『スイーツではない』
(旅先で食べたものが食べたくなって・3)
2022年に『旅先で食べたものが食べたくなって』の一作目でシンガポールのチキンライス(海南鶏飯)の話を書いた。都内で三軒食べ歩いて書いた話だった。
どのお店でも「チキンライスを食べに来たのだから」とメニューには目もくれずに注文した。
ランチタイムに訪れたその中の一軒で、料理を待つ間スマホでニュース等をチェックするのに飽きてしまった。入店を並んで待つ間もチェックしていたのでチェックし尽くしてしまっていたからだ。
手持ち無沙汰になったときに、テーブルの上に置いたままになっていたメニューを手に取った。何気なくページを捲っていたそのとき・・・。
「えっ!」
目が大好きなのにその存在をずっと忘れていた一品料理の名を捕らえた。
直近のシンガポール再訪は14年前。そのときはその料理を食べた記憶がない。となると、その名を意識したのは20数年ぶりということか。
これからチキンライスが目の前に置かれ、旅のストーリーを書くことを意識して食べなければならない。しかし、その一品料理が急に気になり始めていた。眠っていた子を起こしてしまったかのように・・・。同時にその一品料理に関していろいろと記憶が甦り始めた。そのくらい衝撃的だった。
ようやくチキンライスが運ばれてきた。切り替えなければ。気持ちがチキンライスに戻っていった。
その一品料理とはキャロットケーキ。スイーツでもデザートでもない。シンガポールの伝統的なローカルフードだ。
「お父さんのビールのおつまみにもなり、子どもたちのごはんのおかずにもなる一品料理」といえば何となくイメージできるだろうか。
「キャロットケーキ」という名称だがニンジンは入っていない。使われているのは大根。原料は米粉と大根をペースト状にしたもの。それにニンニクを加えて卵と大根の漬物(チャイポーというらしい)とともに炒めたもの・・・僕は料理をしないので「炒めたものらしい」とするべきか。
キャロットケーキに出逢ったのは、航空会社に勤めていた頃に仕事でシンガポールを訪れたとき。仕事の後で取引先に飲みに連れて行ってもらったときだったか。いや、所属が機内サービス部だったので、顔見知りのシンガポールの客室乗務員たちが連れて行ってくれたホーカーズ(フードーコート。屋外なら屋台村だろうか。)で出逢ったのかもしれない。
初めてのキャロットケーキは美味しかった。ニンジンが入ってないのに名称にニンジン(キャロット)が付いているのも面白いと思った。シンガポールでは大根を「ホワイトキャロット」と呼んでいるらしく、料理名はそこからというのが有力のようだ。
名称がユニークなだけではなく、これが本当に美味いのだ。以来ずっとお気に入り。タイガービールとともに現地で味わうと「シンガポールにいるんだ」と実感できるもののひとつだ。
一日顔見知りのシンガポールの客室乗務員とキャロットケーキの話になった。美味しいお店を一軒教わった。
そのお店はチャンギ・ビレッジ内のホーカーズにあった。仕事の際の宿泊先のひとつにチャンギ・メリディアンがあった。チャンギ・ビレッジは目と鼻の先。
その後の出張でタイミングが合った際に行ってみた。教えてもらわなければ訪れることはなかったというところだった。20数年前のことなので景色はうろ覚えだが、キャロットケーキは美味しかった記憶はある。
キャロットケーキと都内で再会するするチャンスは突然やってきた。2024年4月のある日、そのメニューにキャロットケーキを見つけたお店の予約が取れた。通勤電車の中で急に虫の知らせのように思い立ちスマホで取った。
チキンライスで有名なお店だが、ディナータイムの数々の一品料理がかなり評判のようで予約困難。チキンライスが不意に食べたくなり、ダメモトでお店に直行して撃沈したことが何度もあった経験が活きた。
予約の際の電話で「キャロットケーキがメニューにありましたよね?」と真っ先に尋ねていた。メインはチキンライスではなく、あくまでもキャロットケーキ。予約は土曜日の開店と同時の時間。ひとりで訪れることに。
一番乗りで着席。キャロットケーキ、タイガー、チキンライス(中サイズ)を注文。よく冷えたタイガーを飲(や)りながらキャロットケーキを待った。ふと周りを見渡すとテーブルは全て埋まっていた。こういうことなのだ。
「お待たせしました。キャロットケーキです。」の声とともに目の前にキャロットケーキが現れた・・・念願の再会。
タイガーをキュッと一口飲んでからキャロットケーキを口に運んだ。「これだ・・・これなんだよ!」長年待ち焦がれた味だった。僕の中でのもうひとつのシンガポールが甦ってきた。
上にちょこっと乗っている薬味は記憶になかった。エビを使ったサンバルというものだとお店の方が教えてくれた。これは必須かも。 チキンライスもオーダーしたことを忘れるくらいキャロットケーキを堪能した。気が付くとタイガーが二本空いていた。 大満足でお店を出た。2024年6月公開のストーリー(この話)はキャロットケーキの話に決めた。 せっかくストーリーを書くのならもう一度食べておこうと思った。旅の神様が「キャロットケーキの話を書け」ということで味方をしてくれたのか、希望の日の予約がすんなり取れた。 再訪は母を連れて行くことにした。航空会社にいた頃、母とはシンガポールへも何回か行った。 世界がコロナで海外旅行どころではなくなる寸前に、母はあのマリーナベイサンズ宿泊がメインのツアーに旅行好きのお友達と参加していた。母には母のシンガポールがあるようだ。 母を連れて行ったのは理由があった。どこを旅してもローカルフードに抵抗がなく、むしろ興味を示す母でも流石にキャロットケーキは知らないだろうと思ったから。それから、一緒に旅行をしてきたアジアの旅行先にあった美味しくて現地の人たちで賑わっているお店の雰囲気がそのお店にあったのも理由のひとつ。興味を持った一品料理も二人ならもういくつか注文できるかもしれないというのもあった。 お店も初めて、キャロットケーキも初めて。母は眼鏡をずらして顔をお皿に近づけてキャロットケーキをしげしげと見つめ、最初は恐る恐る口に運んでいた。 食べ進めていくうちに気に入った様子。「やっぱりね」と思いニヤリとしてしまった。得意になってきっと小鼻も膨らんでいたかも。
お店の雰囲気も他の一品料理も気に入った様子。一品料理の中には、母なりの「シンガポールといえばこれ」というものがあったようだ。この会食は一週間遅れの母の日のディナーとすることにした・・・。
このお店には他にもシンガポールに想いを馳せられる料理がいろいろとあった。食事をメインに訪れるもよし、「シンガポール居酒屋」として訪れるもよしのお店だ。僕はひとりで訪れるなら後者だな。長く大事にしたい一軒だ。
キャロットケーキ・・・。「キャロットケーキ」と名の付くものは世界中にどのくらいあるのだろう。スイーツのキャロットケーキはカフェやケーキ屋、ベーカリーの数だけありそうな気がする。食後に寄った行きつけのカフェにもあった。
これで通算200作目の旅のストーリーが完成。キャロットケーキを肴にタイガーで「プチ祝い」でもしに行こうかと思った。お店はたとえひとりでも要予約。日を改めよう。
旅のストーリーはこれからも書き続けます。引き続きどうぞご笑覧ください。
追記
都内でチキンライスを三軒食べ歩いて書いたはなしはこちらです。合わせてご笑覧ください。
https://note.com/nostorynolife/n/n0f523a37a8f1
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?