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『旅先で具合が悪くなって・2 』

 この話は2018年3月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第125作目です。

 飲まないままになっている缶の飲みものが冷蔵庫の片隅に追いやられてひとかたまりになっているのに気がついた。全て缶のデザインが通常のものとは異なり、購入当時期間限定で出たものばかりだ。もちろん賞味期限はとっくに過ぎている。それぞれデザインがユニークで綺麗だったので購入し、観て楽しんだあとで飲もうと思っていてそのままになってしまっていた。そもそもデザインを楽しむのが目的で、最初から飲む気はなかったのかもしれない。

 その中に、期間限定のものではないが、7upが1つあった。缶底に印字されている賞味期限は2014年となっている。どうして特別仕様でもない缶の7upが・・・としばらく考えた。7upはこちらでは市場に出回る時期としばらく見かけなくなる時期があるので、この話を近々書くためにと思ってそのときに購入し、そのままになっていたのだ。

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これが冷蔵庫に眠っていた7upです。ロゴが馴染みのあるものと異なっています。最近また出回っているようで、サントリーの自販機かありました。

 高校一年生の頃の冬休みが見えてきた一日、家族で年末年始をハワイで過ごすことをなんの前触れもなく両親から告げられた。希望の高校に入ることができず、大学こそは・・・と思っていたので、冬休みは一年生ながら予備校の冬期講習に通うつもりでいたので少々困惑した。困惑が顔に出たらしく、両親はせっかくの家族揃っての久しぶりのハワイ旅行を息子が思ったほど喜ばなかったことに困惑していた。

 ハワイ行きに備えてパスポートを新たにした。当時私にとっては約10年振りのパスポートだった。現在のサイズより一回り大きいもので、表紙が赤になって初めてのパスポートだった。シャツのポケットにピタリと収まる現在のサイズで5年、10年有効のものが出てくるのはもう少し後になってからだった。パスポート用の写真は駅前の写真館へ行ってしっかり撮影してもらった。いまでは写真館はあまり見かけなくなったが、当時はまだそういう時代だった。

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これが生涯第二番目のパスポートです。この大きさのパスポートをまだ保管なさっているトラベラーもいらっしゃるのではないでしょうか。

 ハワイへ向かうJALの機内で7upを飲んだ。名前もどんな飲みものなのかも知っていたが、長いこと目にすることもなく、さらに当時家の近所では売っていなかったので、国際線の機内では飲めるのだと感心した。欧米の文化に憧れ始めていた高校生には、その名称は知っていても意味がよくわからない不思議なネーミングのとてもアメリカっぽく見えたロゴに少々興奮した。当時も現在も炭酸入りのジュースはほとんど飲まないのだが、そのときは、スプライトやサイダーと比べて少々炭酸が弱く感じ、加えて甘めの味が気に入った。

 小学校へ上がる前の冬休み以来の久しぶりの海外、久しぶりの飛行機だったせいか、興奮で機内では眠ることができず、7upを飲みながら本を読んだり持参したカセットテープをウォークマンで聴いたりして過ごした。聴診器のようなヘッドセットを使って、機内のプログラムもチェックした。座席後のスクリーンなどなく、映画は乗客全員が機内前方のスクリーンを一斉に見つめる時代だった。機内の照明が落とされ、周りが寝静まっても、読書灯を灯した座席でひたすら7upを飲みながら過ごした。新しい缶とアイスキューブの入ったプラスチックカップが何度も運ばれてきた。

 ホノルルに到着し、空港内に足を踏み入れると、思わず微笑んでしまうような、なんともいえないいい匂いがした。それは南国の香りと欧米の香りがミックスされたものだといまでも思っている。機内で一睡もしていない体には刺激的であった。日本は真冬だったので、半袖が心地よい暖かさに世界の広さを感じるとともに、外国に来たのだと実感した。

 南国の開放感、気候の変化、それまで溜まっていた疲労、睡眠不足などが全て作用したのか。到着翌日から体が風邪のような状態になり、二日ほど寝込んでしまった。外は抜けるような青さの夏空で絶好の観光日和なのに、冷房を弱めにかけたホテルの部屋で大人しく寝ていたのだ。食欲が全くなく、家族に買ってきてもらった7upだけしか受け付けなかった。

 二日目にホテル内の診療所に連れていってもらい診察してもらった。診てくれたのは欧米人だと思われる風貌の男性のドクターで、世話をしてくれた看護婦さんは日系だった。症状を説明し、体温計をくわえさせられて検温し、とても甘い薬をその場で飲まされた。体温計は脇の下に挟む以外の使い方をしたことがなかったので、テレビでしか目にしたことがなかった口にくわえるタイプの体温計に外国を見た気がした。

 とても甘かった薬が効いたのか、翌日には体調が戻って、やっと外を出歩けるようになった。外で喉が渇いたときにABC Storeに立ち寄って買った飲みものはやはり7upだった。ひとつのものに凝るとそればかり続けるというのは年齢を重ねた現在でも変わらない。

 この旅も含めて亡き父親のハワイでの滞在先は必ずハワイアン リージェント(現ワイキキビーチ マリオット ホテル&スパ)だった。弟が学生の頃、父親と二人でロサンゼルスを訪れた後で帰国する前にハワイに立ち寄ったことがあった。その際に1日だけどうしても他のホテルに滞在しなければならなかったが、その日のうちに空きが出てすぐに移ったという話を弟から聞いた。ひとつのものに凝るとそればかり続けるのは父親譲りなのかもしれない。

