『距離・2』

 この話は2009年5月に書いてトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第20作目です。

 ここ半年くらい日曜日になると出掛けて行くカフェがある。今から9年程前にこのカフェに連れて行って下さったのはあの百瀬博教さんだ。コーヒーを飲まなかった百瀬さんがこの麻生珈琲店のアイスコーヒーは世界一美味しいと飲んでいた。
 そのカフェのオーナーである麻生洋央氏は独学でコーヒーを研究してカフェを築き上げた。カフェには麻生さんが世界中から集めたカップが飾られている。コーヒーカップのコレクションはカフェとは別の場所に博物館を構えているほどだ。どのカップもそこに落ち着くまで長い距離を旅してきたものばかりのようだ。カップ一つ一つにストーリーがある。
 麻生さんには「まぼろしの珈琲」(里文出版刊)いう冒険記として読んでもとても面白い著書もある。旅の善し悪しは旅先で出逢った人達で決まり、目の前に続く辛くて長い距離もその出逢った人々によって乗り越えられるということを認識させてくれる一冊だ。
 半年くらい前から麻生珈琲店に毎週通うようになったきっかけは、バーではなくて落ち着いて本を読んだり、ストーリーを書いたり、友人達に近況報告や独り言満載の絵葉書や手紙を書ける場所を探していた時に思い出したからだ。
 「灯台下暗し」とはよく言ったもので、自宅から自転車で行かれる距離にこんなに居心地のいい場所があるのを長いこと忘れていた。コーヒーを自家焙煎していることもあり店内は何とも言えないコーヒーのいい香りがする。丁度いい音量で店内に流れているジャズもいい感じだ。
 お酒を飲み始めた頃はバー等でいろいろなお酒やカクテルを片端から試して自分の好みのものを探したものだ。今は麻生珈琲店で自分好みのコーヒーを見つけるためにメニューを片端から試して探している。
 今のところ一番はカフェオレ。ソーサーに乗った上品なコーヒーカップではなく、アメリカのダイナー等で出てくる厚みのあるダイナーマグで何杯もガブガブと飲みたいと思うほど美味しい。
 カフェオレの次に来るのはハワイコナとニューヨークブレンドだ。このお店に来ると必ず百瀬さんのことを思い出すのだが、一日ニューヨークブレンドを飲んでいる時に、そういえば百瀬さんはニューヨークが好きだったなあと思った。著書の「空翔ぶ不良」でイラストレーターの安西水丸さんと旅したニューヨークの話は何度読み返したことだろう。
 僕がニューヨークを初めて訪れたのは1988年の大学3年の夏休みだった。ロングアイランドにある大学の英語学校へ寮に入って通った。電車でマンハッタンに出て一人歩きしたり、マディソン・スクエア・ガーデンでAC/DCのコンサートを観たり、伝説のクラブCBGBへ行ったり、学校のツアーでヤンキースタジアムに行き、ヤンキースの試合を観たのもその時だった。
 そういったこともそれぞれ思い出深いのだか、一番印象に残っているのは国際結婚をしてニューヨークに住んでいる従姉の夫の実家を訪ねた時のことだ。
 当時従姉の義姉妹に当たる方に女の子が生まれたばかりで、僕がロングアイランドのストーニーブルックにあるそのお家を訪ねた時に教会で洗礼式があった。
 従姉は一年に一度の里帰りで東京に帰ってしまい出席できないので僕が代わりに出席した。その時のためにネクタイを用意していた。洗礼式でも式の後でそのお家で行われたパーティーでも日本人は僕一人だった。こういうことは観光で訪れただけでは絶対に出来ないことで、現地の人々の日常に身を置けるということがとても嬉しかった。
 そのお家の庭にはプールがあり、そこでのパーティーは楽しかった。日本人は僕一人だったのでいろいろな方々に話し掛けられた。従姉の夫、義理の両親、義理の弟以外は誰が誰だか分からないままだったけれど。
