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R-typeⅢ、雷光は思い出の中に


1、ストーリー性と台詞

 言葉を発するという行為はその人生を決定付ける。
 小説や映画でキャラクターが言葉を発するのは何を意味するか。
 それは間接的な「読み手との決別」であるといえる。
 古き懐かしきゲームとはプレイヤーである読み手の分身であった。
 プレイヤー自身であり物語を辿る中心に位置するものだった。
 

2、R-typeⅢ THE THIRD LIGHTNING

 ゲーム史上あらゆる映像作品を超える没入感を得た至高の作品。
 パイロットは世のプレイヤー自身、キッズの心である。
 無二の感動と演出は到底語りつくせるものではない。
 オープニングに響き渡る星空。
 機械生命体を彷彿とさせる断末魔。
 想像もできない怒涛の展開。
 ハイパー波動砲の圧倒的な暴力とそれでも勝てぬ強大な敵。
 苦難を重ね進んでいく経験の蓄積。
 そして、エンディングで輝く逆三角形スラスターの光芒。
 あれほど衝撃を受けたゲームは存在しない。
 立体化されたものがオリジナルで「ない」のも加点になる。
 全てが過去に置き去りにされたという計り知れないロマンである。
 SFSTGの金字塔、もはや再現できぬ名作。

原作ドット絵スラスターは上部に横並び2基

 その心を無下に叩き潰したのがグランゼーラである。
 再現機という甘えがシャドウフォースを紛い物にし。
 ドットデザインのまともな再現すら放棄し。
 あまつさえクラウドファンディング出資者をBANネームにし。
 全てに泥を塗った元凶である。
 

R-typeΔを買った時に作ったハンドルネーム
10数年の想いは露と消えた

 全て消えてしまわないだろうか。
 願わくば、あの熱を過去のものにして。
 希望を見出し失ってしまうのはダライアスバーストと同じ道である。
 私のSTGはもう死んだのだ。
 
 あぁ、羽虫が鬱陶しい。

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