見出し画像

思い違い、考えの違い、そして「怒り」

ここのところ、イギリスドラマの「KILLING EVE」をU-NEXTで観ているのだが、そのワンシーンでロシア人男性がソーセージをフライパンで焼いているシーンがある。そのソーセージが何ともおいしそうだったので、食べたいあまりにスーパーへ行ったときによく見もしないで袋入りのソーセージを買ってきた。
ドラマで見たよりは小ぶりだったが、食べたい気持ちが勝っていた私は、
フライパンを熱し、ジュ~といういかにも旨そうな音に期待をしながら、焦げ目がつくように転がしながら焼いていった。

焼きあがったソーセージをフォークで刺して一口かじった。
一口サイズのものだったが、あの「パリッ」という音が聞きたくて、あえてかじってみたのだ。
しかし、「パリッ」という音は聞こえない。
なんていうのか、イワシのすり身のようなつくねのような噛み心地だったのだ。私はひどくショックを受けた。
いや別においしくないわけではないのだ。しかし想像していたものとは別物だったショックでなんだか朝から空しくなってしまった。

「想像とちがう」といえば、昔友人とスペイン料理を食べに行ったときのことだ。前菜がでて、メインがでてパエリアが出て来て、デザートのシャーベットが出てきた。黄色いとグリーンのような色。旬の感じからしてユズだとばかり思って食べたら、まったく違う味だった。一瞬何が起きたのか驚きのあまり「なにこれ?!」とデカい声を発してしまった。
友人は「オレンジでしょ?」とこともなげに言う。
落ち着いて食べると確かにオレンジだ。私の席は明るい照明がさしていて、シャーベットに当たった光はハレーションを起こして、オレンジ色が黄色に見えていたのだ。
私はユズと思い込んでいたので、その違いは驚きだったが、そもそもスペイン料理でユズはない。

こうだと思ったのに、そうじゃなかった。ということはよくある。私の例でもあるような、自分の中で「Aだと思ったのにBだった」ということは、悔しいながら自分だけのことなので、なんとかなる。しかしこれが他人とのやり取りだったらどうなのだろうか。

別のドラマでこんなシーンがあった。

男性は「良いことは自分のためにするんだよ。だって良いことをすると気分がいいじゃん。だから自分のためだよ」と言い、女性は「そんなのバカげてる。良いことは人のためにするのよ」と言い返す。しかし男性は「違うよ」と言って譲らない。女性は「証明して見せる!」と言ってムキになり怒り出す。そこで別の女友達が「彼の言うとおりなのかもね。良いことは自分のためかも」と言う。(米国ドラマ「フレンズ」のワンシーン)

これは男性と女性の考えが違うことによって生じたトラブルだ。
相手の考えを受け入れないで、自分の考えに固執した女性はどんどん怒りが大きくなる。女性はムキになりすぎて、自分から蜂に刺されるようなことまでしでかす。そんなとき別の女友達はさらりと「彼の言うとおりなのかも。良いことは自分のためかもね」と男性の考えを尊重する。
激高している女性とは対照的だ。

自分の思っていることと違う場面に出くわしてしまったら、
なるほど、そういう考えもあるのか。と思うことが「怒りのコントロール」つまりアンガーマネジメントなのだ。
自分と他人の考えにはギャップがあるものだと常に意識することが大事ってことなんだけど、ついつい「え~」って思ってしまう。
しかし「人間だもの」なんて相沢みつをみたいなことを言っていても、
「怒りのエネルギー」ほど無駄なものはない。
「え~」と思ったら6秒がまん。
脳で「こんにゃろ」と思っても、前頭葉で「ちょっと待って」と理性が働くまで4~5秒かかるらしい。巷でよく聞く「6秒ルール」の根拠はこういうこと。(参考:朝日新聞GLOBE+

パリッとジューシーなソーセージではなく、つくねのようなウィンナーを
買ってしまったジブン。「くっそーーー」

1.2.3.4.5.6.

ま、そういうこともあるわな。



いただけるなら喜んでいただきます。