 僕は一応ゲストだったのでパーティーの準備も片付けも手伝う必要はなかった。周りを木々と緑に囲まれたプールがある庭で夏の終わりのいい陽気の中でリスが走っているのを眺めながらノンビリしていた。
 パーティーの準備の最中退屈してしまい、お家の周りを散策してみようと外に出た。高級住宅地だけあってどのお家も品良く素敵だった。
 家の前に空気が抜けかかったバレーボールが一つあったので、道路に面して設置されている隣のお家のバスケットゴールを勝手に拝借してシュートを撃っていた。しばらくするとお家の方が出てきて「お隣のお客かい? どこから来たの?」と聞かれた。「はい、東京から来ました。」と元気よく答えたら「東京」という言葉が思いも寄らなかったのかとても驚いていた。
 黒人さえもほとんどいないこの地域に黒髪のアジア人がいきなり現れて東京から来ましたと言ったらそれは驚くだろう。僕だって家の隣にある幼稚園の桜の木を眺めている見かけたことのない人にどこからいらしたのですかと話しかけて「はい、ヨハネスブルグです。」と日本語で答えが返ってきたら驚くだろう。
 一度お家の中に戻ったその方はしばらくすると空気がしっかりと入ったバスケットボールを持って出てきて使い終わったらドアの近くに投げ込んでおいてくれと言いながら貸してくれた。一汗かいて戻り従姉の義理の弟ティムに隣人とのことを話すと笑っていた。
 当時初めて会ったティムは高校生だった。その後大学を卒業して高校の先生になった後、高知県安芸市のある町に招かれて何年間か教えていた。その町では町長さんを初め町の方々にとてもよくしていただいたようですっかり日本が気に入ってしまった。
 4年程前に現在教鞭を取っているニューヨークの高校の生徒の有志達と修学旅行のような形で東京に来た。その時はティムが安芸に行く前に立ち寄った東京で会って以来だったから約10数年振りの再会だった。
 都内にいる従姉の両親(僕にとっては叔父と叔母)と4人で銀座にある京料理の店「御蔵」へ食事に行った。日本好きのティムはとても喜んでくれた。箸の使い方なんて日本人の僕より上手なくらいだった。
 先月再び生徒を連れて東京にやって来たティムと4年振りに会うことが出来た。ティムの甥で高校生のブライアンも一緒だった。
 今回は叔父・叔母を含め5人で手羽先の有名店「世界の山ちゃん」へ食事に行った。地元ニューヨークでバッファロー・ウイングを食べ慣れている彼らにとって名古屋テイストの手羽先は面白かったようである。
 ティムとブライアンを滞在先のホテルに迎えに行き、食事の場所まで電車で移動する時丁度夕方のラッシュアワーにぶつかった。どんなに混んでいても降りる人達が全員降りるまで誰もその電車に乗り込まない様子をティムはブライアンに説明していた。
 その様子を見てティムはやはり先生なのだなあと思った。ニューヨークの郊外にあるシェラキュースという町からほとんど出たことがないというブライアンは初めての東京にどんな印象を持ったのだろう。きっと遠い未知の国と感じていたはずで、その距離はいくらか縮まったのだろうか。今度会ったら大人しく無口な彼にその事を聞いてみよう。
 仕事で来てはいるが、我々と過ごしているほんの数時間を休暇のように楽しんでいたティムは本当に日本が好きなのだなあと思った。話す日本語の上達具合と枝豆と揚げ出し豆腐を注文したのを見てそれは確信できた。
 日本人の妻を持つ彼の兄より弟のティムの方が確実に日本に対しての距離は近いだろう。僕も従姉とティムのお陰でそのご家族と親しくなり、僕の中でアメリカに対する距離は確実に近いものになった。
 日本を楽しんでいるティムを見て、自分にとって今後いくつ身近に感じられる異国が現れてくるのだろうかと思った。


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