 家族での旅行を楽しみながらも、具合が悪くなった原因を、出発から到着までを振り返りながら、高校生の自分は真剣に考えていた。まずは機内で十分に眠らなかったこと。これからは機内でしっかり眠らなくてはと思った。そして、食べ慣れない機内食も原因だと思った。慣れないと鼻についてしまうあの独特の臭いは、苦手だった小学生の頃の給食を思い出させた。どの程度食べたかまではさすがに覚えていないが、あの独特の臭いが最初に気になったのは覚えている。次からは飲みもの以外は機内で口にするのはよそうと誓った。

 大学生になってヨーロッパに行った際には、そのときの経験を踏まえ、成田からの機内で最初の飲みもののサービスが終わると、テーブルを出してその上に枕を置き、教室で居眠りをする態勢をとって眠るようにした。足を伸ばすことも背もたれを十分に倒すことができない狭いエコノミークラスの座席で長く眠るには、これがいいと当時少ない経験から自分なりにあみだした寝方だった。テーブルの高さによって、枕は一つがいい場合と二つがちょうどよい場合があった。

 機内で飲みもの以外は摂らず、この態勢で眠ることは功を奏した。そのヨーロッパの旅では到着時に体調を崩すことはなかった。これだと思ったが、その次の旅行(これもヨーロッパへの旅だった)では、その態勢で寝始めた途端に乗務員から具合が悪いのかと起こされた。これが何度か続いたので、せっかくあみだした方法は使えなくなってしまった。事前に乗務員に食事はいらないと告げてほとんど倒れないエコノミーの背もたれに身を預けて目を閉じる以外なかった。その態勢はいまでもとても眠り辛い。

 幼いうちに海外を見ることができ、旅に出る際の体調管理の大切さを世の中に出る前に身をもって学ぶことができた。両親に感謝だ。おかげでその後就職して何度も海外出張を重ねるようになっても、体調不良で各所に迷惑をかけることはなかった。 しかし、あのハワイのホテルの診療所で受けた診察にはいくらかかったのだろうか。そのときは診察料のことも海外旅行保険のことも全く気にかけなかった。これも両親に感謝だ。

 大学を卒業してアメリカの航空会社に就職すると、最初の配属先は成田にある機内食課だった。社会に出て最初に携わった仕事が、旅先で具合が悪くなった一因と高校生の頃に考えて以来、警戒を重ねていた機内食に関わることとは人生わからない。建物の中のあるエリアでは苦手だった給食を思い起こさせるあの臭いがしたが、いつのまにか慣れていた。その後、機内食のメニューを決める際の試食をすることが仕事の一部に加わってくることになるなんて夢にも思わなかった。それもアジア各地で・・・。

一年目は通常の仕事(機内食の機内への積込み)が終わった後で、ソフトドリンクやアルコールを飲みもの用のカートに詰める作業を手伝った。そのときに、久々に7upと再会した。大学一年生の冬にもハワイを再訪したが、そのときの7upの特別な記憶はない。未成年なのにビールを普通に飲んでいたのだろう。機内に搭載する飲みもの用のカートにセットするソーダ類の種類と本数が決まっている中で、再会した7upと共に作業のときに出逢ったDiet 7upにアメリカを感じた。Dr. Pepperに加えてDiet Dr. Pepperまであって驚いた。

 アメリカの航空会社なので、機内に搭載する飲みものはごく一部を除いて全て本国からの輸入であった。7upも同様だ。作業をしながら、ハワイで具合が悪くなったときのことを思い出し、あのときJALは当時都内では出回っていなかった7upをどうやって調達していたのだろうかと考えていた。日本発のフライトであっても、成田から搭載しないで逆にハワイから搭載したものをそのまま折り返していたのかもしれない。ほとんどの乗客が日本人とはいえ、ハワイ線も欧米路線と捉えてのメニューだったのだろうか。

 この二月に弟夫婦がそれぞれの母親を連れてハワイへ休暇に出かけた。弟に何か欲しいものがないかと聞かれたが特に欲しいものはなかった。ちょうどこの話を書き始めていたこともあり、せっかくなのでお言葉に甘えて7upの写真を撮ってきてほしいと頼んだ。

 弟たちは予定通り無事帰国し、最寄りの駅まで車で迎えに行った。改札から元気に帰ってきた姿を見たときに何だかとてもホッとした。みんなが病気もケガもトラブルもなく、無事に帰ってきてくれることが一番欲しかったお土産だったかもしれない。トラベラー各位も旅先で具合が悪くならないよう是非健康にご留意を。

追記:

1. 弟にハワイで7upの写真を撮ってきてもらいました。ロゴは少々変わった気がしますが、こちらのロゴのほうが昔からお馴染みのものだと思います。現地ではダイエットもまだあるみたいです。

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2. これまで書いてきたハワイに関する話は以下のとおりです。未読の方はどうぞご笑覧ください。

「デビュー」

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/e518576e67a3


「巡り巡って・・・。」

3. 冷蔵庫に眠っていた缶の飲みものたちです(苦笑)。トラベラー各位の記憶に残っているものがあるでしょうか。

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