そろそろ結婚一周年になるから、この一年をふりかってみようと思う
来月の5月19日で結婚一周年を迎える。
結婚式の翌日、もういろいろ嫌になってしまって山添から撤退することを決めた。
この一年、北祐介にとって、水流苑まちの両方にとって、かなり良い修行になったのかもしれない。
和光や山添で1つの家に王として君臨し生活をしていた僕。
同じく、広い空間を自分の思い通りに自由に使い、城としていたマチマチ。
あまりにも生活スタイルの違う2人が同居を始めるとなったときにいろいろ問題が起こるのは必然だった。
夫婦生活は突然に
もともと、「結婚するからといって、一緒に生活をしなくてもいいよね」ってことで結婚したのに、皮肉にも結婚式の翌日から世間一般的な夫婦と同じく同棲生活をスタートさせることになった。
当時、家を借りられるほどの収入も貯金もなかった僕なので、山添を離れてからの行き場がなく、とりあえずマチマチの家に転がりこむことになった。
なので、家の主人はマチマチ。
とりあえず、人が1人増えたことで家事の負担が増えないようにマチマチが家事をしているときには積極的に手伝い、特に洗い物に関しては自分の仕事であるといわんばかりにしっかりやった。
荷物もずいぶん減らした。特に、家に大量にあった調味料を全て手放したことは料理のレパートリーが大幅に減ることになるのでかなり心苦しかった。
ただ、夫婦というものは、「自分は相手のためにこれだけ頑張っている!」となって相手の努力に目を向けずに悲観的になってしまうもので、我々きたまち夫婦もお互いにそうなってしまうことがたびたびあった。
日常の小さな不満はつもりつもって、火薬庫となり、小さな種火で大きな爆発を生む。
いくらきたまちであったとしても、このままだと破局するだろうという確信があった。
我慢しない、でリスク回避。
そこで心がけたのは「お互いに我慢しないで、気になることがあったら絶対に言う」だった。
小さな不満があがったときに、お互いにちゃんと言う。絶対に溜め込まない。溜め込めさせない。
それは相手が何も言わないからそのままでいいという甘えもなく、将来のリスクを回避するためになんとなく様子がおかしいなと思った時に引き出していく必要があった。
それでも、お互いに溜め込んでしまうことがあった。そのために、マチマチを泣かせることもあった。
ただ、その涙は僕が暴力を振るったとか僕がマチマチを裏切ったとかそういう涙ではなく、このピリピリとした雰囲気が嫌だとかピリピリしてしまう自分自身が嫌だとかそういう涙だった。
我慢しない。少年少女期を我慢で塗り固められた僕ら夫婦にはこれが本当に難しかったからこそ、我慢しないことに向き合い、我慢する方が楽なことであっても、ストイックに我慢しないことに徹した。
家に帰りたくなくなった11月。
同棲を始めて最初の半月間。
幸い、仕事もそれなりにあったので、この家から離れる機会が多く、定期的に距離を取ることでストレス値をリセットすることができていた。
ただ、それが壊れたのが去年の11月。
この月は完全に無収入になり、貯金も底を尽きて、動こうにも動けないし、外に行こうにも外に行く手段がない屍のような状態に僕がなってしまった。
そういう状態で家にいれば、当然お互いにストレスがたまる。
家の中に険悪な雰囲気が流れることが多かった。
たまたま大阪に行く機会をもらったので、大阪で用事を済ませたところ、不意に家に帰りたくなくなってきてしまった。
そこで、マチマチに電話をした。
「なんか、家に帰りたくなくなった」
そう言った後、マチマチは少し泣いていた。
ただ、ここで言わないと本当に夫婦関係が破滅してしまうと思い、思い切ってその時の不満などを言ってみることにした。
思いっきりワンワン泣かれたけど、帰ってきたときに思いっきり抱きしめてあげた。俺も少し泣いていた。
たぶん、このとき初めて奈良の家がホームになったのかもしれない。
