<旅行記>新・総曲輪通りでつかまえて――3年半ぶりの富山(前編)
北陸新幹線で中央構造線を抜けるとき、耳鳴りが懐かしい感覚として襲ってきた。「本当に日本の中央を越えているんだね、わたしたち」と恋人が隣で言った。恋人にとっては初の日本海側の都市の訪問だった。僕が暮らした街を彼女はどんな風に新鮮に受け止めてくれるだろう。ただ、すべてが記憶通りという訳ではないだろうな、という直感もあった。コロナ禍があったとはいえ、富山を離れてから今回の訪問まで、3年半も経ってしまっていたのだ。
「あなたの話を聞いていたら富山に行きたくなってきたかも。ゴールデンウィークに出かけようよ」と恋人が声をかけてくれたのは春先だった。
ふたりで日本橋でアンテナショップ巡りをしたときに訪ねた日本橋とやま館で、以前この土地で暮らしていた頃の話をたくさんしていたのだった。
当初はアルペンルートを目指すつもりだったが、早々にチケットは完売。それでは、と、初日は富山市内、2日目は魚津市内を観光するプランで旅程を組んだ。
富山駅前の雰囲気は変わっていなかったが、駅南口の空白地帯になっていた場所には複合商業施設「MAROOT」が誕生していた。以前ここには観光客向けの海鮮丼屋があって、初めて富山に来たときにひとり寂しく食事をしたよな、と思い出す。「千葉駅のバスロータリーみたいかも」という彼女の感想が新鮮だ。
総曲輪通りにも「総曲輪ベース」が誕生し、新しい人の流れができていた。僕がこの街から離れた頃に進行中だった計画が次々と形になっていた。確かに時は流れているのだ。
市電に乗って西町に向かう。ブラックラーメンを食べ、富山市ガラス美術館を見学し、「あっ、あそこのクリーニング屋さん、梅雨時はたくさんお世話になったよ」なんて風に、暮らしていた時の思い出話をしながら。
ホテルにチェックインし、荷物を下ろしてから富岸運河環水公園に向かった。快晴で水面はおだやかだった。富山は雨が多い。連休の訪問日も当初雨予報になっていたけれど、「晴れ女」を自認する恋人とふたりで訪れたことで天気が味方してくれた気がした。
公園の中を抜け、富山県美術館に入った。閉館が近かったためにやや駆け足で棟方志功展を観た。棟方志功は富山県南砺市と縁が深い。骨太で巨大な仏教画のイメージが強かったが、メディアに出ることをいとわず、装丁やデザインの仕事を幅広く請け負ったことで多くの人に知られるようになったという側面にも触れられた。
富山県美術館の屋上は閉館後も入ることができ、親子連れで遊ぶ人たちで賑わっていた。「オノマトペの屋上」だ。ここからの景色は特に恋人に見せたかった。白んだ月と立山連峰をふたり並んで観た。「何だかあなたがこの街を気に入った理由が分かる気がする」恋人は言った。
「ひとりで居るのが時々しんどい」と暮らしの中で感じることもあった富山。いま、本当に「たびのひと」になって、ひとりじゃなく好きな人と歩けている。今になって再び富山を訪問できたのは、最良のタイミングだったのかも知れない。
日が暮れかけてきたので、いたち川に沿って市総合体育館の裏手を通って帰った。夕焼けのなか立山連峰はまだ輝いていた。The ピーズの「日が暮れても彼女と歩いていた」の歌詞を思い出していた。
綺麗にまとまった初日が明け、波乱の2日目が幕を開ける。
<後編に続く>