ウサギにかまけず、ゾウ狩りに成功したあの人。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:日本の組織における同調圧力の強さ。強い組織の秘密はチームの和か、個人の力か。トップ画はhttps://qr.quel.jp/pv.php?b=3Nd9nLz
同調圧力が異様に強い日本社会
千万人と雖も吾往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)という言葉がある。
敵が1千万いても、一人で立ち向かってやるという気概をよしとする孟子の教えだ。
しかし、この言葉は、日本ではあまりに空虚に響く。
日本の組織では、千万人どころか、自分に反対するものが二人以上いたら、自動的に白旗を上げなくてはならない、暗黙のルールがあるんだ。
キミが大人になって会社に入ると、会議というものがある。
キミはその会議に出て驚くだろう、予定調和すぎて。
「異議ありますか」と議長が尋ねると、みんな何も言わない。議長は「じゃあ異議ありませんね」と一言、会議は終了だ。
ひとりの反対もでないのは、前もって「意見の調整」をしているからだ。
意見の言い出しっぺが、会議の出席者と前もって話し合い、合意を得ておくのだ。これを「根回し」という。
日本の社会は、反対者がひとりでもいるのが嫌なのだ。
だから、めんどくさい根回し、というのをやる。
そんな社会で「千万人といえども我ひとり行かん」なんてありえないのだ。
キミはおでんを美味しくするために生まれてきた、一つの具に過ぎない。
具は主張してはいけないんだ、だまってスープに浸かってればいいんだ。
お風呂=おでん論
世界を見渡すと、千万の敵にたった一人で立ち向かったものが人類を救っている。
改革は常に一人の革命児により、成し遂げられてきた。
日本でも、おでん文化に背を向け、敢然と戦った男がいた。
その男はエンジニアで徳島にいた、地方というハンディやコンプレックスこそが男の改革のエネルギーになった。
男はまだ見ぬ製品の開発に、夢中になった。
部品の調達も自分で行い、実験に必要な機器も外注せず自分で作った。
しかし、日本の組織にいる限り、おでん文化は男にも容赦なく襲いかかる。
常にほかの種と一緒にされ、一緒のお風呂、もといスープににつかることを余儀なくされる。
それも長時間。
煮え具合が同じでないとおいしくない、という理由で。
お風呂では背中を流しあう。
それは友愛の儀式である。
会社もそのお風呂みたいなものなのだ。
会社という狭い空間にいると、どうしても隣同士距離が近いのでぶつかる。
それならば、いっそのこと背中が見えたら拭いてやればいい。
風呂で背中を流すようになったのは、昔の公衆風呂はごった返して殺気立っていたから、それなら仲良くすればいい、となったと聞いたことがある。
おでんも会社も同じ、だ。
おでんも、統一的な味を出すには具材に喧嘩してもらっては困るのだ。
ぐつぐつおでんを煮るのをよく見てみると、何やら背中を流しあっているかのようだ。
おでんと戦った男
男は、しかし、そんなおでん文化になじめなかった、むしろ憎んだ。
隣人の具材とのつきあいをやめるだけにとどまらず、電話にも、会議にも出なくなった。
男は、製品開発に関係ない仕事は、一切しなくなった。
周囲は男を変人扱いした。
同調圧力のとりわけ強い、地方でおでん文化に背を向けるのは、針のムシロに座っている方がましであっただろう。
しかし、その日が来た。男の新製品開発は見事に成功したのだ。
賢明なキミは、この男が誰だかわかるはずだ。
そう、青色発光ダイオード開発でノーベル賞を受賞した中村修二先生である。
中村先生は、今カリフォルニア大学で、一人新たなチャレンジをされていると聞く。
8億円の訴訟にも勝った。
中村先生の訴訟の目的は金ではなく、おでん文化へのアンチパシー(反感)だったのだ。
どうだろう、高校生の皆さん。
どうせキミたちも、おでん文化の洗礼を受けて、一生ウサギを追わされることになるよ。ゾウではなくて。
トネガワはかつて金は命より大事だ、と言い放った、しかし日本社会は「横並びは命より大事だ」というだろう。
この問題、もう少し続けよう。
野呂 一郎
清和大学教授
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