ぬるい生き方はできない
その後、仕事も復活して、それなりにお金も入ってくるようになった。一月には3年ぶりくらいにアルバイトをしてみた。
アルバイトさえすればそこそこ食べていくことができるし、マチマチにもお金を渡せるからそれでいいのではないか。
そう考えていたときに、ある人が意識不明の重体になってしまった。
その人は、山添で一緒に暮らしていた友人の知人で、僕の才能に気づいて、いろいろ期待をかけてくれて、ポケットWi-Fiをたくしてくれたのだ。
その人の顔を思い出して、俺はのほほんとバイトをして生きるために今までの活動をしてきたのか!と自分に対して怒った。
同時に、そんなことを忘れさせるくらいに楽だったバイトに、この生活環境に出会えてしまったことに恐怖を覚えてしまった。
少しずつバイトのペースを減らして、ちゃんと自分のコンテンツを作っていこう。
ただ、今まで「世の中への怒り」でいろんなコンテンツを作ってしまっていたために、怒り以外でのコンテンツの作り方をすっかり忘れてしまっていたのだ。
新しいアイデアが生まれないなら、今までやったことの再編集をして、それを誰かが使える価値あるものにしていこう。そうして現時点までのできる限りのことを出し切って産んだのが「ママプリ」だった。
不思議なことに、自分で何かを作ろうと思い立ってからは、いろいろなことが回るようになった。
おかげで、以前にも増して安定感を手に入れることができた。
…なんて思っている頃にまた油断をしてしまって、少しマチマチとの関係をこじらせることになってしまった。
最後の別居と世界最後の日
それは長期の出張から帰ってきた3月のこと。
二週間一緒に過ごすと何かしらの問題が起こってくるのはいつものことだけど、今回もそれが起こってしまった。
ふと、イライラが募った時にマチマチの中にどうしても「なんで一緒に住まないといけないの」という不満が出てきてしまう。それが彼女の選択肢に入ってきたときに現れるなんともいえぬピリピリとした雰囲気をすぐに感じ取れるようになる。
こう書いてしまうと、マチマチが我慢できないタイプのように思われるかもしれないけれども、マチマチはマチマチでこの時点でもかなり大きく成長してくれた。
もともと、創作のために家をしっかりと整えたい性格だったため、何かが散らかっていると気が散って仕方がなくなっていたけれども、その習性をしっかりと乗り越えてくれた。
何かいざこざがあるたびに、きちんと自分の内側の深いところを見つめて、その上で自分の過去のトラウマに向き合ったり、自分の意識を変えたりするなど、並みではない修行僧ばりの努力をしてくれているのがマチマチなのだ。
俺と生活するために、一緒に暮らしたいと思ってくれているからこそ、ここまでストイックになれるのは本当にすごいと思っている。
マチマチはそうできるのは「何かいざこざがあったときに、不満をぶつけるんじゃなくて、まず目の前の問題を一緒に解決してくれようとしてくれるキタキタはすごい」と本気で思ってくれているからなのかもしれない。
これは一緒に乗り越えていかなきゃいけない問題なんだ。お互いにできることをできる限りやっていこう。
そうやって、いろんなことを乗り越えてきた1年があったからだろう。
「1ヶ月くらい、本格的に別居してみない?」
と僕から提案した。
その別居は僕の誕生日の次の日から始まる予定だった。そこまでしたら「なんで一緒に住まないと…」みたいな選択肢がでてこなくなるか、もしくは「やっぱり1人の方がよかった!」となるかになるだろうと考えたから。
僕の誕生日3月18日の夜、このままバタバタ出るのはちょっと嫌だとお互いに思ったので、21日まで一緒にいることにした。ちなみに、誕生日の前日まで福岡に出張で行っていた。
その間の3月20日。
マヤ文明歴で地球が滅亡する日と言われていたので、その日が地球最後の日だと思って過ごしてみようと決めて1日を過ごしてみた。
