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信じるもの全てポケットに詰め込んで歩いてみなさいよ。

某アイドルがテレビでこのような発言をしているのを見た。

疑うよりも信じた方が楽しいことがある。

人と関わる上で真理をとらえた発言に僕はハッとしたのだ。

ニュースで犯人が逮捕されると「容疑者」と呼び習わされるのは、無罪推定の原則からきているものである。はじめから人を疑うことしない考え方に僕は同意見だ。

疑う行為は、向けられる相手だけでなく自分自身も疲れることがある。疑って良いことはないのだ。

サンタさんの存在を信じるか信じないかはその人次第だが、否定するよりも信じた方が妄想を膨らませる方が僕は楽しい。

神の存在を信じる有神論か無神論かあるにせよ、信仰する者が何を心の拠り所にする精神に僕は賛成である。

僕が人を疑うことをしないのは相手を傷つけたくないからだ。それは単に相手を信じることから逃げているように感じる。

「あの絶対ああだよ」とか「あの人って〜」という井戸端会議に加わりたくなければ、同意もしたくないものである。

自分の信じたい道を進めば良いではないか。人の優しさに漬け込んで詐欺まがいをする愚か者には閻魔に裁かれるといい。三千世界、そんなことする人がいないだろうと僕は信じたい。

信じた分、裏切られたときの代償が大きいように思うが、「自分が信じたことは間違ってない」くらいに思っておけば心の拠り所は保たれる。

いずれ子どもができて、子どもが習い事したいと言ってきたらなんでもやらせてあげたい。お金は使っていけばなくなっていくものだけど、それによって得られた子どもの人生や教養は一生モノと考えたら、子どもの可能性を信じて育ててあげたい。

信じることのマインドを保つことは決して疲れることではない。むしろ疑ってかかるほうが疲れる。信じることに損得はない。

信じるもの全てポケットに詰め込んで歩いてみなさいよ。意外と楽しいものよ。

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