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なんでこんな珍しいがんになるんだ。

私の母親が乳がんキャリアなので、ある程度がんになるという覚悟をしていた。なので乳房周りの自己触診は隔月で続けていたし、がん保険にも女性特有のがん特約もつけていた。

乳がんは遺伝することもあるっていうから、そうやって気をつけていたのになんで『粘液型脂肪肉腫』っていう珍しいがんになっちゃったんだろう。

そしてそれが遠隔転移していて、もう長くないってどういうこと。
低悪性って言ってたのに、なぜ?


同じ病気の方の参考になるかどうかはわかりませんが、こういう希少がんもあるのだということを知ってもらうためにも書いてみます。

今回は、ざっくりと発覚するまでの経緯を記録します。




友人の死

2021年、コロナ禍真っ只中の3月。学生時代の友人の訃報が届いた。
45歳。早すぎる死だ。

脳腫瘍の末期でもう目も見えなくなっていた頃、新型コロナの院内感染で死期が早まったとのことだった。入院していたのは以前からちょっとアレな病院であった。やはりかという感想がでてきてしまうくらい。どうしてそんなとこに入院していたんだ。無念だったろう。

そして別の友人も21年4月に新型コロナ罹患後、半年経った12月頃に突如寝たきりになってしまったという。他に疾患はなかったことから、新型コロナの後遺症ではないかということだった。新型コロナの後遺症研究に関する署名運動に協力して欲しいということで、別の友人経由で連絡が来たのだ。もちろん署名運動には参加した。

旧友とオンラインで再会を果たし心がいくらか若返るも、コロナ禍真っ只中で若くして旅立った友人を悼む気持ちや、寝たきりの友人の心配でしばらくは気持ちが浮上できないでいた。


現在、後遺症で寝たきりだった友人は起き上がれるようになり、仕事にも復帰できたそうです。本当によかった。本当に嬉しい。



葉状腫瘍になっちゃった。

4月に入り、右胸に違和感を感じた。2月にはなんにもなかったはずなのに、なんだか大きなしこりが右胸の側部にできている。これが葉状腫瘍ということだった。

この病気は胸にできる腫瘍のたった1%しかない珍しい病気で、あまり研究が進んでいないので切除するしか治療法がない病気である。

亡くなった友人が脳腫瘍だったこともあり、手術まで不安でいっぱいに過ごす。インフルでぶっ倒れて1日だけ入院したことなどはあるけど、こんな大手術で入院するのは初めて。しかも聞いたこともない珍しい病気。
調べてみたらそんなに悪性度が高い病気じゃなかったからよかったものの、大手術の不安は拭えず。


今思えば、これは粘液型脂肪肉腫の遠隔転移だったんじゃないかと思います。
粘液型脂肪肉腫は低悪性の肉腫で、右胸にできた葉状腫瘍は境界性(悪性の細胞が入っているという意味)。

両方珍しい病気であまり研究が進んでいませんが、共通することが「間質性」であることだと乳腺科の先生から説明を受けました。加えて、なんらかの関連が疑われるが両方症例の少ない病気であるため、研究が進んでおらずわからないだろうということでした。


5センチ×7センチという大きさに育っていたため(葉状腫瘍は成長がはやい。粘液型脂肪肉腫も成長が早い)、痛みも出てきたので即手術という運びになった。

こうして2021年5月、私は右胸を全摘出した。腫瘍の縁が肋骨に掛かっていたため、肋骨の筋肉の一部も削り取ったということだった。今でも右肋骨がじくじくと痛むことがある。

手術後は二週間弱入院した。手術時に作ったルートから血や体液が出なくなったら退院。袋をぶら下げての生活は結構厳しかった。お風呂も入れないし。(下半身だけシャワーとかはできた)

その後はエリブリンとかの抗がん剤治療という選択肢もあるけども、がんではないから絶対に効くというわけではなくおすすめしないということで治療は終わった。

不安が大きかったけど、終わってみたらあっさりと終わった気がする。

右胸全摘後のリハビリは大変だった。私は痛みに弱いので、胸周りから右腕の二の腕まで皮膚感覚がなくなっていたのは幸いだったが、深部の傷がしばらく痛んで腕を上げることも運動することもできなかった。それはその年の年末まで続いた。

その後は定期検診を受けるだけで、気楽なものであった。

それなのに、右足が。

実は葉状腫瘍が見つかる5年前の2016年から、右足ふくらはぎに違和感を感じていた。
なんだかおかしいのだ。硬くなってきているような太くなっているような。

それはどんどん範囲が大きくなり、ふくらはぎは太くなっていった。
ついには左足ふくらはぎの1.5倍の太さになっていた。

なんだろう?これ。
血行が悪いのだと思って、マッサージをがんばってした時期もある。
リンパ浮腫を疑って、やっぱりマッサージをがんばった時期もある。
でも血行が悪いにしては皮膚の色は正常だし、押しても戻ってくる。
なんだろう?これ。

3年後の2019年、さすがにおかしいと思って個人医院の整形外科を受診した。
レントゲンだけ撮って異常なしとのことだった。
運動不足だと笑われて、終わった。

そんなわけねえだろと思い、セカンドオピニオンも頭をよぎった。
でもまた医者に笑われたら嫌だから、ここで止めてしまった。


これが人生最大の後悔です。
このときに切除できていたら、転移しなかったかもしれないと思っています。肉腫が10センチ以内なら遠隔転移しにくいと言われているようですから。



