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本当に怖い「老後」の話〜お金だけで逃げきれない未来に向けた生存戦略〜

このnoteについては先に閲覧注意と書いておこう。

というのも、人によってはしんどすぎて狂うレベルの話だからだ。

老後のために何をやっているのか?

多くの人は「老後2000万問題」の話を間に受けて、せっせとお金を溜め込んでいるわけだけど、この問題はそれほど単純なものではない

残念なことに我が国の少子化は深刻そのもので、今後も社会福祉を維持するためにどんどん増税されるため、どれだけお金があって稼げたとしても、そんな状況で親の葬式や入院費を払うのは大変に困難であるのではなかろうか。

しかし、これも所詮お金の話。本当に恐ろしいのはここからだ

僕の現在の住み開きは「終活」であると先日のnoteで語ったが、今度はそのベースになった未来感を記録しておく。

貯めるのは大変なのにあまり頼りにならない「お金」

29歳以下の単独世帯の貯蓄分布を見ると、ほとんどの人が貯金を持っていないことがわかる。

貯金額50万円未満が男女共に半分弱
引用:https://www.mizuhobank.co.jp/academy/20220322/index.html

大学を卒業しただいたいの人は定期的な収入があり、毎日仕事をしているはずなのに、なぜこんなにも貯金ができていないのだろうか?

それはみなさんの思う通り、会社員になってお金を稼ぐのがとても大変だからだろう。

にもかかわらず、お金、特に日本円の価値はここ何年かで急速に下落している

コロナ禍以降、めちゃめちゃ下がってて泣いちゃう

ビックマックに関しては2000年代前半には200円だったのに、都心店舗のそれは今や500円。給料はたいして変わらないのに、物の値段がとにかく上がりまくっている。

老後には2000万円必要!とは言われるものの、私たちの手取りは月16万円程度(多い?少ない?)で大した貯金もできないことがわかっている。

そして、あらゆるものが値上がりをし続け、将来的に必ず増えるであろう税金のことも考えると、「果たして2000万円で足りるのだろうか?」という気持ちになってくるのではなかろうか?

令和6年7月現在、お金をどれだけ持っていたとしてもプッチンプリンやオレンジジュースが買えないらしい。

老人はどのような最後を迎えるのだろうか?

老後2000万問題を考える前に、そもそも今私たちの知っている老人が何をしているのかを考える必要がある。

旅に出ているか、田舎でのんびり畑でもやっているか、下町で酒を飲んでいるかだろう。

しかし、それはある程度健康で、余裕のある老人に限るだろう。老人も毎日旅をできるわけではないし、農業もある程度の体力がないと続かない。

老人の末路は一般的に老人ホームか孤独死である。

自分の子供がいたとしても、老後も一緒に住んでいる子供なんてのは全体の1割に満たないのだ。


出典:厚生労働省「2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況」

家族がいれば、お見舞いに来てくれたり、葬式をあげてくれるかもしれない。

ただし現状、葬式は高い。東京都であれば火葬場を利用するだけでも7万円以上かかるし、さらに値上げを続けていると聞く。

また、私たちが昔参加したような立派な葬式となると、結婚式くらいの金額が飛んでいくだろう。しかし、単身40代の貯金ゼロの割合はなんと41%、さらに2人以上の世帯でも3割の人が貯金ゼロとのこと。

