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血液クレンジングとかよくわからん壺の購入とか絶対にしたくない僕が教える現実主義の人たちのためのスピリチュアルの楽しみ方

最近、やたらスピリチュアル系と言われてそうな人たちをfacebookのタイムラインで見かけるようになった。

思えば、昔からスピリチュアル系の人によく絡まれたり、そういう人たちから謎に絶大な支持を集めてしまうことがおおい。どうやら、すごいパワーを持っているかららしい。知らんけど。

ただ、世間のスピリチュアルに対する風当たりは強い。みんなオウムのトラウマをもっているからだろうし、ある程度の年齢になれば宗教に全てつぎ込んでしまった悲惨な人を目にすることがあるからだろう。

今日はそんなスピリチュアル嫌いの人たちのためのスピリチュアルの使い方について書いてみようと思う。

ちなみに、僕はネオアニミズム教。信者は地球上で僕1人しかいない。高校生のときに、宗教とかスピリチュアルとかその辺りの類のものが嫌いすぎて無理やりつくり、日々改良を重ねている。

神社には”鏡”しか置いてない〜神との接し方〜

先日、武士道についての書評を書いた。

武士道によると、武士一人一人が自分を自制するために【天の道理】を常に心の中に意識し、仕えるべき主君と自分自身の振る舞いを決めているらしい。

自分の行動は世の中のためになっているか、私腹を肥すために人を傷つけていたりしないか。

常に乱れた自分を監視し、その乱れを正す存在として神々の力を使っている。

どこの神社に行ってもだいたい奥の方に鏡がぽつんとあるのはそのためで、神社とか神とかそういうものに接するとき、僕たちがみるのは鏡にうつった自分なのだ

冷静になったとき、今の自分は妙なことをしていないか?それを確認するために神様を使うくらいでいい。

僕自身、過去に自分の傲慢さとかで人を傷つけることが多かった。自分の外向きだけのプライドを守るためであったり、自分の生活に不安があったときにも同様に他人を傷つけてしまった。

でも、逆に自分がへりくだりすぎてしまったばかりに、自己肯定感を大いに下げてしまうこともあった。また、自分よりも立場が上の人間に対して、悪い行いだと知りながらもその命令に従わざるをえないで、人を傷つけてしまうこともあった。

調子に乗りすぎているときの監視役として、変に落ち込んだりへりくだったりしないための防波堤。武士道的な解釈の神はそういう僕にちょうどよかった。

これによって、人々の才能を正しく評価し(プライドや社会的なあれこれに惑わされず、良いものを良いと言えるという意味で)、軽蔑すべきところは軽蔑しておく(自分の中の違和感を正しく理解する的な意味で)。それができるようになった。

神社のおみくじとしいたけ占い〜スピリチュアルとの接し方〜

スピリチュアル的なものを見たときに、どれくらいの距離感で接すればいいのかについてここでは書いていく。

おすすめは神社のおみくじ程度に使う。これに尽きる。

大吉のおみくじに書いてある通りにしろとか、凶を引いたら自殺しろとかそういう話じゃないのはなんとなくわかると思う。そんな人見たことないし。

僕の妻であるマチマチが自作で謎のおみくじを作っていたが、こんな内容であってもおみくじに対する向き合い方は変わらない

おみくじへの基本的な向き合い方は「どうして今このメッセージを受け取ったのかを自分の今と今までを振り返りながら考える」だ。

神社のおみくじはこれからの運勢を占う説現状の立ち位置を教えてくれる説がある。

僕自身、その両方を採用。自分が調子いいな!と思うときには戒め的なものを感じつつ、やっぱ調子良かったんだ!の再確認として。調子悪いときには、やっぱ調子悪かったじゃん!を思いつつ、ステップアップのヒントを探す。

しいたけ占いについても同様だ。

自分がそういう人!と定義するのではなく、今このメッセージを受け取ったことで、自分はどういう立ち位置に立っているのかを確認するための参考にする。これまでと今を振り返るマイルストーンをつくるキッカケとして使ってみよう。

