行きたい同窓会と、行きたくない同窓会。

こんなことを書くと、相当変わっていると思われてしまうかもしれないのだが、私は、自分が卒業した学校の同窓会には、一回しか出たことがない。

20歳の時、中学校の同窓会。つまり、成人式の後の同窓会、一回きりだ。それも、かなり渋々だった。出席した後、激しく自己嫌悪に陥った。行かなければよかった、と。

私が同窓会に行かない理由ははっきりしているのだ。


ところで、同窓会って、何のためにやるのだろう。あの頃の友達が、今どうしているのかを知るため?昔話を語って楽しむため?

他に理由が見つからない。

仮に同窓会に行くのがその2つの理由ならば、私はやっぱり同窓会に行かない。


まず、一つ目。自分の学生時代には、はっきりと記憶している「友達」がいない。

いつも一人でいた、というわけでもないし、それなりにお喋りをする人はいたのだが、自分・・・本当の自分を晒して付き合うことができた友達が誰一人といなかった。周りと合わせるのが苦痛でしかたがなかった。本当は何の関心もないことに、適当な相槌を打っている時間が、ただただ、もったいないとしか思えなかった。だから、「今」を知りたい友達はいない。私の「今」を知らせたい友達もいない。

そして、二つ目。他の人と共有できるような「楽しい思い出」は、何一つない。小学生、中学生の頃は、いじめ問題の渦中で、つらいことばかりだったが、とりあえず学校に行っていた。高校は、なぜ学ぶのかよくわからなくなって、学校そのものに不適応だった。楽しかったのは部活(美術部)だけで、キャンバスに向かっていた時ぐらいだ。大学は、自分が学びたいものを好きなようにたくさん学べたことが楽しかった(ちなみに卒業する時、210単位ぐらい取っていた。そんなに取っていたのかと自分でも驚いた)が、いつも一人でいたし、他の何よりも図書館が大好きだった。本が好きだし、誰かと喋らなくてよかったから。

そんな感じの自分だから、同窓会に行く意味が見い出せない。行ったところで、また話を合わせるキャラを作ることになるのかと思うとしんどいし(そうしなければ「変わったね」と言われるのだろう、それも面倒だ)、そして何よりも、学生時代の知人に合うことで、過去の自分を思い出したくないのだ。


教員になってから、ありがたいことに、こういう自分を理解してくれる人がぽつりぽつりと出てきて、ごく数人だが、自分を晒せるようになり、今は随分楽に生きられるようになった。そして、何よりも、自分が誰のために何がしたいのか、どのように自分の命を終わらせたいのかがわかってきたおかげで、今が一番楽しい。そして、明日はもっと楽しくなるという予感がする。毎日、そんな予感がする。

だからわざわざ、過去に戻されるような場所には行かない。

その過去があったから今の自分があるのはわかっている。

でも、敢えて言う。戻りたくない。


もちろん、自分が教員になって、教え子たちの同窓会には、声がかかれば必ず行くようにしている。彼らの成長を見るのが楽しみだからだ。

行きたい同窓会と、行きたくない同窓会がある。皆さんはどうなのかな。

特別支援教育に興味を持つ教員です。先生方だけでなく、いろいろな職業の方とお話して視野を広げたいし、夢を叶えたいです。いただいたサポートは、学習支援ボランティアをしている任意団体「みちしるべ」の活動費に使わせていただきます。