夢は書ける。けど現実は書けない。
白紙の用紙を眺めながら数時間が経過している。
学生時代にレポートが書けなくて、うんうんと唸っていた頃によく似ている。が、あきらかに違うことは、学生時代のソレは「書くテーマは決まっているが、どう書いたら良い点がもらえるか」ということだったが、
今のソレは「書くテーマすら見つかっていない」というところだ。
と、書いたところでテーマが見つかった。
「書くことがない」だ。
だいたい毎日同じことを繰り返している私のような普通すぎる、普通の中でもさらに普通な私には「ひょえ〜」となるような事態がそもそも起こらない。これはおもしろいぞ!ということは夢だったらけっこうあるのだけれど、夢って人に話し始めると途端につまらなくなるもんだ。
たとえば、先日こんな夢を見た。
〜家のドアをゴンゴンとノックの音が響いた。みると(なぜかドアの向こうがドラマのように確認できる。夢ならではの構図だ。)男性二人が「ちょっといいですか?」と言ってくる。なんだろうと近づくと、オエオエと男性が苦しみ出す。私が大丈夫ですか?と聞くと、もう一人が「大丈夫です。ガスメーターボックスに吐きましたから」と言う。私は「ええ!!ちゃんと掃除してくださいよ!」と言ってバケツを渡す。すると空港のグランドホステス風の女性が腕まくりをしながら現れて「このバケツ汚いですね」と言った。
見ると本当に汚いバケツで私はすみません、と謝った。次の瞬間場面は和室になっていて、掃除を終えた人たちが(人数が5〜6人になっていた)くつろいでいて、そこにうちの猫まで出てきた。・・・〜
と、ここで目が覚めた。
いや、目が覚めたときは笑ってしまったし、おもしろかったのだ。
興奮気味にムスメに話したのだが、ムスメも吹き出してしまった。
が、しかし、である。
今はどうだろう。文字を追うのも面倒くさくなるくらいおもしろくないのではないだろうか。
いや〜マジか〜受けるで!と大笑いしてくれるのは岸田奈美さんくらいかもしれない。
(ウソ。彼女、このnote知らんし。)
夢なんていうのは保存の効かないそのときだけの楽しみなのかもしれない。
なんの話だ?
そうだそうだ。夢ならわりとおもしろい体験をしているが、実体験ではあえて文章にするほどのおもしろいことが起きているのか、といったらそうでもない、という話だ。
それでもやっぱり毎日、いや2日に1度はnoteを更新したいと思っているので、何を書くかな、と考えるのである。
ちなみに自分のブログは研修をテーマとしているものだし、ソレなりの責任があるので、「おおおおお!!!」というテーマに出会ったときに真剣に書くようにしている。実は私のブログをブックマークに入れて、仕事の合間に読んで参考にしている読者がそれなりにいらっしゃるので、向き合い方がちょっと違う、ということを一応断っておく。(まあ言い訳ともいう)
で、noteだ。
書きたいことはない、ではなく、
書こうかなと思う内容を膨らませることができない。つまり、
「体裁を考えると書けない」ということなのだ。「つぶやき」は簡単なので
ちょろりと書けるけど、テキストになると途端に「体裁」がチラついてしまう。
しかし、である。(この表現多い)
それはそれだ。
体裁を考えて書くことは大事。
でもまじめに真剣に取り組むということとは違う話だ。
おもしろいことがなくても、「ひょえ〜」と驚嘆することがなくても、
まじめに真剣に、ということはできるのではないか。
と自分に言ってみた。
ただそれだけの話。
まとまりなくってごめんなさい。
いただけるなら喜んでいただきます。