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親との関係に悩み、人生に絶望していた精神科医が、心から安心した世界へ


初めまして、精神科医 野又美乃です。

私は子供時代の過去の自分を自分で癒し、
親子関係や男女関係をリフレーミングをして
生きづらさを抱える人が
人生は安心感に満ちたものであるという認知に変わり、
本来の魅力を発揮していくセッションをしています。

複雑で過酷な養育環境で育った私ですら、
親やこの世界からの
愛を受け取り人生を好転していくことができたのだから、
これは本人の意志さえあれば誰にでも可能、
今、悩んでいる人たちの救いになると確信し、
活動しています。

私や私達ができるのは、育ちの負の連鎖を自分の代で止めること、
実際にセッションを受けた方からは
その情熱と精神科医の専門知識に裏打ちされた知見も、
丁寧で説得力があると信頼と感謝の声を頂いています。

臨床経験15年1万人の人生を変えてきたスキルが、2021年7月から始めたこの1年半間の個別セッションにて、かなりの拗らせ男性不信からの結婚に至った方女性3名、婚約1名、離婚寸前から夫婦仲改善6名、個人ビジネス月商3~5倍の稼ぎになった方2名の実績があります。
2022年3月・7月・10月に1万人越えのFacebookグループにて、ライブ登壇させて頂く機会を得たときに
顔出しをするか、本当に悩んだのを覚えています。

精神科医たるもの、
自分のプライベートは明かさない、
患者さんの投影の役割に徹するようにトレーニングされてきた
そんな私が
職場の同僚や自分の患者さんにも開示していない事情を
1万人のfacebookグループで自己開示することは
初めは、医師としては常識外れで、
大それたことに思えました。

(同業者に知られたら、何て言われるだろうか?
医師の評価は下がるだろうか?)
と迷い始め、最初は不安で怖かったです。

しかし、私の本心を自分で探った時、
世間の常識がちっぽけに思えるくらいに
実は内心では
あんな状況から
克服して来た自分の道のりはなんと誇らしいのだろう

という嬉しい気持ちで喜んでいたのです。

同時に
生きる希望を持てなかった子供時代に、
私のような精神科医が話しているのを見たら
どんなに希望になっただろう・・
あんな人もいるなら私も頑張れる、
そんな風に勇気づけられたに違いない!

自分で自分を癒すと精神科医になり
やっとそれを実現できて
人生の目的が一つ達成されて
更に、世の中に伝えるチャンスが来たのに
顔出ししないのはまるで
頑張って生きてきた子供時代の自分が
後ろめたいみたいで
むしろ浮かばれない。
そんなのは嫌だ。

ごくわずかの私の事情を知っている医師の上司や
同僚はいつも100%応援してくれて、心無い人はいない
医師としての評価はそんなもので決まらない

と、かなり強い自分の意志が隠されていました(笑)

実際は主宰の小田桐あさぎさんの愛情深い
お人柄もあり、ちゃん卒facebookグループでの
皆さんのコメントや反応も温かくて
登壇=自己開示となり、私の更なる癒しを深めてくれたので
感謝しかありません。

顔出し云々で
私が気にしていたのは私の知る由もない
人の反応だったのだと気付いて
そこから発信していく際の向き合い方が定まりました。

そんな風に、今でこそ
世間に発信することが
同時に自身の過去の癒しを深め、
より強固な安心感の土台で生きられるようになり、
更に、生きづらさを抱える方のお悩み相談にのっている私ですが、
以前の私は全く違いました。

物心ついた子供の頃から親子関係に悩み、
この理不尽な関係に
子供ながらに絶望し
自分で自分を治そうと頑張って
精神科医になったのに、
母親になっても未だ解決しなくて
もがいていました。

2020年、子供優先した自己犠牲の
育児のさなか、
「無条件の愛情をもらえているわが子がずるい」と
嫉妬している自分に気づき、
自分が情けなくて泣きました。

「このままではせっかく手に入れた幸せを自分で壊してしまう。

どうにかして負の連鎖を断ち切ろう」と決意し、親子関係をリフレーミングして愛着障害も克服し、私の人生が激変した経緯を以下にまとめました。

私の変化を紹介すると

・幼少期の複雑な生い立ちや境遇をひた隠しにして孤独だった→
自分の体験を1万人のFacebookグループにて自己開示できるようになり
同じような体験や境遇の方、それ以外の方にも共感され、生きづらさを抱える人が
私のセッションに来てくれる日々

・悲惨な養育環境にいた私だって、親に愛されて生まれてきたと感じてみたい→
両親に愛されて生まれてきたことが腑に落ち、世間を信頼するようになり、心から安心して生きられるように

