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なぜ、ビッグダディはバイトをクビにしたのか


合気道で習った聞くことの意味

積極性をリストアップしたけれど、最近どこからともなく「これもどうだ」という声が聞こえる。もうここまで来たら引き返せないからやっちゃおう。(笑)

今日は「聞くこと」だ。

一見、聞くことは地味だ。どこが積極的なんだ、と言われそうだが、僕は今最も積極的な行為は「聞くこと」だと思っている。

こんな話があるんだ。

僕は高校生の頃から合気道をやっていて、つい最近まで合気道の総本山ともいうべき、新宿にある合気会の本部道場に通っていた。

日曜日の午前8時からの僕の大好きなK師範のクラスでのこと、四方投げという技の応用を自らデモンストレーションした後、先生の解説が始まった。

「これを聞きたいために来ているんだ」、僕はメモ帳を片手に一言も聞き漏らすまいと必死にノートをとった。

熱心な技の説明が終わり、次は道場生がその技を二人一組で掛け合う時間だ。K先生が見回りに来て、僕に声をかけた。

「キミは本当に熱心だね。あんなに必死に僕の話を聞いてくれる生徒は、今まで一人もいなかったよ。みんな熱心なふりをするけれど、本当に聞いてはいないんだ。キミの本気が伝わってきた。嬉しいよ」。

僕はうれしいよりも、まず意外の感に打たれた。

世界のK師範の話を、皆真剣に聞いてない、信奉者の多いはずのあのK師範が、生徒たちの熱意が足りないと感じていることに対してだ。

ただ、たしかに僕のようにノートを開いて先生の教えをメモしているような生徒は一人もいなかった。僕は空手道場でも同じことをしているのではあるが。

この”事件“で僕は、「聞く」ということの力を思い知った。

よい聞き方はよい態度が伴う

こちらはただ、ありがたい教えだから、一言も聞きの逃すまいと聞く、それだけだ。誰だって聞きたいことがあればそうなるだろう。ましてや合気道を追求している人たちはそうだろう。でも、なんでK先生はそんなことを言ったんだろう。

先生は、僕がしきりにうなずいたことに、とりわけ熱意を感じたらしい。

僕としては自然なことだ。どうしてもその技の奥義を知りたくて、それに触れた言葉がでたら、それは全力でうなずくだろう。

みんなも同じ気持ちで聞いてたはず、じゃあ、なぜK師範は僕にそんなことを言ってくれたのか。

あとで考えた。「聞く態度」なのだろう、と結論づけたのだ。

熱心に聞くと、自然に熱心な態度になる、のかもしれない。

振り返ると、K先生の話が大好きで、興味があって、それを自分のものにしたいという圧倒的な熱はあった。だからメモを持ち込んで(それをしまうところがないのでいつも難儀する)いる。共感する話があれば大いにうなずく、先生に敬意を持っているから正座して背筋が伸びる。聞く方としては、自然にこんな感じになる。

しかし、聞かれた方は、なにか強いメッセージを感じるのだ。

この一件で僕は一見消極的に思える「聞く」という行為が人を動かすとても積極的な行為に思えるようになったのだ。

「聞く」ことは積極性なのだ、と。

守りの中に攻めあり

一見聞くことは守りに見える。しかし、攻めなのだ。それは、現役時代のミスタージャイアンツ・長嶋茂雄が見せたサードの守備が攻撃的だったことにも例えられるかも知れない。

自分のことを出して我田引水のようで気が引けたが、聞くことは積極性であり、人を動かすことがある、そう言いたいのだ。

ケイタイ中毒で人の話を聞かないゾンビ

人の話を聞かない時代だ。ケイタイがその犯人だ。

喫茶店に、ファミレスに行ってみるがいい。対面で座っているのに、ふたりとも携帯をいじっている。話しかけても、携帯をいじりながらだ。聞いてなんかいない。学生に話しかけても、ケイタイいじりながら応対される。上司に叱られながらケイタイをやっている部下がいる。

ケイタイ中毒だから仕方ないよ、という問題ではない。ゾンビがついに街にあふれてしまったことが問題なのだ。

ケイタイを4,6時中手放せず、そのおもちゃをいじりながら人の話を聞く(聞いてないが)、そういう人間がゾンビ、だ。

普通の人間はその鈍感さとデリカシーの無さに戦慄する。しかし、もう街にはゾンビが溢れていて、超少数派の普通の人間は「あれっ、あいつはケイタイに夢中で俺の話など聞いてないようだけれど、俺が異常なのかなぁ」と混乱する。ゾンビ多数に人間はキミ一人、そうなる。

以前はバスや電車でケイタイで喋っている人は鼻つまみ者だったが、今や普通の人扱いだ。社会全体から、人の話をお行儀良く聞く、という普通のマナーが消えつつある。

ビッグダディの嘆き

しかし、ケイタイをいじりながら人の話を聞くという態度を、こころある人は心地よく受け入れるものだろうか。いやそうではないだろう。それは人に対しての最低の敬意を欠くからだ。

一昨日の東スポにあの”ビッグダディ“が自分の経営する店のバイトをクビにした、という話をしていた。

客に応対しながら、下むいてケイタイをいじっていたから、という理由だ。

ダディいわく「20歳になってこれだよ」。しかし、こういう普通の感覚はダディや僕らの年寄だけで、もうなくなっているのだろうか。やっぱり、そうではあるまい。

人の話を聞く、真剣に聞けば自然に相手に対しての尊敬を表す態度が伴う。それはいつの世でも人を動かす積極性であるはずだ。

今日も最後まで付き合ってくれてありがとう。

また明日会えるのを楽しみにしている。

                             野呂一郎


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