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『本を読んで・5』

 この話は2021年7月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第165作目です。

 前作『アメリカらしいアメリカの街』掲載直前に本文に書いたシカゴ在住の英会話の先生Jeanと約28年振りに連絡が取れた。自分の結婚式に呼んでくれたミシガン在住のもう一人の英会話の先生Lindaが取り次いでくれたのだ。Jeanが覚えてくれたこととみんなが繋がっていたことが嬉しかった。

 Jeanには都内の英会話学校でいまから30数年前の大学3年の秋から一年間習った。Jeanのクラスを取っているときに就職活動の時期が重なった。

 大学卒業後勤めることになったアメリカの航空会社の試験は長きに渡った。内定を告げられた最後の家庭訪問まで6、7回試験を通らなければならなかった。就職試験は水曜日か木曜日で週末もしくは週明けに電話がかかってくれば次に進めた。これが大学4年の5月から6月にかけて続いた。

 Jeanのクラスは毎週火曜日の19時半からだった。ちなみにLindaは体調を崩して休んでいた金曜日の先生の代行だった。

 10人弱の生徒がJeanを間に挟むように対面に並んだ机と椅子に着いて、一人ずつ順番にこの1週間の様子を話すことからクラスが始まった。 

 ネイティヴの話す英語を少しでも多く間近で聴くためと、他のクラスメートより一言でも多く話そうといつもJeanに最も近い席に着いた。

 Jeanのすぐそばにいたこともあってか、航空会社に就職が決まるまではJeanの「Hide、どうだった?」からクラスは始まった。クラスメートたちの視線が一斉にこちらに刺さった。

 「次に進むことになった」と結果を伝えると、Jeanは両手の人差し指と中指をそれぞれクロスさせて「Good Luck」のサインをした。本で読んで知っていた手の指で作るそのサインをネイティヴは本当にするのを生で見た。

 毎週少しずつ航空会社に近づいていったあの時期は、振り返ってみると、こうして約14年に渡って毎月旅の話が書き続けられるほど多くの旅をする生活にも一歩一歩近づいていたのかもしれない。数々の旅はそのとき既に待っていたのか・・・。

 1993年に初めて訪れて好きになったシカゴ。2000年までの間に数回再訪できた。ほぼ毎回宿泊先が異なる中で複数回宿泊したのはロケーションが良かったシェラトンだった。シカゴ川を見ながら少し歩き、新聞社のシカゴ・トリビューンのトリビューン・タワーの横を通り過ぎると目の前があのミシガン通りというアクセスの良さだった。

 「魅惑の1マイル」と言われているミシガン通りに立った右手には横を通り過ぎてきたシカゴの歴史的建造物の一つであるトリビューン・タワーの正面玄関だ。見上げた途端に見入ってしまうほどの重厚さだった。現在なら手元のスマートフォンできっと何枚も写真を撮りSNSで発信しただろう。

 その正面玄関の左にシカゴ・トリビューンのショップがあった。ミシガン通りを行き交う人々の目に留まるような配置だった。それほど広くない店内にはキオスク的なものからシカゴ・トリビューンのロゴが入ったものまで整然と並んでいた。お堅いイメージの新聞社や出版社でさえショップを作るとなると、アメリカでは親しみやすいイメージの店作りになることに感心した。ここは何度も訪れることになりそうだと一歩足を踏み入れて直感した。

 シカゴ滞在中の一日、時間を取ってゆっくりとそのショップを訪れた。明るい雰囲気の店内で品揃えをよく見てみると、トリビューン社のロゴが入ったものは、ボールペン、マグカップ、新聞社らしいデザインのTシャツなどがあった。学生の頃からそのコラムやエッセイをよく読んでいたボブ・グリーンが当時もコラムを書いていたのがここで出版されているシカゴ・トリビューン紙。散財決定。

 ボールペンやマグカップはグリーン氏もデスクで使っているかもしれないと思った。まさかとは思いつつも約30数年前の自分はそう信じてレジカゴに入れた。

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当時ボブ・グリーン氏も使っているかもしれないと思って買ったマグカップ。未使用です。ボールペンは探しても出てこなかったので恐らく使い切ったのではないかと思います。

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新聞の一面をプリントしたTシャツ。NBAファンならピンと来るように時系列で並べてみました。シカゴ・ブルズ三連覇、マイケル・ジョーダン引退、復帰。シカゴを再訪の度にそのショップに立ち寄って散財したのが伝わるでしょうか。最近久しぶりにそれぞれ順番に着ています。

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 余談だが、トリビューン社の目と鼻の先に新聞記者が集う場所として知られている薄暗い食堂があった。朝の7時から深夜2時まで開いているという非常に興味深い食堂だった。母とシカゴを訪れた際の一日、そこでチーズバーガーの朝食をとったことがあった。グリーン氏のベストセラーストーリー集「チーズバーガーズ」を想いながら食べた。朝食にするには忘れられないほど重かったチーズバーガーはアメリカらしい味がした。再訪の予定もないのに最近買ってしまった最新のシカゴのガイドブックにそのお店はまだ載っていた。

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これは手元にある「Cheeseburgers」のペーパーバックです。売り文句を帯にするのではなく表紙に印刷してしまうところがアメリカらしさでしょうか。手元にはもうない日本語に翻訳されたものをよく読みました。日本でも結構評判になった記憶があります。お読みになった方も多いのでは?

