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「ありふれた演劇について」24

プレオープン期間の活動報告会を終えて、円盤に乗る場がこの12月から本格的にスタートした。とはいえ、まだようやくスタートラインに立ったという感じで、まさに目に見える形で「始動した」と言えるようになるには、まだ時間がかかるだろうと思う。それでも自分にとっては、最初に予感していたことがもっと明確な形で見えつつある、あるいは、まさに実現しつつあるような気がしている。そもそもの始まりは漠然とした、自分たちで自由に使える稽古場が欲しいという思いからだったが、やはり台本を持って立つみたいな「演劇の稽古」だけやっていても作品はできないわけで、本当に創造的なことがこの場所で生まれないと意味がないのではないかとすぐに思い至り、今に続くような円盤に乗る場の構想を始めた。

アーティストはただアトリエや稽古場から作品を作っているわけではなく、創造の根源そのものは我々の普段の生活とか、社会のありかたとか、科学技術の進歩だとか、その中における様々な思想であるとかと密接に結びついている。本当に作品を作っていくためには、こうしたことに関わる領域を耕すことが必要になるけれど、個人で活動しているだけでは限界がある。もちろんリサーチをしたり、あらゆる社会活動をしたりして幅を広げていくこともできるわけだが、そもそもの発端すら見つからないこともある。結局は人やトピックとの偶然の出会いが必要だ。円盤に乗る場は、そのための場所として機能して欲しいと思っている。色んな人が集まってトピックを交換し合う中で、知らないことを知り、思いがけないものと繋がり、その隙間に創造性が生まれるようなことが起こっていけばと思う。

もっと根源的な問題として、いかにして「クリエイティブになる」かという問題もある。要するに、モチベーションが上がり、創造性を発揮できる状態になることである。アーティストであれば四六時中創造性を発揮できるかといえば、もちろんそんなことはない。アイディアが思いつかなかったり、そもそも作品を作る気力が出ないことも往々にしてある。やりたいことがあっても、それに取り組むだけの一歩を踏み出せないこともある。そしてその解決こそ、一人では困難だ。自分の創造活動の中でゆるく他者と出会うことで、それぞれの活動が刺激されて、アイディアが生まれたり、やる気が出たりといったことが起こるだろう。具体的に悩みを相談することもあるかもしれないし、情報を共有したり、技術を伝達することも起こるだろう。円盤に乗る場で集まることによって、アーティストそれぞれが、これまでできなかったことが可能になったらよいと思う。それは普段はなかなか難しいことだ。

活動報告会のプレゼンでは「ケア」という言い方をしたけれども、ただ何か(作品とか)を生産するとか、結果(集客とか)を達成するとかいうことを至上の目的とするのではなくて、関わる人たちが互いに良くなっていくことを第一に目指す考え方が必要だと思う。立場とか、ジャンルとか、知識の多寡とか、ジェンダーとか、あらゆる二項対立を無化できる知恵が、ケアという考え方にはある。普段過ごしている、二項対立にまみれた環境における限界を超えて、それぞれがそれぞれの個に立ち返りながら、自分の良くなりたい方向に良くなっていくこと。それが円盤に乗る場という場所のひとつの理想の形だ。

こと創作に携わる人、創作に興味のある人にとって、乗る場のような場所は面白いんじゃないかと思うので、是非遊びに来てください(月に一度は「乗る場の日」というオープンデイを開催しています)。もちろん、いかにして創造性を発揮するかという問題は、アーティストに限らずあらゆる人にとって重要なトピックであると思う。仕事にも生活にも創造性は必要になるし、それがうまく発揮されるというのがよく生きるということだ。そのための知恵がこの場所から生まれて将来的に広く共有されれば、これほど嬉しいことはない。

先日の活動報告会で起きていたことを、これは自分の主観に基づくものではあるけれど、書いておきたいと思う。イベントでは様々なパフォーマンスやディスカッションが行われたが、中でも特異なことが起こったのは田上碧/中村大地の2名による共同のパフォーマンスにおいてだった。パフォーマンスは基本的に、中村の書いた小説を田上が朗読する形で行われたが、その中で中村自身が学生時代に作った歌(小説のモチーフとなっていた)を2人で歌うという場面があった。この瞬間に、他者の力によって何かが可能になるさまが、非常に不思議な形で表れたように思った。

中村は学生時代にバンドを組んでギターボーカルを担当していたということだが、主にその活動は学内のもので、卒業以後に本格的に音楽活動をするというわけではなかった。そういう意味で、中村は音楽を専門的に扱うアーティストではない。いわば、中村は自分自身では音楽を発表するということは「困難な」ことであって、自ら主体的に発表するということはほとんどないだろう。実際このパフォーマンスをすることになったのも、打ち合わせの中で小説のモチーフになった歌があることを明かしたところ、田上から「それなら二人で歌いましょうよ」という提案があり、それを受け入れたからであった。しかしそれは単に、音楽を専門として活動している田上のフォローによって実現したというだけでなく、もっと稀有なことが起きていたように見受けられた。中村が歌を歌うことを可能にさせたのは、田上の俳優的なふるまいによってではないかと思う。

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円盤に乗る場

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演劇プロジェクト「円盤に乗る派」が運営する共同アトリエ「円盤に乗る場」情報ページです。詳細はhttps://note.com/noruha…

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