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Rizinラウンドガールは是か非か(東スポ六角形⑥)
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:東スポのお色気路線は”人間讃歌”とする説。消費者の感情に最も訴えかけるのは、企業の姿勢にあるという考え。”性”をタブー視する必要がないという思想。なぜ本当のデスマッチファイターは大仁田厚ではなくて、「松永光弘」なのか。
時代の流れと闘う東スポ
東スポ六角形の5番目はお色気、である。
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今頃お色気、などというとナニソレ、死語?などと言われるかもしれないがあえてこの表現にしたのは、ぼかしたいためだ。
本当はエッチなページとか、はだかの女性の写真がたくさんあるページなどといいたいのだが、それを言うのははばかられるから、ごまかして
お色気と言ったのだ。
はっきり言うことがはばかられる、この5番目は時代遅れの概念と言ってもいい。いやそれどころか、セクハラと一刀両断にされるリスクがある。
水着姿のRizinラウンドガールが登場するだけで、「女性を男性の劣情の対象とみなしている」、「女性蔑視」などと非難される世の中において、東スポの女性の裸の露出を含むお色気路線は、前途多難に見える。
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女性蔑視への反論
世の中は女性の性的な表現をセクハラと弾劾する一方で、商業的な部分では過激の一方になっており、東スポとしても”表現の程度“については頭を悩ませたはずだ。
そして答えは”穏当“というところに落ち着いたのではないか。それを筆者は”お色気路線“と呼ぶことにする。
もちろんどんな理由をつけても、メディアが女性の裸を出すのは穏当ではない。しかし、昭和の時代はスポーツ新聞や大衆雑誌では、下品とされながらも社会は容認していた。
現在は、メディアを問わず女性の性をビジネスとして取り扱うのは、女性蔑視ととらえられかねない。
しかし、東スポのお色気路線は、決して女性を男性本位の道具に貶めようとするものではない。
東スポ六角形に見られるように、紙面のことごとくが無意識のうちに人間の感情を揺り動かす作りになっているので、お色気路線は東スポにとって自然であり、必然であるのだ。
お色気とプロレスの共通点
東スポのこのお色気欄を、「おおらかに人間の命を謳い上げている」との見方もできなくはない。
何が人間の感情を揺さぶるかと言って、それは”性“をおいてない。性は生を生む。その意味で我々はこのテーマを忌み嫌う必要はない。
プロレスもそうだ。
どっちが強いかを決めるだけならば、反則なしのノールールで喧嘩をさせればいい。
ただしそれだと観客は残酷ショーを見せられるだけだ。
プロレスは独自のルールと文化のもとに、戦いを見るものの心を感情をこれでもかと揺さぶる芸術に仕上げた。と同時に、人間の心身の限界を見せることによって、生命の可能性や素晴らしさも表現しているのだ。
お色気とプロレスは、東スポが謳い上げる人間讃歌なのである。
裸という共通点
お色気欄とプロレスの共通点はまだある。それは、”裸“である。
女性の裸は社会的にタブーだが、何故か男性のそれはお咎めがない。
そしてそれを最大限に見せつけているのが、プロレスだ。なにせパンツ一丁なのだ。
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明らかに肉体を見せること、これがプロレスの重要な一部であることは、火を見るより明らかだ。
なぜ、デスマッチ王は大仁田厚じゃなくて松永光弘なのか
これは見る者にとって、肉体的とも言える強烈なメッセージである。
考えてみるがいい。もしプロレスラーが着衣だったら、と。
あなたが受け取る感情のメッセージは限りなく弱くなるはずだ。
その意味でどんな爆破デスマッチでも、裸でファイトした松永光弘は、大仁田厚よりも、ファンの感情を揺さぶるという点では、プロレスラーらしいと言えるのだ。
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東スポの姿勢こそが読者を揺さぶる
東スポがもし部数を減らしているというなら、残念だが、その犯人はこのお色気欄にあるのかもしれない。
冒頭に言ったように時代遅れなのかもしれないし、女性蔑視なのかもしれないし、またこの分野は表現がむずかしいからだ。他紙も同じことをやっている中で、差別化が非常にしにくい分野でもある。
しかし、申し上げたように、このお色気欄は人間の命を高らかにうたい上げ、性を肯定的にとっている東スポなりの大義を反映しているに過ぎない。
この姿勢こそが、読者の内なる何かを揺さぶるのである。
今日も最後までお読み頂きありがとうございました。
それでは明日、「東スポ六角形を読み解くシリーズ」は、最後、東スポ餃子で締めたいと思います。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー
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