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プロレスのリングという魔法

インスタの善と悪

僕はキミたち向けのじゃないもう一つの連載で、最近インスタを批判したんだ。インスタはいやらしいって。

あれは芸能人や外見がきれいな恵まれた人たちが、ことさら自分はきれいでしょってアピールして、バカなマスコミやファンががそれを「そうだね」ってはやしたてる仕組みで外見差別を助長してるから、今の時代流行らないって言ったんだ。

でも、その一方で、あのインスタっていうシステムはよくできていると思うよ。

それはね、人間って外見に弱いんだ。きれいなものを見れば魂が奪われちゃう。キレイ絶対的なものではないが、例えば深田恭子が海辺で水着を着てたりをインスタにアップしたら、男は見たくなってしまう。

男性が女性のそういう姿に萌えるのは、劣情と言うべき情けない性情だよ。でも自然なことでもある。

でもその性的な優位さを、その男の劣情を刺激して利用するのはフェアじゃない、ジェンダー差別であり、本人はいいけれども女性の地位を貶めている、っていうのが、世界の今の流れだ。先進国でミスコンをやっているのは日本くらいだ。

ちょっと脱線したけれど、何が言いたいかっていうと、人間は目に飛び込んでくるものに弱い、視覚に訴えてくるものに弱い、この弱さを最大活用したシステムがインスタだということだ。

そしてインスタは視界に入るものに心を惹かれたとき、クリックという経済的なアクションが生じる。

プロレスという様式美

プロレスもインスタと同じように、まず目に飛び込んでくるもののチカラを最大活用している。

それはリングだ。

このリングこそ、プロレスの原風景であり、人々をひきつけてやまない仕掛けなのである。

様式美と言う言葉がある。辞書によれば、
芸術作品などの表現形式がもつ美しさ、とある。

プロレスは一つの芸術表現であることを考えると、そこに展開するのは様式美にほかならない。

僕らがプロレスから学ぶべきは、プロレスがシステムとして様式美を備えている、という点だ。それはまずリング、だ。

初代タイガーマスクの金言

ロープが張られた6メートル四面体、白いマット、敵と味方が陣取る赤、青のコーナー、リングの4隅にしつらえたコーナーポスト、ロープからはみ出た中央部より堅いエプロンと呼ばれる縁、リングを支える鉄柱、この舞台設定こそプロレス様式美の根本である。

初代タイガーマスクはこういう名言を残した。

「プロレスというのはリングという舞台をいかに使って、美を創造できるかの競争だ、レスラーはまだまだこの四角いジャングルを創造的に利用してない」。

タイガーがこの通りに言ったわけではないが、ニュアンスはこうなる。

アイスリボンが道場マッチをやめた理由


女子プロレス団体のアイスリボンが一時期、会場にマットだけしいてプロレス興行をやっていた時期がある。

雑誌などで見ると、やはり大きな違和感があり、興をそがれる。いまこの形式が流行らないのは、プロレスファンのみならず一般人も、リングという舞台装置が整わないとプロレスに入っていけないからではないか。

日本の総合格闘技が、UFCなどで使われている八角形オクタゴンの金網のリングにしないのは、日本でプロレスが根付いていることの証拠だ。

プロレスのリングに慣れ親しんだ大衆が、八角形の闘技場に違和感を感じるのだ。それは単に見にくさだけではない。八角形より、ロープが張られた四角いリングのほうが、たくまずして人間の好戦性とロマンを刺激するからではないだろうか。

世界の五感を刺激しろ

先日プロレス八百長論の浅薄さを指摘したが、やれロープに飛ぶのはおかしい、ムーンサルトを逃げないのはおかしいとかアンチプロレス派はまくしてる。

しかし、レスラーはリングという名の美のインキュベーター(孵卵器ふらんき)で、その瞬間瞬間にいかに美を創り上げるかを競っているのだ。技を受けることも美の創造にほかならない。

なんとかして勝つことを考えながら、一方で美の創造も怠らない。この二律背反がプロレスの面白さであり、難しさなのである。

ただ、プロレスのリングは単に視覚に訴えるだけじゃない、五感に訴える何かを持っている。昭和の熱狂は去ったが、いまもってプロレス団体が生まれ、今日も日本各地で興行が行われている理由は、プロレスがリングという、視覚も含め人間の五感を刺激するシステムを持っているからだろう。

もしキミが五感に訴える何かを創ることができたとき、世界は変わるだろう。

今日も読んでくれてありがとう。

じゃあまた明日会おう。

                            野呂 一郎


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