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『Black Russian』

 この話は2015年8月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第94作目です。

 2015年8月の掲載を目指して、2009年に初めて訪れた今まで書いたことのないところの話を準備していた。7月のある一日、社会人になって初めて配属され、約2年数ヶ月働いた部署が近々完全に閉鎖されるという話を仄聞した。そこにはまだ一緒に汗を流した先輩・後輩達等が大勢働いている。閉鎖後の業務はその業務を専門としている業者が引き継ぐという。その呼び名も現在ではかなり馴染んでいる所謂アウトソーシングというやつだ。閉鎖の知らせを耳にしたときに、辞めて14年経つ古巣にもとうとう来たかと思った。

 私と同じく現在はその会社から離れて久しいリチャード(「旅の必需品」「お宅訪問」等に登場しています)にメールでその閉鎖の件を知らせた。リチャードも私のかつてのその職場には私が入社する以前から何度も訪れたことがあったし、顔見知りが何人もいたからだ。

 リチャードとたまにメールのやり取りをすると必ずほぼ毎回する話(将来書く予定です)があるのだが、今回は別のことを思い出した。時期的には「リラックス・2」のときで、今から約17、8年前のビジネス・トリップでの最終地の台北でのことだ。

 台北での宿泊先は林口というところにあるホテルだった。林口というところは、台北の台湾桃園国際空港(トラベラー各位には中正国際空港もしくはC.K.S.エアポートという呼称のほうが馴染んでいるだろう。私も・・・。)が成田空港だとして都心を目指すとすると、丁度船橋辺りに位置するところだ。関東にお住まいのトラベラーの方にはその距離感が伝わると思う。そのホテルの目の前には大きな病院があった。台北のダウンタウンへ行くバスがこの病院に離発着している。かつて仕事のスケジュールの都合で日曜日を台北で過ごさなければならず、時間を持て余しそのバスでダウンタウンへ出掛けて行ったことが一度あった。そのときまでに既に何度も台北を訪れていたが、そのバスのルートが通ったことがない道だった所為か見たことのない景色を車窓から楽しむことができた。それから、そのホテルの目と鼻の先に所謂フードコートというよりは屋台村という表現がぴったりのところがあり、そこにも思い出があるがその話は次回に譲る。

 上海、北京、そして香港での仕事を終えて台北に入り、ホテルのバーで・・・といってもロビーに続いていて、カフェとレストランも兼ねているところだったが、リチャードとゆっくり飲んでいた。もう一人本社からきたフィルという情報システム関係の人がいたが、ガールフレンドに頼まれたタグ・ホイヤーの腕時計が香港で入手出来ず、その言い訳のため電話に齧りついていてその席にはいなかった。

 客室乗務員になったかつて我々と一緒に仕事をした同僚が乗務でその日の夜に台北に来ることになっていた。我々が滞在したそのホテルは客室乗務員達の台北での常宿だった。リチャードはそのかつての我々の仕事仲間に会いたい・・・というか、必ず会うのだと言い、ホテルの正面玄関が見渡せる位置に席を取っていた我々は飲みながら待つことになった。

 酒量はせいぜいビールを数杯飲むくらいだったリチャードが、移動の際の大きなトラブルもなく、各地での仕事も予定通り上手く行き、旅も終わりが見えてきてリラックスしたのか、ブラック・ルシアンをオーダーした。

ブラック・ルシアンは口当たりが良い結構強いカクテルなので意外だった。

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2年前にこの話を書こうと思ったときに、「旅先で食べたもの・4」に書いたSPITFIREで作って貰ったブラック・ルシアンです。あまりお酒をお飲みにならないトラベラーの方々、ブラック・ルシアンとはこんな感じです。私は普段カクテルをほとんど飲みませんが、ブラック・ルシアンが飲みたくなったときもここを訪れます。

