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「ありふれた演劇について」33

先日から円盤に乗る派の次回作『MORAL』に向けてのワークショップが始まった。今回は一般公募の出演者が中心となるので、ペースも作り方もいつもとだいぶ異なっている。予測できない部分もかなりあるが、奇跡的なことが起こればすごい上演になるという予感もあるし、なにより自分がとても楽しみにしている。

これは前回に引き続いて、如月小春の当時(80年代)の文章を読んでいて思ったことなのだが、前の世代をいかに引き継ぐかというのは、いつの時代も変わらない問題のようだ。以前、YouTubeで当時のいろんな演劇人のインタビュー映像を観ていたとき、夢の遊眠社の稽古場風景の映像を見つけたのだが、やっていたことが鈴木忠志による「スズキ・メソッド」そのもので驚いた記憶がある。それまで、野田秀樹の作風や発言からして、彼の演劇観は鈴木忠志とは大きく異なると思っていたからだ。どうも如月小春の文章を読んでいると、当時は演劇をやるといっても所謂アングラをはじめとした小劇場第一、第二世代しか参照元がなく、いわば「それしか知らないから」スズキ・メソッドをやっていたという感があったように思われる。

もちろん、あらゆる創作は模倣から始まると言われる通り、そのこと自体が否定されるものではないだろう。実を言う私も学生の頃はスズキ・メソッドをやっていた先輩方が周りに多かったので、なんとなくそれらしいことをやっていた記憶がある。しかし、たまたま近辺にそれがあったことと、もっと大きなくくりとして、シーン全体の背景として前の世代があることとは意味合いが違う。どことなく全体で共有されるこうした前提は、あることが当然となって透明化する。今私がスズキ・メソッドを稽古場でやっていたら、なぜわざわざこれを取り入れているのか聞かれることもありそうだが、70年代や80年代の初め頃においては、それはストレッチや発声練習をやるように自然なことだったのではないか(あくまでも憶測に過ぎないが)。

実際、如月小春や野田秀樹の戯曲の文体、演出の方法論には、端々にその前の小劇場第一世代、第二世代の表現方法の影響が見て取れる。もちろんそこには独自のオリジナリティもあるが、観客の受容の仕方も含め、その上演が前の世代の用意したものの上で成り立っていたことは事実だろう。

ところで現行の若手による演劇状況に目を向けたとき、前の世代から引き継いだ前提、自然にあるものの一例として、青年団に代表される「静かな演劇」や「現代口語演劇」と呼ばれるものがあることは間違いない。「現代口語演劇」のスタイルをベースに演劇をやることは、もはやひとつのスタンダードな態度だ。もちろん、それ以降もいろんな方法論が出てきてはいるし、それだけが支配的というわけではないとは思うが、しかしいつまで経っても「現代口語演劇」(的なスタイル)が廃れる様子はない。

これは正確に言えば、昔からずっとある「ドラマ演劇」や「会話劇」と言われるようなものを、今の演劇環境の中で、今の観客に向けて上演するためには、結局「現代口語演劇」的になる、ということなのだろう。俳優はやり方をわかっているし、観客は観方をわかっている。そこで起きるドラマ、劇の内容をただ見てもらうためには、あえて見慣れない表現をとる必要はない、という考え方なのであれば、理解できなくはない。

そのこと自体を一概に否定するものではない。しかし時として、「現代口語演劇」のスタイルを継承していると思われる作品の中に、苦手なものに立ち会うこともある。そしてその自分の苦手とするある傾向が、近年次第に強まってきているのではないか、とも感じている。それは、リアルな人間像を描くことで観客の実体験の記憶に訴えつつ、感情を強く刺激することそのものに特化しようとしていると思われる作品だ。

実際に身の回りにいたら嫌だろうと思われる人間がリアルに描かれていると、観ていて嫌悪感や怒りの感情が湧きあがってくる。実際にそういう人間と接した記憶があるならなおさらだ。つい反論したくなったり、舞台上の他の登場人物を擁護したくなったりしてしまう。同時に、こちらにそれだけの影響を及ぼした俳優のことは「うまい」と思うし、それだけの言葉を書けた作家も「実力がある」と思わされる。

もちろん、実力がなければこうした表現を成り立たせることはできないし、その表現方法そのものが必ずしも苦手だというわけではない。苦手なのは、作品における他の要素を縮減し、透明化し、まさにこうした感情への訴求をこそ行うことに特化しようとしている(ように感じられる)作品であり、そのために現代の演劇環境の中で自然なスタイルである、「現代口語演劇」という形式を踏まえている(としか思えない)作品だ。

「身の回りにいたら嫌な人物をリアルに描く」という表現自体は、もちろん近年に現れたものではない。むしろ古典的な表現とも言えるだろう。「現代口語演劇」のスタイルを用いてそれをやるというのも、同時に昔からあったものだ。しかしそれらの作品において、作品の全体的な要素を縮減させていこうという傾向を感じたことはあまりなかった。私自身、演劇関係者にしては決して観劇数の多い方ではないので、本当の全体の傾向を把握できているかはわからないが、個人的な体験として、こうした意味で「苦手な作品だ」と思うことは増えた。しかも、そこでの感情への刺激はますます強く、方法はますます巧妙になっているようにも思える。

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