・人生のどん底→人生が楽しみになり、生命力を取り戻す

・癒しきれない過去を引きずる
→過去を癒し、更にただ生きていること自体が、更に過去を癒す日常を更新する日々に変化している

・反面教師で良い母になろうとし、
自己犠牲から来る子育てで、自分を追い込んだ→
頑張ることをやめ、子供を信頼することでイライラも少なくなる

・幼少期の育てられ方は親の責任、人間関係を拗らせたのは親のせい→
親もまた被害者であったと知る、
その中で育ててくれて感謝、
後は気づいた私が家系の負の連鎖を止めるだけと、思考が整理される

というかなりの変化を遂げました。

ではここからは
時系列の振り返りをさせて頂きます。
お付き合いください。


1 親子関係に悩む子供時代


私が物心ついた時には、既に家は安心できる場所ではありませんでした。3歳まで他に預けられていた私は、途中から家族と同居することになりました。両親は常に忙しそうで、時間の余裕が全くないように見えました。スキンシップしてもらった記憶もなく「親子って何なのだろう?何のために生きているんだろう」と常に考えている暗い子でした。

3歳で初めて一緒に生活しはじめた父に緊張し、下のきょうだいが普通に抱っこされているのが羨ましかった。
ねだることもできず、父も、そんな私に気づく配慮もなく、まもなくして暴力が始まり、甘えたくても甘えられなかったのでした。

わたしが同居してから、4歳年下のきょうだいも生まれたので、母は赤ちゃんを抱っこ、父は私のすぐ下のきょうだいをだっこ、いいなぁと思っていました。

家の中では、親の機嫌を取るのに精一杯でした。機嫌をうかがって行動しないとそのあとが怖いので、自分の言いたいことは言えずに育ちました。

常に緊張していたので、体に力が入っていて歯の食いしばりが強いのも
幼少期からでした。
親との関係の恐怖から、自分の体や心の痛みを感じないように、今振り返れば、それは必死な防衛本能と、絶望感からだったのでしょうが、
まだ小学低学年で自分の感覚を麻痺させ、鈍感に生きようと意識したことを覚えています。

のちに医学部生になり、必死に読み漁った精神医学書で、被虐待児や
愛着障害の子供が、一見無表情な発達障害のような様子を示すことが多いと知り、そこで初めて自分の反応を始めて理解したくらいでした。

両親以外の大人の怒鳴り声も今思うと、過剰反応くらいの恐怖に感じ、父によく似た学校の先生や大人の男性を前にすると文字通りフリーズしたり、普通の会話でも泣き出してしまったり、声を出せなくなったことがよくありました。学校では、先生や大人と話さない子(怖くて固まってしまう)として通っていました。

そんな状況でも両親の言うことを聞けばいつかは、大事にしてもらえるのではと信じ両親を慕い、愛を求め、一縷の希望を持っていたのです。

ところが、小学5年時、はっきりと心境が変わる出来事がありました。
今まで僅かでも両親に愛されたい、1日も気の休まる日がなく機嫌を取るための行動に全集中してきたけれど、今回のことで完全に裏切られたと思うほどの事件でした。

それが、私にとっての転機になり
これ以上、この人たちの言うなりになるのはやめよう、機嫌を取る必要はない、脅しをするのは最低だと、今まで抱いていた
不安や緊張感ではなく、両親に対する憎悪や怒りの感情がメラメラと燃え上がりました。

親のせいで自分が道を踏み外すのはもったいない、大人になって最高に幸せになるという最高の復讐をしようと10才で決心すると、
親への復讐が私の生きる意欲になったのです。

絶望の中にいたときは生きることに意味を見出せませんでしたが、皮肉なことに怒りや恨みで
早く自立して家を出る、そして大人になったら幸せになることを目標
にして生きられるようになりました。

当時は、そんな家庭から助けだしてくれなかった世の中の大人全般(学校の先生、近所の大人、祖父母、親戚)を恨んでいました。現状を知っている身内も見て見ぬふりで、誰も頼りにならない、自分は大切に扱ってもらえない存在だと、大人や世間に対し、かなり卑屈になって心を閉ざしていました。

2 自分が親になり、更に自己肯定感は下がる

子供の頃は家庭に味方がいなかったし、学校に行けば親友など、仲の良い友達はいたけれどもそれは学校限定の話、社会に出て医者として自立できたけれども上司、同僚、患者さんと言う仕事での関係のみ、親しい友人はいるけれどもそれぞれの人生のステージで次々に変化する期間限定の人間関係と、相変わらず、孤独を抱えていました。

