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「支援学級を利用している理由」は、誰のものか

校内の別の支援学級の授業にヘルプに入ったことがある。

生徒が4人。この日は、先生は私を含めて3人。私は、普段は入らないクラスなので、「してほしい支援があったら、伝えてね」と予め先生方に伝えたが、「みんなやってることがバラバラなので、◯◯さんの指導だけをお願いします」と言われただけだった。


呼ばれた理由がわかった。

1時間の授業は、なんというか・・・

「ここは、学校の授業だ、と言っていいのだろうか」とさえ、感じた。

それぞれが習得のスピード感が違う。学習へのモチベーションも違う。集中できる時間も違う。いろいろな特性があるから、座っていられないとか、床に寝てしまうとか、ジャンプし始めるとか、何回書いても覚えられないとか、そんなことは気にならない。私の学級でもよくあることだ。

それよりも、そんな特性に目を向けず、ただ課題をこなすために、宥め、叱る。書く気力のない生徒の代わりに、生徒が言った答えを書いてやる先生方。

生徒の機嫌を、先生がとり、1時間、どうにかやり過ごしているように見えた。悲しいことに、先生も生徒も、全く楽しそうでなく、学びがなかった。

私がヘルプに入った生徒は、落ち着いてはいたが、言葉が少なかった。授業の最後に一時間の中で「何ができるようになったか」を言語化させたら、きちんと言えたので「成果があったね、じゃ、次回の授業の最初にもう一度復習してから、次に進もうね」と指示を出して終えた。

他の3人は、チャイムが鳴ると、道具をまとめて挨拶もせずに出ていった。

授業を終えて、自分なりに考えをまとめてみた。

この1時間、彼らは楽しかっただろうか?学びの達成感を得ることはできただろうか?

この子達が「支援学級を利用している理由」は、自分の得意なことを伸ばすため、自分の苦手さに気づき、克服するため、何より、「自信をつけるきっかけにするため」ではなかったか?

それを保証していくのが、支援学級担任の仕事の一つなのではないか?

もう少し厳しく言えば、「教師自身の自己満足のためではなく、生徒に自信を持たせ、卒業する頃には生徒本人が支援学級を利用した意義を感じられるように、指導や支援をする」ことが、仕事なのではないか?

支援学級を利用する理由は、生徒の中にあり、教師の中にあるのではないと思う。うまく指導ができないとき、教師は苦しいが、「目の前のこの子の本当の笑顔を引き出すには」と考えて、支援の方法を探りたい。


自戒を込めて、今はこれを書いている。

先生方と一緒に考えていきたいが、私の思いを振りかざさないように、先生方の苦しみや努力を受け入れながら、先輩としてアドバイスもできたら、と思う。

特別支援教育に興味を持つ教員です。先生方だけでなく、いろいろな職業の方とお話して視野を広げたいし、夢を叶えたいです。いただいたサポートは、学習支援ボランティアをしている任意団体「みちしるべ」の活動費に使わせていただきます。