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この世界から消える情報は何だろう

「隣のビルで感染者が出たらしい。」そんな本当か嘘か分からないような噂ばかりが流れる中、いよいよ来週から原則リモートワーク化が決まり、金曜日の会社は戦々恐々としていた。自宅勤務に向けて、数え切れないほどの「運用ルール変更」の連絡メールが飛び交っていた。どのメールの冒頭にも【重要】がついていた。私も1通だけ、件名に【重要】をつけてメールを送ってしまったが、送った後に後悔した。もはや【重要】という言葉は、みんなのメールボックス内で完全にゲシュタルト崩壊していた。あ、読み飛ばされるな、と思った。まあもう仕方ない。

社内で長年「どうしてこれって紙の運用なんだっけ」と思ってたことの大半は、ウィルスの強制力によって革命的にデジタル化が進んだ。恐ろしい量をコピーして郵送していたやりとりが、一気にデジタル授受に変わってくれた。やろうと思えばできたことを、私達はとにかくずっとやってこなかっただけだった。目をそらしていたことと否応なく向き合わされ、革命という革命が連日にわたり起きた。

問題は、この革命がどのくらい続くのかがさっぱり分からないことだ。私の心はまだフワフワとしていて、新しいルールがなかなか頭に入ってこない。これが永遠に続くと分かっていれば、もう少し新しいルールや環境を受け入れるのに本気を出せるけど、まだちょっと本気を出す気力が出てこない。身体はピンピンしているのに、なんだか生きるのに精一杯だ。広いフロアで、ガヤガヤした場所で、声をかけられて質問されて答える…みたいな雰囲気で、「仕事した気分」になっていたのかもしれない。それが無くなるのがちょっと怖いのか?そのうちまたすぐに普通の生活に戻るんだろうと期待しているのか? 仮にそうだとしたら、甘ったれている。けど今は自分の気持ちが、なんだかよく分からない。

リモートワークに欠かせない、データ化できない資料類を選りすぐるのにも苦労した。教材作りに必要な冊子や辞書類、いくつかのマニュアル類、社用携帯と充電器とノートPC、そして100ページほどある赤入れ原稿の束。結局、赤入れ原稿でカバンが膨れてしまった。「おいおい、デジタル革命はどこ行った?」と自分にツッコミを入れつつ、こう言い訳をする。PC一台では画面のスペースに限りがあって一覧性がない。どうしても分解された情報の断片になってしまう。広く見比べたり俯瞰したりしたい時は、紙の方が良いのだ。
そう思ってしまうのは、私が昭和生まれの人間だからなのかもしれないし、単純に脳の使い方が不器用だからなのかもしれない。

帰り際、しばらくオフラインでは会話できなくなる同僚達と別れを惜しむような会話をした。しかし、みんなマスクをつけていた。だからマスクの裏の表情が見えない。次いつ訪れるか分からないオフライン・チャンスなのに、肝心の情報が足りなくてもどかしかった。思えば、ここしばらくマスクのせいで「表情」という情報が消えていた。

笑顔が見えても遠隔で画面越しに会話するのと、近くにいても表情がさっぱり見えないまま会話するのとは、どっちが快適なんだろう。私はこれからの働き方で何を失い、何を獲得するんだろう。消える情報に気づかないまま、私の世界は蝕まれていってしまわないだろうか。別に変化することはちっとも嫌いじゃない。でも今は、この世界から何が消えていくのかが気になって仕方ない。

今日の東京都の感染者は118名。


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