見出し画像

プロレスにおける”下積み”という非合理な合理性

目に見えないものを見に来るプロレスファン

見せるシステムとしてのプロレスの話をしているが、プロレスファンは、見えないものを見に来るのだ。

例えば、このところ取り上げている7月1日に旗揚げ戦を行った新団体のGLEAT。

目玉は20数年ぶりによみがえったUWFというところなのだが、別にド派手な演出があるわけじゃないし、大仁田のような電流爆破の仕掛けがあるわけじゃない。

そこにあるのは、プロレスファンでなければ見えない喜びだ。

それは、脇役が主役になるという興奮、だ。

それは昨日まで脇役だったものが、一夜にして主役に躍り出る、というエキサイトメントだ。

GLEATの旗揚げ戦で言えばメインを戦った伊藤 貴則(いとう・たかのり)と新日本プロレスのSHOだ。 

伊藤はプロレスファンにさえほぼ無名の存在、SHOは新日本プロレスジュニアの売出し中の選手だが、IWGPジュニアタッグ王者ではあるものの、ライガーほどのカリスマはない。言ってみれば脇役だ。

もちろんこのマッチメイクには深い主催者の考えや、これまでの経緯があるのだが、脇役がメインステージに登場するというプロレスならではの、エキサイトメントがある。

下積みこそプロレスが持つ最強の差別化

プロレスの世界ほど、下積みという言葉が意味を持つ世界はないだろう。よほどの生まれつきのカリスマ性や運動能力、ずば抜けた体格、他競技での実績がない限り、キャリア1,2年の選手がメインイベントに出場することなどありえない。

それは、プロレスならではのかけひき、客とのコミュニケーション、レスラーとしての見せるたたずまいなど、ある程度のキャリアを積まなければ絶対に身につかないものがあるからだ。

年功序列も、ある。

プロレスは入門したら、付き人と呼ばれる先輩レスラーの世話をするのが習わしだ。そこで、プロレス界のしきたりや、しくみ、常識といったものを学んでいく。

それを経ずして、いきなり上のマッチメイクが組まれるようなことはない。練習も上下関係をわきまえながら、先輩に教えを請うという姿勢が要求される。しかし、やられっぱなしではダメで、目上に遠慮しながらも、なめられないように自分の強さを示すことも求められる。

基本的に若手と言われる入門3年から5年の間はプライベートなどなく、練習以外は、付き人として先輩レスラーの世話に追われる。この間の生活のことをプロレスでは下積み、という。

下積みがレスラーに与えるのは”色気”

相撲と同じでは、ない。相撲よりも”格“というものが重んじられる。その格とは説明しがたい空気のようなもので、プロレス独特のものと言える。こうした空気の中から、プロレスラーは上のカードを組まれるために日々出世競争に励むことになる。

合理的とは程遠いし、付け人の時間をジムで練習してたほうがよっぽど実力がつくだろう、そうした批判はもっともだ。

しかし、この下積みの期間がプロレスラーに絶対欠かせない、総合格闘技の選手には絶対持つことのできない、独特の”色気”を与えることは否定できない。

それは、寿司職人に例えられるかも知れない。

寿司職人は最低3年は洗い場だ。次の3年でやっと先輩の見様見真似で魚のさばき方を教わり、さらに3年の出前持ち専従を経て、10年目からやっと寿司を握らせてもらえる。スシ大学を3ヶ月で卒えた寿司職人と10年選手のスシはどちらがうまいか、言うまでもないだろう。

下積みにはある種の合理性がある。

しかし、この間やる気を無くしたり、腐ったり、下積みズレを起こしたり、実力があるのに上にいけないとすねたり、怒ったり、やめたり、当然そういった反作用がおこる。

プロレスは実力通りにはならない世界であることも事実だ。華がなければメインイベンターにはなれない。しかし、この逆境で蓄えられる反発力が、プロレスラーの魅力になる、色気につながる。

旗揚げは実力派中堅レスラーのクーデターだ

しかし、こうした下積みを得てチャンスをつかめなかったものが、クーデターを起こすことがある。

自分がメインイベンターとして登場する新団体旗揚げ、他団体移籍、他団体殴り込み、がそれだ。

脇役がいきなり主役になるのだ。

プロレスファンはことのほか、この“絵”に興奮する。

とうとうやったか、実力があるのにマッチメイクに恵まれなかったからな、本当は強いのに勝てなかったんだな、いいじゃん、あいつがメイン見たかったよ、ありゃ、あいつリーダーシップがあったんだ、という好意的な反応がほとんどだ。

旗揚げや殴り込みは、だいたい成功する。それをビジネスとして買ってくれる人達がいるからだ。地味な中堅でも、なにか光るものがなければまわりは担がないからだ。

UWFが現代に蘇ったのは新日時代の下積みのおかげ

下積みというシステムは、不運にも上に上がりそこねるものを大量に輩出する。それを救出し、新しい価値を作るのが、新エースを掲げる新団体設立であり、いきなり団体のエースを襲撃する目立たなかった選手であり、実力があるのに埋もれていた中堅選手をエースで押す団体なのである。

GLEATは一昨日話したように、新UWFイデオロギーを掲げて登場した。

伊藤選手の下積みについてはプロレスファンは共有していないが、UWFの魅力とは実は前田、高田、山崎の新日本プロレス時代の”下積み“にその原点がある。

彼らが最初からその素質や実力通り、メインに取り上げられてもてはやされていたら、UWFなんて何の魅力もなかった。新日本プロレスという保守制度に、古臭い伝統に反発したから時代がついてきたのだ。

GLEATは、伊藤 貴則、そしてはSHOは、時空を超えて、そのレガシーとしての輝きをGLEATのリングで炸裂させたのだ。

深い見方ができる本当のプロレスファンは、この二人を脇役とは見なかった。それは今週号の週プロの表紙をSHOが飾ったことでもわかる。

画像1

下積みという不合理は、プロレスの見せ方の深い部分を支えていたのである。

今日も読んでくれてありがとう。

じゃあ、また明日。

                            野呂 一郎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?