↓ソース

もちろん、老人ホームに入るのにもお金がかかるし、入った後もお金がかかる。

となると、金のない人は孤独死しかない。誰にも看取られず、誰にも葬式をあげられない大変に悲しい最後を迎えてしまうのだ。

「老人ホームに入りたくない」と思った日

キッカケはコロナ禍だった。

現在生きている私の祖父はとある病気で入院しているが、コロナの流行に伴い気軽に会うことがかなり難しくなってしまった。

その理由は「感染拡大防止のために不要不急な外出を避ける」だった。病院側の要望により、施設外部の人との接触をほぼ完全に断たれてしまったのだ。

老人ホームはお年寄りを預かる以上、老人に死なれてしまっては責任を追及されてしまうため、その対応について是非を問うことはしない。

ただ、シンプルに自分が会いたいと思う人や、自分に会いたいと思う人との接触を一切断たれてしまうのは社会からの断絶そのものではないかと思う。

祖父は当然家に帰りたがっていたが、病気の関係でそれもままならない。そんな状況をもう4年も味わっている

自分が老人ホームのお金を誰かに払ってもらえるのかはおいといて、晩年がこれでいいのだろうか?と強烈に考えるきっかけになってしまった。

老人ホームは定年後に通う学校か?

老人ホームは学校のやり直しであると考えている。

ここでは、学校を小中高、つまるところ同世代の人たちを一つの施設に集結させた非常に特殊な環境として定義しよう。

当然、老人ホームは基本的に老人としか交流できない。みんな人生が終わりと思っているから、これから何かを始めようとする人は少ない

正直、学校で浮いてたり、周りに合わせて生きていくのに疲れた人たちにとってはかなり過酷な環境になるのではなかろうか。

私の知人で子供に「将来老人ホームにいれてあげるから」と言われて激怒した人がいる。

彼が言うには、「老人ホームは人生を諦めた人たちが通う場所だからそんな場所にいたくない」とのこと。

気持ちはわかる。だからこそ、どのようにしたら老人ホームにも入らず、孤独死もしないかを考えている

老人は嫌われている

この前の東京都知事選挙で石丸伸二氏が20代以下の層でトップの投票数だったことを知ったときにかなりの恐怖を感じてしまった。

というのも、石丸氏は安芸高田市長時代の主なニュースは居眠り議員に対して「恥を知れ」と言ってバズったことくらいしかない。

実績を見ても、特別なものは一切ないにも関わらず、なぜ彼がここまで人気なのかは「老害」に対して立ち向かう若き市長というブランディングをしていたからだ。

基本的に、tiktokやyoutubeショートで流れてくる石丸氏の動画を見てもおじいちゃん議員やおばちゃん議員に論破をしている様子しかでてこない。

石丸氏が都知事になればそんな老害と呼ばれる人たちを一掃してくれるかもしれないという期待が跳ね上がった結果、今回の20代以下の層からの圧倒的な人気だろう。

しかし、彼らの思いは全く届かず、さらに選挙後に石丸批判が続き、投票した自分たちが馬鹿にされることで、さらなる政治不信と老人との対立が深まった

老人は嫌われているのである。そして、そんな老人を嫌っている人たちもいずれ老人になっていくのである。

そんな私たちを見た今の子どもたちは大人になったときに私たちのことをどう思うのだろうか?

今の老人たちのように僕たちの老後は保証されない

現在の日本はお年寄りに優しい政策を多数打ち出していた。

しかし、その政策も昨今徐々に削減されつつある。

まず、このままの状態なら消費税は上がるだろう。

というのも、高齢者がリタイアして、所得を生み出さずに年金や貯金で暮らすとなると、所得税の減少は免れない。そのため、それを補填するために老人だろうが子どもだろうが平等に税金をむしり取れる消費税が一番手っ取り早い。

また、後期高齢者医療制度についての改訂が2022年に行われ、一定の所得のある人について医療費自己負担額が2倍になった。

私が子どもの頃は4人で1人のお年寄りを支えることになるから大変だと言われていたが、現在は2人で1人支えることに。ここまで来たら、子供がいないのに子供を育てることと同じくらいの負担を強いられているようなものだ

こんな歪な状況には何かしらのメスが入るだろう。そのメスに腹を切り裂かれる日はいつか。

金もなければ生活力もない。友達もいない。帰る実家もない。

絶望はまだまだ続く。

自炊の一番のメリットは栄養のある健康的な食事を安価で食べられることにあるのだが、それを意識して自炊できている人はどれだけいるのだろうか?

