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自分への手紙

10年前のあなたはうつ病、依存症、線維筋痛症の三重苦になっていて「もう人生詰んだかも」と底をついていた状態でしたね。
元号が変わり、今は身心とも健康になりつつあるところまでリカバリーしています。
全く考えられませんでした、三重苦から解放されるとは。

「私は依存症である」とある時のアノニマス・ミーティングで仲間に告げて、やっと自分自身の弱さを受容したところからリカバリーが始まりました。
「弱さを隠さず無力を受容すると自然に道は開かれるよ。」と仲間からのメッセージを毎回受けていましたが本当にその通りでした。
学業、摂食障害、ギャンブル、人間関係、処方薬と依存を渡り歩いてきた半生。
小学生の頃から肥満体型で23歳の時に意を決して減量したことで過去のわだかまりを整理はできたかと思いました。しかし、それは身体だけで旧い思考や傷ついた心のほうの整理は全くできていなかったのです。そこに気付かせたのがう三重苦の症状であったのではないかと思います。

子どもの頃から友だちや親に認められたくて、勉強に賭けた人生。「いい点数を取れば注目される」それは一瞬のことで何度も何度もいい点数を取っても虚しさが残るだけでした。
その虚しさを食べ物に頼ってしまい運動嫌いも重なり肥満になっていったのですが、当時の私にとってはそれが唯一自分を助ける方法だったのです。
このパターンがずっと繰り返されていたのです。正しい自分の助け方を学んでいなかったのです。

依存症を認めてから大きく人生が動きました。処方された薬を手離す決断をし、医師や家族などの助けを得て手離すことができました。その間に長い期間共依存関係だった女性を手離すこともできました。うつ病は寛解し線維筋痛症は治癒できるようになりました。
しかし、旧い思考や傷ついた心についてはここ最近やっと重い腰を上げて整理するようになりました。
心の整理をしている中で別の女性と共依存関係になったり、ギャンブルに手を出そうとしたり不安定な時期がありましたが、失敗から多くのことを学びながら弱い自分を認めていきました。
「人は弱いもの。だから弱さを受容し、人と人とが協力し社会貢献することが大切なんだ。」ということを様々な自助グループを渡り歩きながら、心理学を学びながら得たものです。
しかし、長い間私は見栄っ張りで良好かっこしく振舞っていた癖や「何かを失ったら嫌われる、見捨てられる」の思考で生きてきたため、新しい生き方に馴染めず「ああ、またやってしまった。」と自責するところも旧い思考です。
けど、今は正しい自分を助け方を身につけています。
それは「弱い自分がいてもいい。見栄っ張りで良好かっこしく振舞っている自分がいてもいい。責める自分がいてもいい。その自分がいたから今の自分があるのだから。そしてその自分がいるからこそ自分として生きているのだから。」と自分自身にハグしながら自己対話をすることです。
まだまだ受容できないこと、否認していることはありますがリカバリーの旅をしながら必ず目の前に課題がやってくるでしょう。その課題を時には仲間の力を借りながら課題を終わらしていく―その繰り返しで受容をしていくのでしょう。

ここまでのリカバリーの道のりの中で多くの人から学びました。
ギャンブル依存になる手前でストップをかけたのは仲間の言葉でした。「ああ、ミーティングに行き続けてよかった。」と実感しました。
1度目の共依存関係の女性からは私自身に依存思考があることや福祉支援について疑問を持ったことです。彼女と関わりがなかったら福祉に関して興味を示すことはありませんでした。
3度の整形外科での入院では人には思いもよらない回復力があること、回復を信じること、悪循環は自分の決断で断ち切ること、日常を心地よく過ごすことを学び、うつ病と線維筋痛症を脱するヒントを得ました。
うつ病と線維筋痛症からのリカバリーは先行く人に会いにいき、そこで学んだことを実践することでした。NLPやアドラー心理学を触れ、思考や価値観を変えるきっかけとなりました。
「自分を好きになり、信頼しなさい。相手を好きになり、信頼しなさい。社会に貢献しなさい。」
このことはアノニマス・ミーティングにも通ずることがあり、実践するようになってから私自身のあり方が変わっていきました。
2度目の共依存関係の女性からは仕事へ対する姿勢でした。相手の立場に立って相手の行動を尊重し必要な場合に助言する。相手を常に考えなさいと教わりました。脳梗塞を患った時には「身心を酷使しちゃダメだよ。あなたは幸せに生きるんだよ。」とメッセージを受け取りました。

まだリカバリーの旅は終わりません。
おそらく死を迎えるまでリカバリーし続けるでしょう。
本当の自分。何色にも染められていない素の自分が見つかった時にリカバリーの旅は終わるのではないか、その旅が終わるのが死なのではないか。と今の私の答えです。

齢44になりますが、厳しい時代の中ここまで自分を傷つけながら相手を傷つけながら誰かに助けられながら生きてきました。それだけで100点満点です。
ここから先は無限の選択肢があり、どの道を歩むのも自由です。
かけがえのない私は私として愛・歓喜・感謝の気持ちで生きる。
時には活発に動き、時には静かに待ち、時には程よく休む。
突き進むこともあれば、引き返すこともする。
自分が先に変化し、相手は変化するかどうかは天に委ねる。
自分の心を先に変え、自分のカラダは自然に変わる。
執着を手離せば、循環する。
得れば、捨てる。捨てれば、得る。
今までが自然の流れに抗っていたのでこれから自然の流れに身を任せ、課題が見つかればこれは天から与えられたものと従い先延ばしせずこなしていく。
今、その課題をこなしているのかもしれません。今まで先延ばしして蓄積していた課題と自然の流れでやってきた目の前にある課題を粛々と―。

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