 そもそも私はカクテルをほとんど飲まないので、そのときはビールを飲んだ。確か台北にも普通に“一番搾り”があるのだなと思いながら飲んだのを覚えているから間違いない。

 私のビールはすぐにきたが、リチャードがオーダーしたブラック・ルシアンはなかなか来なかった。随分待たせるなと思ってバーカウンターのほうへ目をやると、バーテンダーが調理場のほうからカクテルの作り方が載っていると思われるカタログのような分厚い本を持ってバーカウンターのほうへ駆け込んで行くのが見えた。何も問題がないように注文を受けたものの、きっとブラック・ルシアンとは何だか分からなかったのだろう。リチャードにそのことを告げると笑っていた。台北は世界的な大都市の一つであるが、中心から少々離れたそのホテルでは、例え外国人の客が少なくないとはいえ、バーの定番であるブラック・ルシアンはまだお馴染みではなかったのかもしれない。

 用意するのにドタバタしているのを横目で見ていたブラック・ルシアンがようやく届いた。リチャードは一口飲んでちょっと顔をしかめたが飲み干し、もう一杯注文した。三回目にようやく自分好みのものが届いたらしく、「ようやく作り方が分かってきたようだ」と笑っていた。その言葉を映画の字幕にするならば、「いい塩梅だ」とするところだろうか。バーテンダーも繰り返し作っているうちに作り方を心得てきたのだろう。元同僚が到着するまで何度もお代わりの注文を繰り返していた。リチャード飲むなぁ〜と思いながら途中までお代わりの回数を数えていたが、五、六回目で数えるのを諦めた。その元同僚の到着が予定より遅かったので、かなりの量を飲んだはずだ。これを書いていながら思い出したが、そんなに美味しいのかということで、私も一杯は飲んだ気がする。いや、リチャードから一口味見をさせてもらっただけだったかもしれない。このときの出来事で、名前だけは知っていたブラック・ルシアンというカクテルがとても強く印象付けられた。ここまで読んでブラック・ルシアンをしばらく飲んでいなくて懐かしくなったトラベラーの方もいらっしゃるだろう。一方でまだ飲んだことがなく、どんなカクテルなのだろうと思ったトラベラーの方もいらっしゃるだろう。レシピや味などに関してはあえて書かないことにするので、旅先のバーとまではいかなくても、是非近くのバーへ旅をしてその未知のカクテルに出逢っていただきたい。

 かつての職場が閉鎖される件についてリチャードに送ったメールの返事が届いた。しかし、そのメールには、自分の近況や現在住んでいるテネシーの様子が、使うチャンスがなくてウズウズしていたのが伺えるアルファベット表記された日本語で楽しそうに書かれていただけであった。

 台北でのその出来事を思い出して何年かに一度ブラック・ルシアンを飲むことがある。いつもコーヒー豆を買いに行く麻生珈琲へ行く途中に、たまに訪れるアイリッシュバブが一軒ある。ドアを開け放しているパブなので、お店の前を通るときに顔見知りの店長や従業員の人達と目が合うと自然に挨拶をしている。先日そのパブに寄って、店長にブラック・ルシアンを作ってもらった。本当に久し振りに飲んだ。ああ、こんな味だったなと思いながら飲んだ。かつての同僚と再会するために何杯もカクテルを飲んで待ち続けたリチャードは、かつて訪れたことがあり、知っている人が何人もいるところの閉鎖についてどうして何も言わなかったのだろうかと飲みながら考えた。それはきっとリチャードなりの思いやりだったのかもしれない・・・と、久し振りに飲んだカクテルが効いてきたときに思った。

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麻生珈琲へ行く途中にあるそのアイリッシュパブで作って貰ったブラック・ルシアンです。今回この話を書くに当たり、顔見知りの店長直々に作って貰いました。美味しくいただきました。

追記:

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最近(当時)開店したバーのブラック・ルシアンです。そのアイリッシュパブの近くにあり、ずっと気になっていたお店だったので、ちょっと“旅”をしてみました。扉の向こうは良心的な料金設定のスタンディングバー形式のお店でした。ウォッカにひと仕事加えてある初めての味に出逢えました。旅先で経験するのと同じように所変われば・・・を経験できたひとときでした。


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