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「ありふれた演劇について」37

前回、現代の日本の演劇環境の中でコレクティブをやることの難しさ、というか、作品を背負う主体が演出家に偏ってしまいがちな構造について書いた。それは作品への「署名」の問題というよりは、もっと単純に、プロデューサー役あるいはプロデューサーに口を出せる立場を、演出家が背負いがちだということだ。もっと平たく言えば、誰かから依頼されるのではなく、自ら進んで作品を作るために行動し、実現させる人間が、演出家であることが結果的に多いということでもある。同程度に自ら作品を作ろうと考える人々が集まれば、コレクティブ的なつながりを持つ集団が形成されるはずであるが、それは現代の日本の演劇環境においては稀有なことだ。

そうした状況に対して、もっと俳優が作品の主体となるべきだ、という論は当然あるだろう。実際に私も、俳優が主体となって立ち上げる作品はもっとあって然るべきだし、作品という形で俳優の発するものをもっと見てみたいし、それを通じて俳優についてもっと知りたいと思っている。

しかしそこに、俳優というもの独自の困難さがあることは想定される。というのは、俳優の本領は、その「主体」というものの特殊さにあるからだ。俳優という主体は、我々が日常生活の中で一個人としてふるまうときの主体とも、作家がひとすじの作品を書き上げるときの主体とも異なる、不思議な形をしている。こうした俳優としての主体がまさに作品の主体になるということについて、明確な回答が打ち出されている例が果たしてあるだろうか?

俳優として活動している人物が責任を負って作品を立ち上げるという事例は、当然ある。自分の求める劇作家や演出家、共演者を呼び、スタッフを集めて自らの出演する作品をプロデュースする事例そのものは、決して稀有とは言えない。しかし、そのとき作品を背負っている主体は、果たして「俳優としての」主体だと言えるのだろうか。たいていは、それはあくまで演劇に関わる個人としての主体であり、俳優としての主体とは切り離されているのではないだろうか。

最近、渡辺健一郎『自由が上演される』の読書会を開いているので、ここで言う「俳優の主体」というのは、同書における議論に大いに依っている。同書では、ディドロの演劇論に基づいたラクー=ラバルトの論考を踏まえ、以下のように論じている。

俳優は非固有性に身を沈めていなければならない。このような俳優は「真の意味では主体ではない。これは主体ならざる主体、あるいは主体なき主体であり、いいかえると、多様化され無限に複数的な主体でもある」のです。

俳優は、非固有性という固有性を持っている。あるいは、非固有的であればあるほど、固有な存在になる、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ことができるのです。

ディドロと、その言葉を演じ直すラクー=ラバルトは、「他者へと向かう自己」ではなく、「他者でもある限りでの自己」を語っています。絶対的な無根拠を根拠として、、、、、、、、、自己=主体について考えるのです。パラドックス的でしかない存在、俳優について――。

渡辺健一郎『自由が上演される』(講談社、2022年)

あまりに素晴らしいマクベスが演じられたとき、そのマクベスは俳優個人とは違う(非固有的な)ものとして現れてくるが、それは同時にその俳優の(固有な)素晴らしさとして称賛される。非固有的であるほど固有な存在となる、パラドックス的な存在としての俳優によって行われるのが「上演」であり、これは同時に教育現場において「自由」というものを考える時に重要なキーワードとなる……というのが本書の論旨だ。

つまりこの論に従えば、俳優的な主体とは何かの意思を表示したり、観客に正しい知識を与えたりするようなものではない。ある役で言っていることと、別の役で言っていることが違うからといって咎められることはない。むしろ違う立場を見事に演じ分けるほど、素晴らしい演技として称賛される。矛盾、パラドックスを本質的に抱えているのが俳優のまさに俳優たる所以であって、これは例えば作家や演出家の主体性とは大きく異なる。作家や演出家は作品を通じて自らの意思を表明することが可能だし、何らかの知識を伝えることができる(もちろん、そうあるべきというわけではないが)。そしてその場合、矛盾があれば咎められるだろうし、内容に対して批判されることもあり得る。

作品は誰か作者の手によって成立しており、その作品には(一貫した存在である)作者の意図や思想が反映されている、という近代的な芸術観においては、俳優はどうしても作品の主体にはなり得ない。しかし可能性については考えたい。俳優的主体がまさに作品の主体となることは、いかにして可能だろうか? ひとつ考えられるのは、「俳優論そのものが作品となっている」ような作品だろう。

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