仕事は、自分の辛い体験が、病気を持って生きづらさを感じる患者さんに共感するのに役立ちました。仕事は好きだし、私にとっては簡単にできることでやりがいを感じることができ、適職で天職だと感じました。

親子関係をこじらせ、家庭という存在に嫌悪感を持っていた私は結婚にも夢を抱けず、家庭を持つことは想像できませんでした。
それが、縁あって誠実で優しい夫に出会い、そして子供にも恵まれ親になりました。

しかし、仕事で感謝されても、夫・子供という絶対的な自分の味方ができても、まだ自己肯定感が得られないという子供の頃からの私のテーマ、人生の課題に悩んでいました。

子供が1番、自分が2番の自己犠牲の育児をしていました。
それは、私が母親にしてもらえなかった怨念みたいなものからくる反動で、私は昼間仕事もして、睡眠不足なのに24時間体制で母乳育児をしたり、自分を追い込む辛く苦しい時間でした。

ついに、ある日

(私は大事に育ててもらえてないのに、この子は私から無償の愛情をもらっていてずるい。私と全然違う。恵まれていて羨ましい。)

新生児の2時間おきの授乳で寝不足が続いた上に、上の子もまだ手がかかる乳幼児時代に
(私ばかり子供にやらされている)という被害的な本音に気づきました。

愛するわが子へ妬みを持つ、自分の未熟さ、
親への反面教師で理想の母に必死になろうとしていたけれど

(子供を妬むなんて、私も親と同じ?)

と、自己嫌悪に愕然とするのでした。

毎日、上の子を保育園に送った帰り道、
まだ保育園に入っていない下の子の
ベビーカーを押しながら、

(子供時代の自分の悩みを自分で解決したくて、
精神科医になったのにできてないどころか、この嫉妬。
子供時代より、今が一番、辛い。
他人の問題は解決できるのに
何で自分で自分の問題を解決できないの?)

と自分責めして、泣きながら歩きました。惨めでした。

3 自己肯定感を得たいと渇望していた


せっかく家を出て自立して、自由になり、
医者の仕事で患者さんに感謝されても、
専門の資格を次々更新していっても
国際学会や学会で発表しても
自分の理想だった良い母になっても
自己犠牲の精神が強くなるだけで、
頑張っているだけで、
自己肯定感はむしろ下がる一方でした。

そしてやっぱり、私にとっては最後まで男性不信が残って
なかなかしつこかったです。
父と同年代の男性に対するフラッシュバックにより
日常が足をとられちゃうような感覚、
前に進まない、思考が混乱する感覚、
この世に対する絶対的な信頼感があれば、
フラッシュバックしても、
現実の世界に必ず戻って来れるのです。
どうにかして、それが欲しいと渇望していました。

そんなわけで、自己肯定感、
自分もこの世に愛されて生まれてきたという確信を、
喉から手が出るほど手に入れたいと渇望していました。


どうしたらそれが手に入るのか?
夫や子供、大事な家族もできて、
私には安心基地があり、
子供時代と違い、
信頼できる人間関係も構築できるようになったこの段階で、
わたしの人生に残す課題は
あとそのくらいだという気持ちで意気込んでいました。


4 出生後すぐに両親から切り離された悲しみで頑張る方向を間違える


前述したように、私は3歳まで実の両親とは別のところで養育され、
あまりに強烈な記憶だったのか
突然若い男女が車で迎えに来たのを覚えています。
(それが両親でした)

私の頭の中で、生後すぐに両親から離された=私は親に見捨てられたんだと変換していたほど、
0歳から3歳までの大事な時期を母親に何もしてもらえなかったという恨みを強烈に膨らませました。

その反動が、これもまた前述の24時間体制の完全母乳という極端な行動につながりました。
私は常に子どもに密着し、抱っこしていました。
母乳も、上の子は3歳まで、下の子は飽きるまであげました。

真冬に、下の子の夜間授乳をしていたら、あっという間に変な咳や痰が出て、これはまずいと知り合いの医者にレントゲンを撮ってもらうと、たった数日で肺炎になり、知り合いから「自分の体を大事にしなさい」と諭される始末でした。

自分が味わった辛さを子供にしてはいけないという一心と親への恨みから
必死に自分を追い詰め、今思うと「頑張る方向が違うね」と声をかけたくなるような状況でした。

5 コロナにより自分の人生を見つめなおす


そんな頃、子育てと両立するべく、当直のある病院勤務をやめ、
産業医やクリニック勤務にシフトしていた頃、
2020年ちょうどコロナによる自粛も始まりました。

今でこそ、オンラインですが当時はまだオンライン導入している会社は無くて、産業医の会社へ訪問する仕事は一気になくなり、収入がゼロになりました。急にお金の不安が強くなり、お金を使うのが怖い、
節約しなきゃと焦り始めました。

