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きりのいいところでやめたい

ここ最近、起きてすぐに電車に乗れるほどメンタルが安定していることが少ないので(電車内で事件が多発していることも大きな要因である)、週1のカウンセリングはオンラインでやって、薬を取りに行くために月1で通院をしている。

日々生きていて、基本的に精神状態はギリギリな状態なのだけど、今はまたこれまでと違う種類のギリギリさがある。もうすぐ30歳になるからだ。

診察で、最近また余裕がないことを伝えていて、「もうすぐ30歳になるので」と主治医に言ったときに、主治医は「そっか、節目になっちゃうんだね」というようなことを返してくれたので、本当にいい主治医だなと思った。これだけで分かってくれる人がいるのはありがたい。

10代の頃は20歳で死ぬと思っていて、20歳になったら大学を卒業する22歳で死ぬと思ってた。でも死ななかった。それで、今、目の前に30歳がある。

死にたさについては去年の夏のほうが強かった。あの時はものすごいエネルギーで自分で死ぬことを考えていた。とても情熱があった。細かく考えることで、目の前の強い希死念慮を先送りすることができて、結果としてそのプランでは死ななかった。

去年の夏がそんなだったから、今年の夏は注意深く過ごした。死にそうになったらあらゆる手段を尽くしたので、夏を乗り越えられたのだけど、8月末ぐらいからずっと視界の隅に「30」というのが見えていて、あーそっちが本当に向き合わなきゃいけないやつか、と思った。夏なんて可愛いもので、自分がこの先も生きていくかどうか、誕生日までに考えなくちゃいけないというカウントダウンが始まっていた。

それは、去年の夏みたいな情熱的なものではなくて、もっと静かでじわじわと、自分が蝕まれていくような希死念慮。希死念慮でもないな、死にたいと思うのではなく、これからも生き続けていくか、ここで自分を終わりにするかを冷静に考えなくてはならないという感じ。

私はママタルトの大鶴肥満さんが、「30歳で本名の自分は死んで、31歳からは大鶴肥満として生きていく」と言っていた記事がすごく好きで、何回も読み直しては、私もそのパターンでいこうかな?と思う。

でも、この29歳の時点で、今まで生きてきてよかったと心の底から思ったことがあったか?と問われると、正直なところ、しんどいなと思ったことのほうが多いというか、脳がしんどい記憶のほうを沢山残しているのかもしれないけど、でもそうなので、せっかく今、目の前に節目の30歳があるのに、このタイミングを逃していいのか?延長したからっていいことがあるわけではないぞと思うから、大鶴肥満さんの方式は取れないかもしれない。

こんなにもいつ死ぬかについて悩んでいるという文章を書くと、さぞ病んでいるのではと思われそうなのだけど、別に死についてはずっと考えているので、とりわけひどく病んでいるとかではない。ただ、タイムリミットがあるから、それまでに答えを出さないといけないな、ということは気にしている。

30の次は35があるか、とは一応思っている。そうやってきりのいい数字でやめようとするの、シャトルランじゃないんだから。

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