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子供の頃の不思議体験

少し前まで、親しい人以外に言えない

秘密が二つあった。

一つは虐待を受けて育ったこと、

もう一つは子供の頃の不思議体験。


虐待の件はこちらで開示してホントに楽になった

読んでくださる方の感想のおかげで

更に癒しが進んでおり

自己開示のメリットを体感中である


私の子供時代は

虐待されて忙しい毎日

そんな時は余裕がないため

現実に没頭し

親から離れ、1人でぼーっとして

自分の素に戻った束の間の時間に

火の玉や幽霊が見えていた

常に慌ただしくて

振り返ると

自分の体験を秘密にしなければならない

世界に生きていた

親子関係がうまくいっていたら

両親に泣きついていただろうが

わたしの場合は

更に叱られる材料を提示するようなもので

全面否定されるのも嫌で

誰にも言わなかった

また見えるものはよく漫画に出てくるような

怖いお化けではなく

本当にはっきりときれいで元気な人の姿のまま

よく見たりすれ違うと透明に消えてしまう

だけで、最初は目があって

吸いよせられるように見えてしまうものだった

足もある

(ちなみに、うちの息子は小さなころから

霊が見えてやたら怖がり

その都度わたしに報告してくる。

わたしは今は子供の頃のように

霊の姿ははっきり見えなくなったが

悪いものの場合は、わたしと息子で2人で相談している)


わたしが子供の頃、不思議現象を見たときは

その現象に目を疑い、

これをわたしが言ってしまったら

自分に罰があたるのではないかと、

言ったらいけない秘密だと

常に私が見た人魂とか、幽霊を恐れていた。


遡って最初の私の記憶が


顔の上に突然動物柄の

手ぬぐいが乗って鼻と口が塞がれる記憶

苦しくて息ができなくてなんか自分から見ている

動物柄の、

白い手拭いでぐらぐらと目の前の画面が揺れている

その時自分が乗っていた藤でできたような

乳母車も思い出す

一瞬意識が薄れてた記憶

それは大人になってから話した時

いやそんな赤ちゃんの時の記憶なんか

ないよねと言われる

原体験がその手拭いのシーンで

その後も

3歳時に祖父母と別れて親が迎えに来るシーンとか

子供ながらにあまりに衝撃的なのも

あるかもしれないが

意外と記憶が残っていて

自分がそうなので当たり前だと思っていた。

母親になり子育てをしてみると 

自分の子供は3歳前後の記憶は覚えていない

のでこれは一般的ではないのだと知る。

両親と生活するようになってすぐに

虐待が始まり、現実にどっぷりと浸かり

毎日過ごすだけで手一杯となったが


心霊現象には注意を惹かれなかった

しかし1人になったときとか

少し自分の余裕がある時

両親が長時間出かけているとか

虐待の暴力を受けていない時

自分の心が悲惨な現実にとらわれていない時

そんな時に決まって火の玉を見たりしていた

とてもきれいな光で

炎のようにぽっかりと見えた

夕方にはっきりと幽霊を見たのは

祖父宅に遊びに行った小学高学年の時だった。

夏休みを利用して泊まりに行った

祖父宅は家にいるときと違い、居心地が良かった。

両親とは全く違って私を自由にさせてくれた。


駄菓子屋の見せ番もさせてくれて


時折訪れるお客さんに対応するのも楽しかった。



両サイドが蓮畑の間にある一本道を手前の駄菓子屋から歩いていくと

山のふもとに田舎の祖父宅があった

(今思えば蓮畑とか、シチュエーションが整いすぎている)

その日も

祖父が営んでいた駄菓子屋を夕方終えて

私と一緒に歩いて帰宅するところだった

一本道を歩いていくと道の最後にある貯水槽の手前に花柄の浴衣姿で大きな

団扇をあおいで髪を1つにアップでまとめた若い綺麗な女性が座っている。

使いこんだような赤い鼻緒の草履を履いていて足もしっかりある。

私たちが、歩き始めるとすぐその女性が目についた。

私が夏休みを利用して

祖父宅に遊びに来てからこの近所には

そんな若い綺麗な女性を見たことがなかったが

近づいたらきっと祖父は挨拶をして

そこで紹介してくれるだろうと思ってそれまで何も祖父には聞かずに歩いて

行った。

そしてちょうどすれ違った時

「あのお姉さん、あんな高いところ(貯水槽に)座ってるの?」

と祖父に聞こうとして振り返るとそのまま姿が消えた。

それが全く怖い感じもしなかった。

その女性が綺麗で、

当時小学校の頃見ていたような特にどこかから血を流してるとかいわゆる子

供を脅かせるようなお化けのイメージと違っていた。

祖父は、近づいても通り過ぎても何にも言わなかったし

とても静かで穏やかで、もし見えていたら挨拶もせず無視することはないと

思えたので、祖父には見えていないのかなと思った。


祖父に「あれおかしいなぁ今お姉さんがそこに座ってたんだけどなぁ、おじ

いちゃん見ていない?」と言ってみたら 

そんな人はいないよと言う。

彼女のことを思う時怖さが出てこない。

少し変わっているかもしれないが温かい気持ちになる

そもそも怖い幽霊を見たことがない

すれ違ったり振り返ったとたん

サッと消えてしまってその現象にはっとすることはあっても

怖い思いをしたことがない

大人になるまで

その現象が心霊現象とか認識できてなかったのだと思う

大人になって

特に霊感の強い息子を産んでから

私も再び霊感が強くなった


はっきりと幽霊の姿が見えないが

この場所がどうしても気持ちが悪くて

怖くてそこに近づけないとか

体調の弱った人のオーラが縞々だったり

透けて見えるとかそういったものは

わかるのだが姿は見えなくなった

ただはっきりとメッセージが聞こえたり

エネルギーが色で見えたりはする


こんな体験を通じて

私が得たものは死が怖くないことだった

幼稚園の頃ピアノの先生の

おばあちゃんがなくなって

初めて人の死を知ってもう会えないと

漠然とした怖さで

ワンワン泣いたのを覚えているが

その後に見た心霊現象で

当たり前のように

死後の世界と言うのはあるのを見ていたせいか

虐待で首を締められた時に

死は怖くなかった

そして、ここまで書いて、迷いが生じた。

こんな心霊体験を書いて自分の体験が否定されるのが怖くなった。


虐待の経験は、自分の中で、昇華して癒えているせいか、

もし誰かになんと言われようと関知しない。


ただし、この心霊体験が、

虐待を受けていた子供が現実があまりに

辛すぎて、妄想の中で遊んだり、自分を満たすような自己防衛の反応だと

言われて、否定されたような気がしたら悔しいと思えて公開をためらった。


実際に、子供時代の現実があまりにも過酷な環境だったからこそ

第六感が磨かれたというのはあると思う。


客観的に誰かが書いた心霊体験などの記事を読んでもなんとも思わないし、

そうだよねーと共感したりしているくせに

自分自身のこととなるとかなりの抵抗が残っている。


ただ、子供の頃だけで終わらず、

霊感を持った子供が生まれたら実際に、

わたしも感化されて、また第六感が鋭くなり

そんな自分の能力を面白く誇りに思っている


そして、どれも私にとっては自分の大事な体験だから

無かったことにしない、全部自分の大事な体験だから

自分でそれを否定しないと決めている。







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