以前は医者の資格があれば何とかなるだろうと思っていましたが、
今後はこの働き方はリスクがあるなと実感しました。新しい働き方として、副業の模索が始まりました。

更に、コロナの自粛時期は狭い都内マンションに1日中、大人2人、乳幼児と小学校低学年が生活するという今までなかった生活パターンになりました。

子供は喧嘩が絶えません。在宅勤務の夫は、子供の騒音でイライラしています。

わたしは、毎日子供を見張る生活、休校中の小学校は大量の自宅学習の宿題を親に丸投げ。低学年で学習習慣もなく、ガミガミ注意する自分にも嫌気がさし、イライラは募ります。

夫はオンライン会議時、ドアを閉めても、狭いマンションの室内で子供の泣き声が入ったりして、夫が不機嫌になるのが私にもストレスでした。

当時の私は夫の本心は聞かずに、私に収入がなくなった引けめと不安から、夫を不機嫌にさせないようにと気を遣い、毎日、朝と夕の2回、下の子を連れて公園や散歩に行くのが日課になりました。

近くに相談できる祖父母や友人でもいればまた別ですが、うちは義両親は遠方で、実の両親とは音信不通。頼れる親族もいないし、身近には良識あるママ友で子供の話だけをする上辺だけの間柄、本音を打ち明ける関係ではありませんでした。何でも話せる親友はいたけど独身の子ばかり・・。

仕事はなくなり、まさに核家族のストレスと孤独にさいなまれた私は、自分はこんなに頑張ってきたのに何でうまくいかないんだろうとどんどん自信も無くなり、お風呂で息を殺して泣く日々が始まりました。

そういえば私は独身の頃、私の肉親と縁の薄い生い立ちを知る同業の先輩から、


「あなたは親に理想的な育てられ方をしていないから、
結婚はしても、残念だけど親にはならないほうがいい、
良い親のロールモデルを知らないから負の連鎖をしてしまうよ」

と、言われてかなり傷ついたのを思い出しました。

(悔しいけど、あの人が言ったようにやっぱり私には無理だったのかも。実際に、育児に悩み、つまづいている・・)


と、わざわざ思い出さなくてもいいような心無い言葉を持ち出しては、

余計に自分を追い込むのでした。

今、思い出しても、
当時の出口が見えない窮屈な気持ちと
苦しい自分責めの日々は涙が出るほど胸が痛くなってきます。

それまで、低年齢の子供には、長い間YouTubeを見せると脳の発達に良くない、すぐキレる大人になるという同業者の専門家説を採用していました。そのため、子供に見せるYouTubeやテレビも制限していたので、まだ字のよめない下の子の世話はわたしが担当し、今まで保育園にお願いしていたようなことがすべて自分に降ってくる状況でした。広い公園も自粛期間は遊具にテープが張られ、使用禁止になっていたり、子供の遊び場が入れなくなっていました。

体力のある男児を発散させるために近くの階段を何回登り下りしたことか・・・電動自転車で隣の区まで行って公園を巡ったり、暇つぶしとしかいいようのない時間でした。今までは、子供と遊ぶのが上手な夫が週末に、子供と公園巡りをしていたのに、こうして仕事のなくなった私が、毎日下の子を外遊びに連れだす日々、少しでも気分転換になればと自分の読む本を持参しても、ソーシャルデイスタンスの名のもと、子供は他の子とつるんで遊べないので、公園でも親が相手になり、自由時間はありませんでした。

子供の相手は向いていないことを痛感し、毎日自分の嫌なことを義務感からやっていて、イライラが募ったある日、


(なんで、わたしはこんなに報われない気持ちになるんだろう?イライラしてこんなに苦しいのは、今の自分の何かが明らかに間違っている。

わたしは親にここまで大事に育ててもらえなかった。

子供のために自分を犠牲にして優先するとか、もう限界。

自分が親に愛されていたらできるかもしれないけど、やってもらっていないから自分ばかりなんで?と思ってしまう。

反面教師で、子育てを頑張ってきたのにこんなに苦しいなんてどうしたらいいの?) 