そしてその2年後の2021年に葉状腫瘍に。

その年の年末。


2021年の右胸全摘後の経過も良いし、痛みもだいぶなくなってきたから翌年から仕事ができると意気込んだが、右足に不安がある。

この頃になると足首にまで痛みが出るようになって、長時間の歩行ができなくなっていた。これは絶対なんかあるんだけど、怖い。でもはっきりさせないと新しく始めた仕事に支障をきたしてしまうかもしれない。
だから今度は大きな病院で診てもらうことにした。

大学病院で診察を受ける。
かかりつけ医がその病院の総合診療科に昔在籍していたこともあり、まずは総合診療科に紹介してもらった。
そこでは超音波で診てもらって、どうやらふくらはぎの中に腫瘍があると突き止めてもらった。超音波で見つかるんじゃん。どうして最初の整形外科は超音波で診てくれなかったんだろう?

そしてこれは軟部腫瘍だと思うから、担当の整形外科に院内紹介しますということで、数日後には整形外科を受診した。そこでもやっぱり軟部腫瘍を疑って、生検やCTなどの検査をしますということだった。

そっか軟部腫瘍か!悪性のものじゃないんだよね?
こんな足にそんなできものができるんだ。
人間の体ってすごいなあ。

なんて、このときは不安半分、好奇心半分でわくわくした気持ちでいた。
わくわくするなんて不謹慎だと思うだろうけども、体験したことのない時間だったからしょうがない。そのときやっていたブログに書き残すものができたってちょっと喜んでいた。

いくつかの検査を数日に渡って受けて、23日には結果がでるという数日前に連絡が来て追加の検査を受けてくださいということだった。
この時点で、嫌な予感がしていた。

これ、悪いものじゃないの?

そりゃ、ふくらはぎは痛くも痒くもないよ。歩くときはちょっと足首が痛いけど。でも追加の検査してくださいってことは……
もうアレってことだよね。

そうして迎えた23日。クリスマスイブ前日。
私は『粘液型脂肪肉腫』であるという診断を受けたのです。

そして現在

現在、診断から1年と11ヶ月が経過しました。

その間にセカンドオピニオンをがん研まで貰いに行ったり、放射線治療や足にできた粘液型脂肪肉腫の切除手術を受けたり、きっつい抗がん剤治療も全部で5クール経験しました。手術の後遺症で足首が曲がらなくなったりなどの障害も負いました。

そして2023年5月、総合病院で胸の葉状腫瘍の切除手術から2年目の検診を受けました。その中の超音波検査で、右の脇の下に腫瘍が見つかりました。
葉状腫瘍の再発とは考えにくいとは、このときに言われました。
そしてその腫瘍の切除手術を受けることになったんです。3年連続の全身麻酔による手術が決定しました。
ここまでは、しょうがねえなあという感覚しかなく、大事になったとかそういうことは思っていませんでした。

しかし、その術前検査中に肝臓や腹膜にも腫瘍があることが発覚したのです。

頭が真っ白になって、何が起こっているのかわかりませんでした。総合病院の医師に「今はいい薬もあるから希望持って」と言われ、やっと「ああ、もう長くないのかも」と思ったのでした。
この後、母親に電話をかけて号泣してしまいました。葉状腫瘍から粘液型脂肪肉腫の治療をして、初めて泣きました。

そして、いろいろ思考が停止していたからすぐ大学病院には行かず、脇の腫瘍切除手術を受けて(この時点では何者か確定していなかったのもある)、手術の回復を待って、7月に大学病院で再度検査を受けました。
そこで肝生検を受けて、粘液型脂肪肉腫の遠隔転移だと確定したのでした。

今は、延命治療としてヨンデリスによる抗がん剤治療を受けています。幸いなことに腫瘍は今年7月時点から大きくはなっていないようです。

しかし大学病院の医師によると、元気でいられるのは2023年いっぱいくらいじゃないかとのことでした。それ以後は薬が効かなくなって、半年ほどで召されるんじゃないかなあということでした。

希少がんなので、抗がん剤の選択肢がないのです。今やっているヨンデリスが効かなくなったら終わりといっていいでしょう。エリブリンという選択肢もありますが、変えたら副作用が大きくなる割に絶対効くという保証もありません。結果的にヨンデリスと同じくらいの期間しか生きられないんじゃないかと思いますし、医師もそのような見解でした。

ですから、これからの治療はヨンデリスによる延命治療と、その後は痛みを緩和する治療になっていくということです。


7月の遠隔転移確定から、4ヶ月が経ちました。

なんだが一周回って、現実感がありません。
今のところ、抗がん剤によるだるさやむくみに苦しんでいますが、別に痛くも痒くもないのです。
だからもう死ぬんだという実感は、最初は凄いあって焦ったりしたものですが、現在では一周回ってあまり感じられなくなってしまったのです。

たまに襲ってきて怖くなったり泣いたりもするけども、普段は忘れてたり…笑

あとは治療の合間に、友人知人に連絡を取り会ってみたりしています。
最後に会っておきたいというのが今のところ一番の希望なので。

悔いのないようにしたいとは思ったんですが、そんなことは不可能だと日々実感しております。
やれることをやれるだけ、それだけしかできないって実感してます。
だからまあ、いい加減で生きていきます笑

こんな感じで現在は日常を過ごしています。
まだ元気でやっているので、その間はなにか書き残して行ければいいなと思っています。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
長くなってごめんね。


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