こうすると、だいたいのスピリチュアルが使い物になる。

変みくじはかなり上級者向けだけどね。

使えるスピリチュアルをどう判断するか

次はスピリチュアルをどう使っていくかについて話していく。

スピリチュアルを盲目的に信じ込むのは危険だと思う。ただ、理屈がわかるものについては理屈のわかる範囲で実行してみるのがおすすめだ。

例えば、スピリチュアル界隈でよく言われる「引き寄せの法則

自分の願いを常に意識しておけば、それが勝手に叶っていくといういかにもうさんくさい法則だ。

これを別の言い方に言い換えると「自分の目標を具体的に描くことによって、その必要なパーツを見つけやすくなる」になる。

例えば、Dr.Stoneで石鹸をつくるためになぜか海藻を集めているシーンがある。

これは海藻=石鹸の原料=病気から身を守る手段という理解ができているから、海藻を生き延びるための手段として利用できる。僕の考える「引き寄せの法則」ってのはこんな感じで、自分の理想の暮らしに必要なパーツを実行レベルまで想像し、アンテナを張っておくことに他ならないのだ

自分の人生のほしいものリストを書き出しておくくらいの解釈でいい。

※ちなみにDr.Stoneの世界での石鹸をつくる原料
焼いた貝殻(炭酸カルシウム)
焼いた海藻(炭酸ナトリウム)
脂肪(野生動物から採った動物性脂肪と思われる)

なので、壺を買ったら幸せになるみたいなのはロジックは意味不明だから無だし、もしそれで幸せだったとしても既にその人が幸せだっただけにすぎない。

逆に、「一度、意味不明なものに大金を使ってみたことを通して自分の中で知見を得る」とか「人類のために喜捨をする」ってことであればお金を使ってもいいかもしれない。だからといって、壺を買う人はいないと思うけど

そんなことをするなら、自分の興味のある活動をしていたり、自分が関心を持っている問題の当事者にお金を使ってあげる方がいい。近所のこども食堂に相談した上で子供たちを焼肉に連れていくとかが良くない?お金使うだけでいろんな人から感謝されるし、勝手にいい人扱いされるからオススメだよ。

ただし、このように理屈を理解した上で実行するのって、普通の人だったら結構難しい場合が多い。

特に、この手の方法は「まず自分にとって何が幸せなのか?」とか「自分の目指したい方向はどこにあるのか」とかを知るプロセスを踏まないとだいたい無駄になる。

自分にとっての幸せとは何かがわかっていない人は延々と暴飲暴食無駄旅行風俗三昧を繰り返しがちになるね。

実際、スピ系にどれくらいお金使ったの?について

実際、怪しい壺を買わされるとかそういうのは現代絶滅危惧種で、現状スピリチュアル系のお金の取り方のほとんどはセッション系が多い

その人と一対一で対話することによって、その人の本当の力を引き出す!って系統が多いんだけど、単純にこれはその人の頭の中とか今までのストーリーとかを整理してあげたり、トラウマになって引っかかっているものに気づかせる系のもの。

言ってしまえば、ほとんどのスピリチュアル系の人がやっているのは自己分析のお手伝い。ヒーリング系の理屈はよくわからんけど、その人の心の自浄能力を発動させるきっかけを作る系だと思う。

ちなみに自分から勝手にお礼として送りつけた分(基本的にマチマチに対して日頃の感謝の意も1/5くらい混ぜて)を除けば、僕はこの手のスピリチュアルっぽいものに対して一度しかお金を払っていない。ちなみに値段は学割価格で3000円(2017年当時)

その名もエレメンツコード。その人の本来持っている特性・現在発揮できている特性・もっと発揮したいと思っている特性を火・水・風・地の4点のグラフで読み解いてくれるセッション...


