見出し画像

日本企業vs欧米企業。サスティナブルな未来に勝つのはどっちだ。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ローテーション(人事異動)に隠された日本の知恵。サスティナブルな時代にレイオフ当たり前の欧米企業への疑問。

ローテーションのしくみ

昨日正太郎くんの件で(笑)、ローテーションどうのこうの、と会社の人事に興味のない方にはよく分からなかったのではないかと思い、今日ちょっと説明を付け加えます。

ローテーションとは人事異動と訳されることが多いのですが、日本的人事制度の一大特徴とされます。

https://qr1.jp/qkn63z

欧米、いや日本以外の世界では、採用はあくまで専門職、つまりマーケティング、経理、営業、ITなど、専門スキルが必要な職種を募集するわけです。

しかし日本は終身雇用が前提で、大卒の22歳の若者は専門職として雇われるのではなく、その企業に入社するのです。

その時点で職種、ポジションは言い渡されません。

大学を卒業した4月1日に入社して、そこで配属が決まります。

しかし、部署が決まっても、日本の大学では専門性など身につきませんから、肩書はただの社員です。

ただの社員からおよそ3年たって、その部署内での一番低い肩書が与えられ、更に3年して次に偉い肩書が、更に3年経ってその次に偉い肩書が与えられます。係長→課長→部長といった流れです。

ローテーションはその間に行われます。東京本店から青森支店に、営業から経理に、子会社に出向も一種のローテーションです。

なんのためにこういうことをするのでしょう。

それは「ゼネラリスト」になるためです。

ゼネラリストとはスペシャリストの反対概念で、何でも屋さん、のことです。

https://qr1.jp/yvpltz

日本企業はゼネラリスト信仰である、とよくいわれます。

この信仰心を支えているのは、次のような信念です。

「専門を持たず、いろんな部署の色んな仕事を体験することで、立派な組織人、組織に貢献できるリーダーが育つ」

詠み人しらず

単身赴任とは何か

ローテーションは、人間を尊重しない日本企業の悪しき習慣だ、という声が上がっています。

高度成長時代がまさにそうでしたけれど、「転勤族」という流行語がありました。

日本の企業に入ったら、転勤は当たり前で、「地方に飛ばされる」などという差別的な言葉が昭和の時代に飛び交っていました。

だれでも会社に入ったら、転勤は覚悟しなければならず、子供は親の転勤に伴い転校を余儀なくされました。

親の異動に伴い、何度も転校する子が全国に増え、当時はあまり問題にされませんでしたが、その犠牲になった子どもたちは相当つらい思いをしたことでしょう。

単身赴任、という言葉も今はあまり聞かれなくなりましたが、流行語でした。

たんしんふにん、と読みます。

家族は東京に残り、働く(父)親だけが赴任先の土地でアパート住まいをすることを指します。

https://qr.quel.jp/pv.php?b=3CbVJlK

なぜそんなことをするかと言うと、子供の教育のためです。

70年代は特に受験戦争が過熱、東京の進学校に通う我が子を、地方のレベルが落ちる学校に通わせたくない親が、遠隔地でひとり住まいという選択を余儀なくされた家族分断の姿、これが単身赴任が生んだ、悲劇だったのです。

いま、働くものの人権が、そして働きやすさが問われている時代、ローテーションがその槍玉にあがっているのです。

日産自動車は、ローテーションをいやがる若者に対応して、もうここ20年くらい、配属先と職種を固定した独自のジョブ型採用をすすめてきました。

企業は、ローテーションを存続しつつ、働く人の新しいニーズに答えなくてはなりません。

ローテーションは悪か

職務変更、職務地変更が、それでも常態化しているのは、先程申し上げた日本企業のゼネラリスト志向にあります。

https://qr.quel.jp/pv.php?b=3N9LN1h

ゼネラリスト志向が目指しているものとは、何でしょうか。

このnoteで学問的議論をするつもりはないのですが、僕は一言で言って、
「人の痛みを理解できるリーダーを作るため」、だと思っています。

結局、日本企業で偉くなる人って、専門性にすぐれた人じゃないんですよ。

アメリカみたいに、マーケティングのトップが、技術のトップがCEO(最高経営責任者)になるのとは対照的です。

専門性じゃなくて、組織全体を見渡せるひと、なんです。

そのためには、各部署の現実を把握し、大変さを理解できる人物でなくてはならないのです。

ローテーションであらかたの部署、仕事を体験するのは、いわば上から下まで各部署、各ポジションの社員の気持ちを理解するため、なのです。

そういうリーダーでなければ、日本では下のものがついてきません。

王様のように振る舞い、景気が悪くなったらどんどんリストラをする、アメリカの企業リーダーとは、そこが違います。

サスティナブルな未来に期待されのるはどっち

サスティナブルな未来を志向せざるを得ない世界の現実を考えると、専門性オンリーの欧米リーダーシップより、ローテーションでゼネラリスト性を鍛え上げた日本のリーダーシップのほうが、いいのではないでしょうか。

ごらんなさい、1万人だか、2万だか、平気で解雇するIT企業のリーダーたちを。

経営がそこにはないのです。

業績が下向けば、クビにすればいいと思っている企業に、ほんとうの意味の経営なんてありません。

経営はそこに働く人が幸せであることが、前提だからです。

最新の経営学も、こぞってここを指摘しています。

その経営の基本とは、人の痛みを知ること、です。

「別にさあ、弱肉強食だから解雇されてもアメリカ人は平気だよ」などという人がいます。

しかし、そういう人はBusinessWeek2023年1月23日号Tech workers talk about getting laid off(IT労働者がクビを切られた痛みについて話す)を読め、と言いたいですね。

彼ら彼女がどんなに無念で、プライドを傷つけられた痛みに苦しんでいるか、がわかります。

サスティナブルな未来とは、人間と環境が共存する未来のことで、そこには「やさしさ」が欠かせません。

世界に比べいろいろ劣ってる、と非難轟々の日本ですが、じつは人と経営という観点からは、トップを走っているのではないでしょうか。

いま、それを検証する論文を書いている最中です。

皆様、本日もおつきあい頂き、ありがとうございました。

明日からまた月曜日です、無理されませんように。

野呂 一郎
清和大学教授

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?