という本音に気づいて自暴自棄になります。

夫が在宅勤務が終わった夕方の時間を見計らって、家にいるのが苦しくて、夫に子供を任せて誰にも告げずに頭を冷やそうと家を出て行く当てもなく30分ほどで帰宅するという虚しい家出散歩を繰り返すようになりました。

両親が嫌い、両親は悪、わたしは反面教師でがんばってきた、正義感で自分より子供優先の育児、そこに何か間違いがあるのではないか?
そして、今まで自分が信じ込んでいた常識とか呪縛から抜けて楽になりたいと、心から思うようになります。

夫婦2人で家事、在宅勤務、今まで保育園、小学校にお任せしていた子供が1日中在宅しその世話・食事、狭いマンションに住んで、普通に考えてパンクするに決まっています。

母親の私が自分責めをして、家族も責めるような不毛な今の状況をまずやめよう、それには自分に負担になっていること、下の子を毎日連れだすことは中止しようと取り掛かります。

自分に課していた子育ての常識や色々な制限を緩めざるを得なくなりました。

(もうこれは仕方ない、とりあえず、コロナが収まって、学校とか保育園が始まる通常生活が戻るまで)
と自分に言い聞かせて、AmazonPrime、テレビ、YouTubeも時間制限なしで解禁しました。アトピー気味の子供を気にしてなるべく外食も控えて、自炊していましたが、それも緩めました。

6  自分が自分の安全基地になり、親になる


自分責めが癖になっていたので、自分を責めない、自分に負担になっていることを手放すうちに、自分の心が嫌がることをしないように行動を変えていきました。

最初は、嫌なことをやめることをしていかないと、本当に自分が何がしたいのかもわからなくなっていたからでした。

そうしているうちに、先述の、真冬の肺炎エピソードを思い出しました。

自己犠牲でやってきた育児、やりたくもないのに正義感でやってきた事柄が多すぎました。

自分を満たしていないのに他人(子供)に愛情を注げるわけがない、

まず自分を満たす、自分が自分を大事にしてあげなければと腑に落ちました。

そもそも、私が母乳をもらえていない恨みの当てつけのような行動に近いのではないか、それは良い母でもない、誰も幸せになっていない、子供は睡眠不足のイライラされた母乳をもらうより、よく眠り、自分を満たしている母親からミルクを栄養としてもらえた方が、母乳栄養とかいう前にずっと健康的な母子関係が築けたのではないかとようやく冷静に自分を見たのでした。

そんな過去の失敗を思い出し、本当に小さなことから、自分優先に変えていきました。

特に私のように、
子供の時に両親に愛情をもらえなかった欠乏感が強い場合、

そうでない人よりも余計に自分で親にやってもらいたかったことの要求も多くなります。

自分に愛情深く接する、
自分が自分の一番の味方、安全基地になって
本音を聞いてあげたり、愛情を与え、大事に満たしてあげる経験

自分で自分を育てなおすことが何より必要
それが足りないから、
大事なわが子を妬んだりするのだと

子供の為にもまず自分を満たすことを、
より強く意識し、
行動し始めたのでした。


今までは子供のものは当たり前のようにお金をかけていたのに、自分のランチ代すら節約していたのをやめました。

食事の支度をするのを疲れていたら外食にする、
子供の洗髪は外出しない日はやらない。以前はアトピー気味の子供に気を遣い、自分が疲れていても自炊、入浴後は必ずワセリンなどを塗るなどをしていました。

そして、実際にそれをやめてみてもあまり変わりませんでした。

雨の日の子供のお迎えがどうしても疲れて嫌ならタクシーを使う。子供のPTAの役や係、今まで義務で長のつくものを受けていたのが、違和感が出てきました。PTAの会も、コロナで書類だけも可能になるときは休む。係も必要最低限はして、義務感からのものはやめました。そして、子供や親の比較に終わっていてわたしにとっては子育てのストレスが増えるような気分になる、うわべだけの人間関係、ママ友付き合いも距離を置きました。

子供は子供同士で世界があるのでママは必要ないと思い始めました。もちろん、自分が興味があってやりたいなら別ですが、理想の母親像、母親なら子供のためにして当然と言われていることすべてを疑い始め、自分の気持ちや、自分の機嫌を優先し、自分を満たすことに専念しはじめました。


7 自己犠牲をやめたら自分の心が戻ってくる


自分の優先順位を変えて、自分に夢中になり、他人軸から、真逆の自分中心の行動、生活をする、いわゆる自分軸で動くようになりました。

家族を見張らず、自己犠牲を振りかざすのをやめて、自分に集中している私にした私になりました。夫に色々強要しすぎて、良さが見えなくなっていたのが、何も強要しなくなった私に、夫は本来の性質に加え、更に優しくなり、ますます子育てや家事の協力もしてくれるようになりました。

