自分の文章が嫌いじゃないという話と、イケア効果。

自分の文章が嫌いじゃない。いや、はっきり言ってかなり好きだ。自身が記したその文字列を読んでいると、段々踊り出してしまいたくなるくらいに好きだ。

ただ、そういう心地よい気持ちに包まれながら、どこかで冷静な僕がそっと耳打ちする。

「そんなでもなくないか、お前の文章」

ゾゾッ。何を言うんだ、と僕は思う。
初めて彼女ができた時ですら踊らなかった僕が踊り出そうとするくらいなんだから、すごいものがそこにあるに決まっている、と僕は思う。

しかし。
確かに、と思ってしまう自分もいる。
思い返せば僕は、自分が生み出したものをなんだかスゴすぎるものだと勘違いしながら生きてきた気がする。

高校生くらいの時、家にある電子ピアノを弾くのが趣味だった。と言うとなんだか聞こえはいいが、実際のところ独学で弾いていた僕のピアノは大層ヘタクソなものであった。

そのピアノの機能の一つに、録音機能というものがあった。
録音を開始してから演奏をすると、その音声が記録されるというものである。(説明要るか?)
そこで僕は録音ボタンを押しては適当に鍵盤を叩き、なんとなく作曲家気分を味わったものだった。

ある時、適当に録音をしながら鍵盤を叩いていたところ、奇跡的に左手の奏でるメロディと右手の奏でるメロディが見事に調和し、なんだか壮大な音楽が記録されてしまった。
僕は鳥肌を立てながら、何度も録音されたその曲を聴き続けていた。
最終的に僕は、自身の作曲能力について、「久石譲を明確に超えている」と評価するに至っていた。

思い返すと恥ずかしい話なのだが、自分が生み出したものを正当に評価できないというのはよく聞く話だと思っている。
僕はその能力(?)が異常に卓越している可能性があるのだが、何にせよ皆そういう所はあるはずだ。

ある時、気になってこういった心理について調べた所、この言葉に行き着いた。

「イケア効果」

それは、上述のように「自分で作ったものに高い価値を見出してしまう」という心理的傾向を指すものなのだが、イケア。あの「IKEA」である。

IKEAの家具は一部を自身で組み立てるものとなっており、それによる付加価値が生まれているという研究結果からこの名がついたという話、なのだが、IKEA。

僕はその言葉を知った時、なんだが自分を支えていた感覚に狂いが生じた気分になった。

「IKEAて。最近の話すぎない?この感覚って、昔から皆持っていたんじゃないの?2011年に発表された考え方?マジで?」

と思った。自身が強く感じていた心理的傾向を示す言葉が、IKEA、なのかよ、と。

僕はこのイケア効果という言葉が非常に気に入らない。IKEAにはなんも恨みがないが、僕の心理を表す言葉として、なんというかこう、ハイカラ過ぎる。

僕が自身の性向について話をした時に、「あ、それIKEA効果ね」と言われてしまったら、僕は冷静でいられる自信がない。あの頑丈なIKEAの家具ですら壊れてしまうパワーを発揮してしまうかもしれない。

僕は思う。多分この「イケア効果」を名付けた人も、自身のつけた名前に対し異常に高い評価を下してしまったのではないかと。
その心理的傾向を示す言葉が「イケア効果」であることが、残念でならない。

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