今、一緒に働いている人たちは気の合う人たちだろうか?
気の許せる友達と月に一回会えているか?
その友達と疎遠になっていないか?
家族とはうまくやれているか?
自宅は心地よい空間か?
体は健康か?
お酒で紛らわせられないほどの虚無をかかえていないか?

社会人は大変だ。
毎日の仕事で体力と気力を削られて、そんな中で誰かを誘ったり、自分で何かを立ち上げたりするのって本当に大変だ。しかも、そのハードルは年々上がっていく

もちろん、お金を払えばこれらの問題を解決できるだろうが、逆に言うと自分で何か行動を起こさない限りはお金を払い続けることになる。

具体的な例を話すと、nashのようなそれなりに栄養バランスの取れた食事を食べることができるサービスは登場したものの、nashは一食500円程度。1ヶ月で45000円ほどなので、家賃に加えてこれを毎月出費し続けるのはかなりきついのではなかろうか。

「3つの資産」をバランスよく保とう

「お金が必要です。だから、お金を持てるように〇〇を始めましょう!」
と言って、怪しいビジネスを勧めるのがこういう記事のよくある結論だろうが、うちはそれをしない

なぜなら、みんなが欲しがっているために手に入れるのも難しいくせに価値が下がっているものを集めても先の不安は一生付きまとうし、問題を金で解決しようとしたら結局もっとお金がかかってしまう

資産はお金に限らない。橘玲氏の『幸福の「資本」論』という本で言われているように、金融資本、人的資本、社会資本の3つに整理するとかなりわかりやすい。

金融資本は、みなさんが資産と言われたときに真っ先に思いつくお金とか土地とか株のこと。

人的資本は、稼ぐ力や生活力のような個人のスキルや能力

社会資本は、どれだけ頼れる人がいるかとか仲間がいるかといった交友関係

人的資本はポータブルスキルのように、今自分がいる組織に依存しない能力を高めることで形成される。

【ポータブルスキル】
職種の専門性以外に、業種や職種が変わっても持ち運びができる職務遂行上のスキルのことです。
ポータブルスキルの要素は「仕事のし方(対課題)」と「人との関わり方(対人)」において、9要素あります。
【仕事のし方】は仕事における前工程から後工程のどこが得意かをみており、【人との関わり方】はマネジメントだけでなく、経営層や、上司、お客様など全方向の対人スキルをみています。

厚生労働省:ポータブルスキル見える化ツール(職業能力診断ツール)
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_23112.html

社会資本の形成は積極的に外に友達を作りに行ったり、もともとある交友関係を大切にしていくことでなされる。しかし、この資産については形成までに最も時間がかかるし、歳をとるにつれて得難いものになっていく。現在の婚活市場を見ればその難易度を想像するに容易い。

資産形成という話でいくと、現在のシェア実家は社会資本の形成にあたる。

こちらではちょっと違った視点で住み開きのことを解説しているので、ぜひ読んでいただきたい。

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「自分家でやるのは嫌だけど、遊びには行ってみたい」

というコメントをカンニング竹山氏から。

「行くのもやるのも嫌だという人たちもいる」

というコメントを柴田阿弥氏よりいただいき、この発言への共感が寄せられたことや、youtubeでの切り抜きの荒れ具合から世間一般的な住み開きに対するイメージをよく理解できた。(ゲストに対してこの発言はすげー失礼だとは思うけどな)

しかし、迫り来る絶望に対してのアクションを考えた結果の行動がこれなので、柴田阿弥の発言をフォローする人たちは僕には救えない。南無阿弥陀仏と唱えて阿弥陀如来に任せることにしよう。

僕たちの未来はこれなので、これに適応していくための力をつけつつ、「資産」を築いていくことしかできない。


最後まで読んでくださってありがとうございました! サポートもらえると、テンション上がって更新ペースが上がるかもしれません。