 何度目かにトリビューン社のそのショップを再訪した際にその当時のグリーン氏の最新刊が並んでいた。あのマイケル・ジョーダンとグリーン氏が表紙のハードカバーだ。もちろん全部英語。ページ数が結構あり重かったがトリビューン社内のここで買うべき本だと思い買った。

 本を手に取ったときに、ふといまこの建物の中にグリーン氏がいるかもしれないと思った。手元に書くものを何も持っていなかったのでトリビューン社のロゴの入ったボールペンを買った記憶がある。ボールペンを買ったのはこのときだったかもしれない。

 会計を済ませてショップの目の前にある正面受付へ行った。ショップで買ったばかりのグリーン氏の最新刊と間に合わせのボールペンが入った袋を手にグリーン氏がいるかと受付の男性に尋ねた。すぐに調べてくれた。調べる振りだけだったと思うが返事は不在とのことだった。

 まあ、いたとしても約束もなしにいきなり訪ねてきたアジア人に取り次ぎはしないだろう。旅の恥は何とやらでこういうことをしてしまった。

 これは誰もが想像すらできなかったあの9.11が起こる6、7年前の話。

昨今受付やショップに辿り着くには恐らくタワー内に入る際の厳重なセキュリティチェックを通る必要があるだろう。ましてやマスメディアの建物だし。

 著書を何冊も読んでファンになった著者へのいまでいう「アポなし」の訪問は叶わなかった。叶わなかったが、「会えるかもしれない」と受付で係りの人の返事を待つあいだのドキドキは楽しかった。年齢を重ねてしまった現在では、このようなドキドキを味わえる旅はもう難しいだろう。

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日本の単行本よりひと回り大きい400数ページある本です。旅先で買うには帰りの荷物のことが頭をよぎる大きさと重さでしたが迷いませんでした。この本を片手に受付でドキドキしたあのひとときが懐かしい・・・。   これが2021年のいまだったらグリーン氏にトラベラーズノートを手土産にしたかもしれない・・・とふと思いました。

 このことを約30年経ったいま振り返ってみると、若かったとか旅先じゃないとしないことだということはもちろんだが、もう一つ思ったことがあった。それは英会話にある程度自信がなければできなかったなということだった。

 そのときまで既に航空会社に勤めて数年経っていた。会話はもちろん読み書きも含めて仕事で英語を普通に何の抵抗もなく使っていた。どんな場面でも目の前に外人がいて話す必要があれば無意識に英語が口から出るようになっていた。仕事でも余暇でも英語に不自由しなかったのは、やはりJeanやLindaがまだ頭が柔らかく何でも吸収できた学生時代にしっかりと教えてくれたからだろう。

 いま改めて思うことがもう一つある。それは初対面の人に対して、その人が著名であってもなくても、照れがなくなったということ。物事に対しても同じ。世界中で多くの人たちとの出逢い、仕事で経験を重ねてきたことによって人にも物事にも物怖じしなくなったのだ。シカゴは語学取得も仕事もコツコツとやってきてよかったと思わせてくれた町でもあったのだ。

 次にシカゴを訪れたとき、シカゴの街は自分の目にはどのように映るだろうか。次にJeanやLindaと再会したときに自分の成長が感じられるだろうか。二人の先生は僕の成長を感じ取ってくれるだろうか。久しぶりに手元に寄せたシカゴで買って古くなったボブ・グリーンの本を見ながらそう思った。

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後にミネアポリスに出張した際に空港のゲートのそばで買ったペーパーバック版。トラベラーズノートともにカバンに入れておいて空いた時間に読もうと思います。諸先輩方が常に口を揃えておっしゃる「語学は一生勉強」が身にしみる今日この頃・・・。

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2006年のワシントン、ニューヨーク出張の帰りにシカゴでの乗り継ぎ時間に空港で買った絵葉書とスノードーム(写真上)。最近はこの絵葉書とスノードームを眺めつつ和訳された「HANG TIME」(写真下)を再読しているときが至福の時です。

追記:

1. シカゴに関してはこれまで「Journeyman」「久々」「100」「訪れた証・5」「お使い・2」というタイトルで書きました。ミシガンでの結婚式に出席した話は「距離・1」というタイトルで書いています。前作「アメリカらしいアメリカの街」と合わせて未読の方は是非。

2. 以前「バブルヘッド」とタイトルで書いた話では大先輩にいただいたお土産のことと共に僕の就職活動についても少し書いています。


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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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