやクラシック、ジャズやポップスにハワイアン、レゲエなど様々な音楽に特化したFM局がそれぞれ存在していることは想像に難くなかった。多民族が共存しているアメリカでそれぞれの要望に応えるとしたらそれは当然かもしれない。ラジオを聴くのは車の中でという人が大半だとしたら車社会で運転中にラジオは欠かせないから多様化したラジオ局は必須だろう。

 その旅には当時弟が持っていたラジオが付いているAIWA社製のウォークマン型の携帯カセットプレーヤーを借りて持ってきていた。BASFの120分テープを数本日本から持ってきていたので出来る限りKNACを録音した。カセットテープをスーツケースに忍ばせていたことから、当時の私はニューヨークの帰りのロサンゼルスで宿泊できたらKNAC・・・と予め計画していたのだろう。外出する際は録音の状態にしたままにして部屋に置いてきた。室内でのFM受信だったためテープには雑音が入った。雑音混じりのその数本のテープを帰国してから結構長いこと切れるまで車の中で運転しながら聴いた。テープから「105.5(ワン・オー・ファイヴ・ポイント・ファイヴ)KNAC(ケー・エヌ・エー・シー)」と聞こえてくると、ロサンゼルスにいる気になれた。

 手元に1枚だけKNACのTシャツが残っていた。その1988年の旅で入手したのか1991年の再訪時に入手したのかは明確ではない。振返って見るとその旅のレンタカーの中でもカーステから流れていたのはKNACだった気がする。

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手元に1枚だけ残っていたTシャツ。これと反対の白いロゴの黒のTシャツも手元にあったはずですが見当たらず・・・。

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学生の頃使っていたルーズリーフ用のバインダーです。この2枚のステッカーは帰国後都内の輸入雑貨屋でステッカーにしては高い値段で買った記憶があります。

 いまから15年くらい前だろうか、ふとしたことでKNACのことを思い出した。インターネットで検索すると、KNAC.COMとなっていてインターネットで聴けることが分かった。日本に居ながらロサンゼルスの放送をリアルタイムで好きなときに好きなだけ聴けることに驚いた。自室にいるときはKNAC.COMをかけっ放しにしていた日々がしばらく続いた。この話を書くに際してはKNAC.COMをPCで流しながら書くことが多かった。

 調べて見るとKNACは1986年に開局し、1995年に閉局したとのことだった。インターネットラジオとしてスタートしたのは1998年からとのことだ。私が現地で、それも生で実際のKNACを聴くことができたのは1988年と1991年だったので、その手の音楽がKNACとともにロサンゼルスで本当に盛り上がっていた全盛期だった。

 インターネットラジオ・・・これは欧米だけのことではなく、日本でもかなり浸透している。ラジオというと限られた地域で限られた番組しか聴くことができかったが、現在ではその放送局がインターネットでも発信さえしていれば日本中・・・いや、世界中で、それもリアルタイムで聴くことができるようになった。私の友人が静岡のFM局で週に3日パーソナリティーを務めているが、インターネットラジオでも発信しているのでスマホがあって時間さえ合えばどこにいても聴くことができる。去年のゴールデンウィークに自宅でその番組をPCで聴いていたときに、メッセージを寄せたら番組内で取り上げてくれた。そのときに台湾の友人からLINEでメッセージが届いてチャットが始まった。私がインターネットでラジオを聴いている旨を伝えたらその友人も台湾で同じ静岡の放送をタブレット端末で聴き始めた。こういうことができる時代になったのだと認識したときは少々驚いた。ラジオに関しては、現在ではローカルという言葉は制作地と発信地のみを差す名称になっていると思った。この状況ではラジオで番組を受信していないのでラジオとは現在何を指し示すのだろう。

 交通手段の手配から宿泊先の手配まで他人の手を煩わすこと無く、他人と言葉を交わすこと無くできてしまえるようになり、旅のスタイルが変わったのはインターネットが旅のスタイルに及ぼしたものの一つだ。インターネットから発生したインターネットラジオの出現も旅のスタイルに影響を少なからず与えているのではないだろうか。例えばトラベラー各位にも旅先の宿泊先のベッドサイドにあるラジオのスイッチを入れると聞こえてくる音楽やDJの声で、その土地を訪れている、その土地に帰ってきたと実感できる瞬間がおありだろう。特に頻繁に訪れていらっしゃるところでは。その土地のラジオ局がインターネットで発信していれば、いまではその土地へ行かなくても手元にあるPCやスマホで現地から発信されている音を自分が現在いるところで受信出来てしまうのだ。輸入食品のお店や現地から取り寄せた食べ物や飲み物をインターネットラジオでその土地の番組を聴きながら楽しめばちょっとした旅気分である。これがいいのか悪いのか、好きか嫌いかは大きく分かれるところだろう。訪れたくても訪れられなくて久しいところが懐かしくなれば、この手は“あり”のような気がする。

 さて、トラベラー各位はこのインターネットラジオという便利なツールとどうお付き合いなさるだろうか。あっ、静岡の友人がパーソナリティーを務めている番組の時間だ。コーヒーではなく日本茶でも飲みながら静岡の番組を聴くとしようか。

追記                               1. “バンパーステッカーが欲しい方は返信用の切手を貼った封筒を送って下さい”というアナウンスを曲の合間に何年か前に聴いたときに、国際返信切手を同封して送ったところ、ちゃんとステッカーが届きました。封を切ったときにロサンゼルスの香りがした気がしました・・・気のせい?(笑)。

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2. オフィシャルサイトから購入したキャップ2種です。一時期この2つばかり交互に被っていました。

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3. 1991年の再訪に関しては以前書きました『お使い』を以下URLよりご笑覧下さい。

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/bf177eec9548

4.文中で触れている私の友人は「マリンパルほっとライン」という番組に火・水・木曜日に出演しています。この番組を聴くには以下FM局のURLにアクセスして”インターネットラジオ、はじめました。”へ行き指示通り進んで下さい。      

http://www.mrn-pal.com/index.html


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