....が、たぶんこれはスピリチュアルの類のものではない。名前や属性の表現の仕方がスピリチュアルっぽいだけで、ただのデータに基づいた心の状態診断(にしてはかなり深いところまで切り込んでくる)なので、エニアグラムとかそっちの方が近いと思われる。エニアグラムをスピリチュアルだと判断しない人にとってはスピリチュアルではないかもしれない。


エレメンツコードの開発者・林原琢磨さんは今も昔もお店の(特に日本で2人しかいないと言われる立地専門の)経営コンサルタント。

僕の知る限り最も「データ」を愛している人で、そのデータへの情熱が人間にも及び、自身の「人のベストな関わり方やあり方をもっと見えやすくしたい!」という願いを込めて、このエレメンツコードをつくったらしい。(俺解釈)

診断の仕方は決められた25くらいの質問に感じるままに答えるだけ。

その点数で自分の心の状態のグラフがでてくるので、受けた人にとって都合のいい回答などなく、ありのままの自分の状態を突きつけてくる。そこがいい!!!

一方、あらかたの人がご存知の通り我が妻マチマチはゴリゴリにスピリチュアル系。僕の理解を超えた方法でよくわからない方法でよくわからない良い効果を生み出すものを無限にやってくれる。

マチマチのそれに関しては、当然理屈に確証がないながらも、どこかで聞いたことがあったり、腑に落ちるものが多かったから、とりあえず一通り実践してみることにした。そして、実践をしてみて腑に落ちたことも多かった。

ただマチマチ自身、僕以上に自分との対話を丁寧に修行僧が如くやってきた人だからこそたどり着いた境地ゆえなのかもしれない。


理論知をヒントに実践知を積み重ねるとスピリチュアルっぽいものになる

陽明学という学問がある。

それは儒教の一派だけど、徳とか良き人格とかを頭で理解するだけではなく、実際に行動に移して会得せよ!が基本になっている。

スピリチュアルでも同様のことが言えて、単に自分が幸せになるためのアウトプットのやり方を示しているだけにすぎないのかもしれない。

ただ、ほとんどの人は自分にあったやり方を他の人に押し付けているだけの場合があるので、そのやり方に何か違和感を感じたならばやめた方がいいのだと思う。別のやり方を自分で見つけよう

自分の心を変えるために大金は必要でないし、時間も必要ない。必要なのは確証を得られる実験のみだ。

そして、当然人によって向き不向きがあるので、スピリチュアルをうまく使いこなすためには、自分の今の心の状態をなるだけ正確に理解するメタ認知、自分が最も力を出せる環境目指したい方向などを知る必要になる。

オマケ・北自身の神との出会いとネオアニミズム

最後にどうしてここまでスピリチュアルを自然と語れるのかってことで軽く説明しておこうと思う。

僕の高校はミッションスクール、つまりキリスト教系の学校だった。ただ、信仰しているのは【ネオアニミズム】という宗教で、知る限り信仰しているのは地上で僕1人だけだ。

ネオアニミズムは高校生の時にキリスト教の押し付けがましい話が嫌いすぎたために、キリスト教の良い部分を参考にしながらも、自分でいろいろな宗教を勉強して「俺は絶対にキリスト教に染まらない!!」の誓いの下に勝手に作った宗教観だ。

ネオアニミズムについてはこちらを参照
http://blog.livedoor.jp/hoku3373-diaryturk/archives/42989524.html
http://blog.livedoor.jp/hoku3373-diaryturk/archives/20003248.html

というか、単純に自分の高校が嫌いだったから生まれたのだと思う。

ただ、うちの学校では道徳の授業の代わりに聖書の授業や、定期的にキリスト教関係者が講演にきていたし、僕自身社会の選択が世界史と日本史だったことから、人よりも多く宗教に触れる機会が多かったのだろう。

また、小学生の頃、近所の神社でよく遊んでいて、神楽殿で遊戯王とかをやっていたこともあって、神社に対して妙に親しみがあったからかもしれない。

今では、旅先の神社でのお参りは欠かさず、心を落ち着けたいときに自然あふれる神社でのんびりしたり、そこでおみくじを引いて現在地を確認したりする。

単純に、神とかそういうのが身近だったからこそ、スピリチュアルについてもちゃんと考えて見る目が備わっていたのかもしれない。

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