コロナ時にはイライラが募って、毎日30分ほど夕方のむなしい家出散歩をしていたのが、今は、毎日のように自由時間があるので家出散歩は無くなりました。お風呂で泣いていたのもあんな頃もあったというネタになりました。

自分の心を優先し自己犠牲育児をやめたら、子供に対するイライラも減りました。自分の心が戻ってきた感覚がわかりました。


8、親子関係の悩みをリフレーミングによって解決する

今まで医者として学んだり、自分が受けてみたり、また患者さん達に行ってきた様々な療法はあくまでも、親子関係のトラウマにより精神症状まで引き起こした精神疾患を少なからず持つ方への治療法でした。

私のように精神疾患は無く、健康なメンタルを持つ女性が自己肯定感を得るには、また違っていたのでした。

私に合ったのは、小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座親ワークでも用いられていたコーチングで様々な目的で用いられているコミュニケーション心理学(NLP)のリフレーミングの手法でした。
リフレーミング手法は知っていたし、医師として用いていたけれど、
それを自分の親子関係に適応するのはかなり抵抗しました。

しかし、小田桐あさぎさんは魅力覚醒講座に入るときに、
人間不信だった私が、SNS発信が怖くて、
Facebookアカウントを何回も停止させていた時、
手を差し伸べてくれた方でした。
あさぎさんを信用できる人と思っていた私は、
あさぎさんが
「他の人とは違い(私のケースは)親を許さなくてもどっちでもいい
親を許すメリットは無いんじゃないか?」

と聞いてくれた時、そうはいっても
これは最大限の私のテーマであり、
「私だって愛されて生まれたと信じたい」と
そして
ほとほと誰かを
許さないとか恨むのは疲れた‥と
心から安心と愛情の世界で生きていきたいと
つくづく感じていたので
自分でそちらを選択しワークに臨んだのでした。

自分の感情、傷ついた気持ちを置いておくなんて、無かったことになってしまう、自分の子供時代を否定するようなものではないかと思っていたのでした。

精神科医でも、自身のことを自分で扱うのは難しいのです。

親子関係において、親=加害者、子供の自分=被害者のスタンスでは正しいリフレーミングをすることはできません。

子供をえこ贔屓すること、怒鳴ったり、暴力をふるっていうことを聞かせること=悪、公平に愛情をかけること、言葉で我慢強く諭すこと=善などという、善悪のジャッジも置いておくのです。

あくまでリフレーミングは、相手の立場に立つ、私の場合は両親それぞれの立場に立って、その時起こっていたことを理解する方法だからです。

視点を変えて両親の立場から見てみるのです。

当時は人を信用せず、まだ世の中を敵と味方で見ていた私は、

(親の視点?親の立場で見る?

そんなことをしたら親の味方になってしまうではないか、

私の味方が誰もいなくなってしまうではないか)と、
恐怖で抵抗していたのでした。

具体的なリフレームとしては、親=私と同じ一人の人間、

母の出産年齢は現在の私よりかなり年下で若く、まだ未熟な大人等々。

その時、親の仕事、職場環境、子育て環境は、そして彼ら自身の育てられ

方、親自身の人生の背景はどんなだったのか?

医者として毎回、カルテを作るとき、日々聴いている事柄です。

その人が、どこで、どんな生い立ちで、生育歴、家族構成、家庭環境、遺伝疾患、宗教、嗜好など、細かく聴いていくのが仕事ですから、そこは慣れていてそのカルテを頭の中で両親分、2つ作るイメージです。

自分が知りうる最大の情報を集めて、子供の私ではなく両親それぞれの子育てを見たときに、

(もしや、最大限頑張って私を産んで育ててくれた、両親の精一杯がそこだったのでは?)

と初めて、恨んでいた感情を置いて離れて見ることができ、

両親の立場からリフレーミングできたときに、
客観的な現実が見えてきたのです。


9 どんな形にせよ、親は子供を愛している


よくよく見ていくと、
父方祖父母の代から親子関係は拗れていて、誰のせいでもない、家系の歴史もわかり、今までは子供時代を思い出しても優しい気持ちになるようなエピソードが一つも無かったのが、両親も気の毒な被害者であるといえるし、それに気づかずに子育てをして子供からこうして恨まれている、この家系で気づいた私はむしろラッキーだったとさえ思うようになったのです。

