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100年前の地図を見てはしゃぐ

今日は女2人で1909年当時の東京地図を見てはしゃいじゃいました。
せっかくなので爆上げポイントをいくつか列挙しておこうと思います。恐らく他の人には理解されがたいです。


当時の大通りが今も大通りでおもしろ

前提として、私は東京を散歩する習性があり、友人も地理学部ということで、お互い長距離散歩が好きです。
私は散歩するときに「○○通り沿いをずっと進んで××まで行く」みたいな計画(?)を立てます。だからなのか、東京の地理を「でかい道」を起点に捉えがちです。
友人も私が通りの話ばかりするからか、最近通りに興味が湧いている節があります。

というわけで、今も昔もでっかい通りが変わらずに存在するのを見ると「うおおおお」となります。不変のものかっこいい!

昔の河川が今は暗渠になってておもしろ

これは逆に、私が友人から影響を受けたおもしろポイントです。
友人は「ここは暗渠だね」ってすぐに言います。暗渠独特の景観のようなものがあるようです。?(私はまだ未熟)
河川や用水沿いに町が発展していき、やがてそこが埋め立てられて賑わう通りとなる。「○○通り」と呼ばれるような大きな道路は結構暗渠が多いようです。
というわけで、暗渠は地理の人界隈ではそこそこアツいポイントらしい。

100年前の地図を見ると今は水じゃないよ!って所が水色で表示されています。
具体的には深川エリア。
隅田川から、東西方向に向かって恐らく人工の河川がのびています。道自体も十字に整備されているので計画的なまちづくりが行われたのが伺えます。
そして東西方向の河川を結びつけるように南北にも河川が通っています。ここで気付く。「これ、今の清澄通りやんけ…大江戸線やんけ…」
激アツ

一方で、白山通りなんかは当時から既に埋め立てられて通りになっていました。これもこれでおもしろ

昔と今とで建物の位置や地名がずれているのがおもしろ

陸軍省(今の防衛省)が永田町にあったりとか。町丁の名前や範囲が今の区分と違っていたりとか。100年も経てばそりゃそうよ

その中でも、番町エリアで圧倒的存在感を放つ母校(旧名)の文字。激アツ
あと麹町の名前由来は、麹区からだったんだね!!区カッコいい!!

埋め立て地が全然なくておもしろ

全然埋め立て地がない。
年末に皇居から晴海通りをずっと東に進んで晴海埠頭まで歩いたのですが、晴海が存在しない。もちろん、歩いている時から「ここは埋め立て地だなー」などと思ってはいたのですが、地図で見ると衝撃もひとしお。
浜松町がほぼ海だもん。。

新宿以西は田舎でおもしろ

そもそも地図にはギリギリ新宿御苑が載っている程度。
渋谷あたりで言うと、青山霊園など青山エリアがギリギリ赤坂区に含まれている。それより西は渋谷。おもしろ

鴎外はすごい

突然の鴎外、しかしこれに尽きる。実はこの地図は団子坂の森鴎外記念館で購入したのだった。
なんで医者もやって本も書いて地図まで手を出してるの。。とりあえず地図作ってくれてありがとう。。

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