すると、不思議なことに、どこに行きたいとか誰かに会いたいとかは一切なくて、ただマチマチの側で世界の終焉の景色を見たいと純粋に思ってしまったのだ。
この日、興福寺の五重塔のバックで太陽が沈んでいくのを見て、「この日常を過ごすのも最後か」と思って泣いていたくらいに本気で地球が今日で終わると考えた。
慣れ親しんだ納豆ご飯と味噌汁を晩御飯に、最後の最後までこの人を愛していたいと思いながら一緒にお風呂に入り、布団に入った。
この地球最後の日のセックスは今までで一番愛情深く、地上の誰よりもマチマチを心から愛せた瞬間だった。
マチマチも同じようで、この瞬間に大いに歓喜してくれていた。
地球最後の日まで一緒にいたいと本気で思うことができたのが嬉しかった。
翌日、2人で散歩した新しい地球は本当に生まれ変わったかのように美しく映った。
何もかもがキラキラしていて、透き通る風も心地よく、揺れる草木の音も福音のようだった。
ただ、次の日に奈良を出て東京に行き、別居期間がはじまるのは定まっていた。
このとき、週末に小池百合子が実質的な東京都のロックダウンを言い渡すことになるとは思いもよらなかった。
別居の終わり。
小池百合子が会見をした水曜日、開催予定だった飲食系のイベントをキャンセル。
その報を聞いたマチマチも不安になったようで、奈良に引き返すことになった。
「帰ってきて」
世界最後の日の後、もうすでにマチマチの中に僕との別居の選択肢はなくなっていたようだった。
その報を受けて、土日以降の東京の予定を全てキャンセル。
金曜日の仕事が終わった後、すぐに東京から小田原に移動して帰路に着いた。
これから
あれから早いもので1ヶ月。
本来、今くらいの時期に別居を終える予定だったけれども、仮に別居が続いていたとしたらもうしばらく会えなかっただろうと思う。
今は奈良で2人で楽しく幸せに過ごしている。
外に出れないストレスはあるけれども、マチマチとの生活は可愛いと素敵にあふれている。
あのとき山添をやめていなければ
あのとき我慢していれば
あのとき泣かれていなければ
あのとき無収入になっていなければ
あのとき別居を決めなければ
その後ろに後悔の言葉は来ない。
悪いことがあったからこそ、今のマチマチとの関係がある。
去年は僕の厄年だった。
振り返れば、ちゃんと厄年していたけど、それらの不幸が確実に僕らの夫婦の絆を深めたことは間違いない。
ただ、この一年間マチマチにとっての僕は王子様だった。
僕も王子様を勤めたつもりだった。
でも、いつまでも王子様で満足しているわけにはいかない。
王子様はいつか王様になる日を迎える。
夫婦で満たし、溢れ出した幸せの原油を世界に輸出して、幸福王にならねばならぬ。
そのためにはキタキタの力も必要だし、マチマチの力も必要。そして何よりもキタマチのパワーがあってこそそれは実現していくものだと思っている。
僕にWi-Fiを託してくれた人の容体はまだ入院しているけれどもある程度回復してきているらしい。
早く回復してくれることを祈っている。
2月はマチマチの誕生日、3月は僕の誕生日、4月はキタマチが出会った日、5月はきたまち夫婦の誕生日。
もう一度、マチマチと世界最後の日を迎えるために、これからもどんどん愛を育んでいきたい。
キタマチ結婚一周年記念パーティーinオンラインやるよ!
5月17日の日曜日。
キタマチ夫婦の結婚一周年を記念してオンライン上(Remo)でフェスをやろうと思います!
出店費用および参加費無料!
キタマチの一周年を祝いたい人、そのお祝いに便乗して自分の活動を発信したい人、よくわかんないけど歌って踊ったりしたい人、どんどんきてください!
キタマチに会ったことがない人も大歓迎!そういえば、結婚式に誰も会ったことがない人来てたしね笑
↓去年の結婚式の様子
最後まで読んでくださってありがとうございました! サポートもらえると、テンション上がって更新ペースが上がるかもしれません。