今まで、両親からの愛情を感じられなかった私ですら、
愛されて生まれたと思えるのは可能だったのです。

それには、わたしがどうしても自己肯定感を得たかった、愛されて生まれたと信じたかった強い情熱が必要なのかもしれません。
そんな貪欲な気持ちさえあれば、どんな悲惨にみえる境遇で育ったとしても、誰にでも自己肯定感を得るのは可能だと思っています。

自分の理想通りの愛情表現では全くありませんが、確実に両親の愛情は存在していたという理解はできます。

その時に
私は自分が一生懸命取り組んできた精神科医としてのエピソードを思い出します。

重症な担当患者さんの一家のエピソードです。
わたしは父親の担当医で、母親のほうは別の担当医、夫婦ともに重症な病気を持ち、子育てにまで、手が回りませんでした。夫婦に子供が生まれたときは、本当に嬉しそうに、両親揃って報告しにきてくれたことを思い出します。

ところが、愛情はあっても、彼らの病状が悪化すると自分たちのことで手一杯になります。それも数年単位ではなく、私の担当期間は、常に調子が悪くて、1年に数回、頻繁な入退院を繰り返しました。

入院時に付いてくる子供は不安そうな表情で、この豊かな日本の今の時代に、やせていて浮浪者のような身なりでした。

皮肉なことに、両親の入院期間は福祉が介入してくれるので、子供は保護され学校にも行けるようになり、身なりも清潔になります。
子供にとって快適な環境が与えられますが、退院するとまた同じ繰り返しでした。

その現状を近くで見ていた私は
(病気が悪化する親も辛い、親は余裕が無いから自分の病気で精いっぱいで子育てどころではないから、部外者が彼らを責められないこともわかる、子育てはできなくても確実に親の子への愛情は存在している。子供も辛い。)

と、入院のたびに、親子両方の立場に寄り添い、共感し、毎回、子供の肩を抱き、自分ごとのように励ましながら、辛かったのを思い出したのです。  

医師として患者さんに向き合うときは、治療者として感情を表出せずに接するように教えられてきましたし、そう振る舞ってきました。

しかし、私の本質はお節介で、他人に共感しやすく、そして涙もろい性質です。不遇な子供時代を過ごしている患者さんの子どもと自分を重ねました。

入院して親と切り離されて困って泣いている子どもの肩を抱き、こちらも涙声で「一緒に頑張ろうね」と声を掛けていました。
その子が他の大人には心を許さないのに、私にはよく手紙をくれていたのも思い出しました。

その医師として患者さんとその家族に愛情をもって向き合ってきた私の大事な経験がサッと脳裏に浮かび、まさに自分の親子関係にスライドしたとき、心から腑に落とすことができたのです。

私の両親も、愛情はあったけれども、不器用で、子育てが苦手だったのだ、と客観的に見ることができたのです。

病気が重く、すぐに病状悪化して入院する患者さんに対して、誰も責めないように、最初からできないものとしたら、子育て能力は求めないのだ、それは自分の親に対しても同じ解釈ができるのです。

私が願っていた理想の育て方ではなかった、最悪で苦しい愛情表現だったけれどそれは私の親にはできないのだから仕方ない、愛情は存在していたのだ、そう気付いた数日は常に涙が流れ、心の底から癒されていきました。

1週間くらい、何をしていても涙があふれました。
怒りや憎しみで生きてきた世界が、
急に綺麗に生き生きと見え始め、部屋から見える電信柱にとまるスズメの日常が本当に綺麗に見えて色を持って見えたのです。
大げさではなく、
いつもの風景や日常が色鮮やかに映るようになったのです。

私の心は静かで、穏やかな安心と幸せを人生で初めて感じました。子供の時に誓った、最高に幸せになるという目標が叶い、ようやく肩の荷が下りたのでした。


10 親を許す=傷ついた子ども時代を無かったことにすることではないか、その時の自分が可哀想と思い、抵抗した


それまでの私は
両親を許すなんてできるかという感情、そして親を許したら、親との距離が近づいてしまうことになるのではないか、そうしたら、遠慮なく親が突然、自分の世界に土足で踏み込んできて、私はフラッシュバックで日常生活が混乱するのではないか、私の子供時代の傷ついた自分の気持ちはどうなるのか不安すぎると、親を恨む気持ちを握りしめ続けていたのでした。

ですが、実際は違いました。 

親をゆるすことは、親を優先することではなかったのです。

先述の患者さんの子供に、励ましてきたように、子供時代の自分に寄り添い、子供として辛かったよね、お疲れさま、よく頑張ったねという自分自身の共感、ねぎらいつつも、
だけども・・・、両親も辛かったのだね、という親への共感、子育てへの感謝の気持ちも追加されました。 

