カイシャの命「配置転換」はオワコンではないよ。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:日本の会社の配置転換は時代遅れとの指摘がある。しかし、時代遅れなのは「固定した専門職」なのだ。技術の日進月歩で会社の現場のほうが、大学の研究室よりも革新的だ。それならば、専門職を決めないで、仕事をたらい回しにする日本のカイシャのほうが先進的だ。トップ画はhttps://qr1.jp/op7lTf
配置転換は時代遅れか
会社の命は配置転換だと言った。
だから、最初っから「この部署じゃないとやだ」「この職種じゃないと辞めてやる」っていうこと自体がおかしい。
日本の会社をわかってない。
じゃあ、なぜカイシャは面接で「それはできない相談だ」とはっきり言わないのか。
それは若者をナメてるからだ、と言った。
そして、会社に入れちゃえば、その日から社畜決定だから、文句は言わせない、というズルい思惑もある、とも言った。
しかし、もちろん日本の会社も、専門職志向の若者が増えて、やむなくキャリアとしての、専門職コースを用意した会社も出てきた。
その一つが日産自動車だ。
特定の技術開発をやりたいというエンジニア志望の学生に、基本的にずっと同じ職につくキャリアプランを提供しているのだ。
しかし、それはあくまで例外であって、技術者が営業に回されたり、経理をやらされたりは当たり前なのだ。
専門職は死んだ
欧米の採用はジョブ型だ、すなわち、まずジョブ(職務)ありきのスタイルで、職務に人をあてがう。
これに対し、日本の採用はメンバーシップ型で、まずメンバーシップすなわちヒトありきのスタイルだ。
メンバーシップとは、単なる人じゃなくて、会社に所属しているというニュアンスがある。
社畜と訳せばわかりやすいな、と感じたキミはさすがだ。
今、日本は欧米の影響で、メンバーシップ型よりも、ジョブ型のほうがすぐれたシステムで、日本もジョブ型にチェンジしろ、なんて論調が幅を利かせている。
しかし、僕はそれには反対なんだ。
理由は「専門職は死んだ」からだ。
例えば大学で4年間、マーケティングなり、半導体の理論と実践を勉強したとする。
じゃあ、果たして専門職として会社に入って、マーケターとして、半導体エンジニアとして、活躍できるか、ということだ。
半導体エンジニアはさておき、マーケティングを4年間大学で学んでも、会社で即マーケターとして活躍することは、まずできない。
なぜならば、マーケティングは日々進化し、学んだノウハウや理論がすぐ陳腐化してしまうからだ。
半導体専門に勉強してきた理科系の学生だって、基本は同じだと思う。
だから、企業もそれはわかっていて、技術の現場で採用する学生は、
「専門用語さえわかってればいいよ」、と期待値を下げている。
配置転換の時代だ
ジョブありきで、それに人をあてがうっていうけれども、変化の少ない時代には、それは通用した。
大学で学んだ知識やスキルが、会社に入ってそのまま使えた。
しかし、今はおそらく会社の現場のほうが、最新理論や技術を取り入れて、大学4年生のキミよりも進んでいるだろう。
専門職という言葉のイメージは、固定した職業だ。
しかし、今や固定した概念はすべて、通用しない。
今必要とされるのは、ゼロからものを考え、自分で情報を集め、考え、固定したマインドを捨て去って、柔軟に変化に対応できる人間なのだ。
それを考えると、配置転換は悪くない、むしろすぐれたシステムといえる。
なぜならば、配置転換という日本の概念は、専門職を否定しているからだ。
配置転換とは新しい職種と環境にキミをチャレンジさせる、いわば「無茶ぶり」なんだって。
下手すると、営業の現場から、化学実験の現場に飛ばされることだってありうる。
創造性がないと二言目には批判される日本の社畜だが、どっこい、3年毎に自分を変えざるを得ないというチャレンジを余儀なくされ、知らぬうちにレジリエンス(打たれ強さ、心身のタフさ)が身についているのだ。
ゼロからなにかを学んだり、真新しい環境に適応する中で、創造性も磨かれないとは誰も言えないだろう。
配置転換の正体はアントニオ猪木だ
ITエンジニアとして雇われたはずのキミは、入社式のあと呼び出され、いきなりの配置転換で営業に回され、「えーっ!」と叫ぶだろう。
しかし、日本企業の人事は「大丈夫、習うより慣れろさ」とか言って意に介さない。
配置転換をいい意味で解釈すれば、猪木だ。
つまり迷わず行けよ、行けばわかるさ、いや、そうじゃないか。
「迷わずやれよ、やればできるさ」という、ある種おおらかな人間肯定の思想がそこにあるのだ。
ほんとうかよ?
人事の歴史を勉強したキミは、
確かに。
特に銀行なんかはきっちり3年で、職場を変わらせるよね。
同じ地域に10年もいると、特定の関係者と癒着が起こりやすいから、というのが理由だ。
カネを扱う銀行としては、それが一番怖いわけで、銀行じゃなくても同じ理屈で、人事異動がルーティンになっている。
でもね、根本のところにあるのは、日本の会社って専門性ってものを、あまり信じてないってことじゃないか。
そもそも日本の会社って採用の時点から、出身学部なんて関係ないだろ。
IT企業なのに平気で文学部とか、芸術学部とかとる。
理由は2つ、
1.大学の専門教育なんて評価してない
2.どんな専門分野でも、企業教育で教えられると思ってる
だから、日本企業の採用方針は、こうなる。
つまり、職務が変わるたびに、周りに教えを乞いながら、自分で考え、自家薬籠中のものにできる若者がほしいのだ。できるだけパワフルに、スピーディにという条件もつく。
別の言葉でいうと、日本の会社が求めるのは「若さ」だ。
年齢のことではない、新しいことに常に好奇心があり、チャレンジするというスピリットを持っており、それに爆発的なエネルギーと集中力をもってとりくむパワーがあることだ。
専門職がロボットに置き換わる時代
アメリカでも、専門性を中心としたジョブ型は、うまく行ってないんじゃないか?
例えばアマゾンのフリフィルメントセンター(物流センター)で、ITエンジニアとして、採用された若者がいるとする。
現場に行って驚いた、発送する荷物を仕分けする仕事は、全部ロボットがやっている。
注文票の送付拠点をみれば、CA(カリフォルニア)、FL(フロリダ)等と書いてある、機械がそれを読み取り自動的に分類するわけだ。
採用された若者は直感した。
「来年は海外向けの荷物も、全部アルゴリズムでチェックし、配送センターは全て自動化になるぞ、オレの仕事はなくなるかもしれない。」
専門職がピンチなのは、専門能力を発揮する前に、すべてロボット化、自動化される流れにあり、仕事自体がなくなる可能性があることなのだ。
それなら、なおのこと、ジョブ型じゃなくて、クビにならない代わりにころころ仕事が変わる日本のメンバーシップ型のほうがいいんじゃね?
そして、専門職は死んだんだから、常に新しいことを勉強する配置転換のほうが、組織として強いのだ。
偶然だが、日本の会社の命である配置転換は、世界で戦う武器たりうることが、はっきりしてきたのではないだろうか。
野呂 一郎
清和大学教授