最大の嬉しい変化は自分の人生に主導権が戻ってきたことでした。

恐怖やフラッシュバック、子供時代の経験によって自分の人生が左右されると思い込んでいたが違った、自分自身で恐怖もコントロール可能なのだという気づきです。

両親へのイメージは、予測不能な巨大怪獣から、怪獣のサイズが縮小し予測不能だけども等身大の人間だから対応可能だろうと認識が変わったのです。
そしてこれを追記している2023年1月は、もう小さなぬいぐるみ程度になってしまったのでした。両親の影響が、私の生き方が変わるものでは無いほど小さくなりました。

11 過去を乗り越え、今を楽しむようになると未来は自然に希望が持てる


子ども時代の過去は黒歴史と思い込み、秘密にしてひっそり隠れて生きてききました。大人になって過去を自己開示したからこそ、「生きていてくれて、今会えてありがとう」と言ってくれる経験をして、もらい泣きしてくれるような魅力覚醒講座での同志との出会いなど、心が温まる経験を重ねました。私のストーリーを知って、セッションや講座に来てくれる人達も、私を見て、「そんな風に安心して生きられるようになるなんて、希望が持てます。本当にありがとう」とセッションが始まる前から、安心して泣きだすような人ばかりです。

ここまで乗り越えてくれた過去の自分自身に感謝しています。
友人から「自分の母親は今思えば大変な子供時代を過ごしていたのに、子供の自分たちを育ててくれた、それだけで十分に愛を感じた」という話を聞いたのも励まされました。
私には必死な育児は必要ないんだと、心から安心できた瞬間です。

そんな経験を経て、私にとって親子関係は、唯一無二の子供時代であり、私の人生を形作った大きなものです。

2022年3月まではまだ、ひょんなことから、子供時代の記憶が引っ張り出され、時折、胸が苦しくなる経験も、感情に引っ張られそうになるときも人間だから当たり前のようにあります。
ところが2023年1月の今は、ほぼ無くなりました。

講座やセッションでは少人数だけど、もっと多くの人へ届けたいという気持ちで、2022,1月電子書籍「精神科医が教える親子関係リフレーミング」を出版、同年3月に同タイトルでFacebookグループライブで発信しました。

この一連の、自分の気持ちをアウトプットする、書く(電子書籍)、話す(Facebookグループライブ)活動が、実はどんどん自分の癒しにつながり、ますます健康に自分らしく生きられるようになっているのです。

一旦リフレーミングすれば、自分の世界が幸せな気持ちで満たされ、ドミノ倒しのように次々と、世界が明るく幸せにひっくり返っていくのが楽しいです。
後悔するとすれば、ここまで来るのに時間がかかってしまった、もっと早く気づきたかったという思いと情熱で、過去の私と同じく親子関係に悩み、自己肯定感を得られず苦しんでいる方々に、精神科医の専門性と経験で、愛着障害・親子関係リフレーミング講座、個別セッションをしています。

みなさんが愛を受け取る瞬間を見るのは、医者としての本領を発揮できる感動の場でもあります。

長い間、そんな風に自分の世界に引き籠り、暗く孤独だった私が、親子関係の悩みを克服したら、ずっと欲しかった自己肯定感を手に入れて、自分の世界を信頼し、激変した自分の人生を明るく自由に生きています

ご縁のある方には、あなたが親子関係の悩みを克服し、自由に未来に希望を持てるようにサポートさせていただきます。最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

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子供の時から親子関係の悩みを抱えたまま、医者になり、結婚・出産。親を反面教師に自己犠牲の育児で苦しむ。自分自身の愛情を受けて育つわが子に、嫉妬し羨ましく感じる自分を責め続けた。育ちの負の連鎖を止めたい一心で、自身の悩みを解決し、自己肯定感を得て、この世に愛されて生まれたと心から思えるようになった時、180度世界が変わる。現在は過去の自分と同じく、自立し、子供時代の未解決問題や生きづらさを抱える男女に向けて個別セッション・講座をしている。2022、1月「精神科医が教える親子関係リフレーミング」電子書籍Amazon Kindleから出版。同年3月・7月・10月私ちゃんとしなきゃから卒業する本Facebookグループ・通称ちゃん卒グループにてライブ登壇。2023年12月めざチア2回目登壇。育ちの負の連鎖を断ち切る活動の一環として、自分で自分を癒して人生を創る「心の扉全開講座」を主宰し、人生を楽しむ仲間を増やしている
https://www.amazon.co.jp/dp/B09TP2BYZ4/ref=cm_sw_em_r_mt_awdo_TZ1X7JKQE2TEVHX4TTAW

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